趣味

明地

セイレーンの皿

 記憶の中の村は、いつも薄暗かった。


 小学生のころ、夏になると毎年、両親に連れられてその村を訪ねていた。

 朝は薄明のころから家を出て、ぐねぐねした山道を上下左右に揺さぶられながら、正午、ようやくたどり着く。

 私はこの村が嫌いだった。

 四方を山に囲まれていて、いつも閉塞感を覚えていた。エアコンがなくて、いつも蒸し暑かった。人気がなくて、いつも心細く感じていた。数少ない出歩く者はみな老人で、何かにつけてこちらをじろじろと見つめるものだから、薄気味悪かった。

 両親と祖父母は私を置いてお寺に籠りきりで、家にいても仕方がないから、避暑がてら川へ遊びに行っていた。

 すると、きまって上流の方から女の子がやってくるのだ。


 彼女はいつも白いワンピースを着ていて、艶やかな黒髪、はにかむ顔は同年代の女子の誰よりも綺麗に見えた。

 一年生の頃からの付き合いだから彼女の美貌に見とれることもなく、級友の女子と話す気恥ずかしさも忘れて、私たちはよく語り合ったり、水遊びをしたりした。陽が暮れ始めて私が帰ろうとしても、彼女は川の中に留まって私を見送るだけだった。

 午後七時頃には両親が戻ってきていて、そのままいそいそと帰り支度を始め、私をのせて車は都会に戻る。帰省というのに、記憶する限りでは一泊もした覚えがなかった。

 彼女と過ごすのも、年に一度、数刻の間だけだった。


 彼女はよく村の外のことを聞きたがった。

 曰く病気で、学校に通うことはおろか村の外に出ることも許されず、村の奥の屋敷で過ごしているのだという。いつか探検してみたそれは、日本の田舎村には似つかわしくない、白い立派な洋館だった。その裏庭を流れる川が、私の避暑地と繋がっているという。

 私は学校のことをなんでも話した。生涯胸の内に秘めておくようなことも、包み隠さず話した。彼女は呆れることも嫌がることもなく、私の話に聞き入っては続きをせがんだ。私も気分よく語った。

 彼女は自分のことはあまり話したがらなかった。変化のない日常で、特に話すようなこともないからだと言っていたが、その表情にどこか影があるように感じた。


 十二歳のとき、別れ際に、会えるのはもう最後、と彼女が言った。

 驚きはなかった。毎年、心のどこかで今年は会えないかもしれないと感じていた。その時が来た時に悲しみすぎないように、無意識のうちに準備していた。

 だから驚きはなかった。私は、じゃあお元気で、と挨拶して去った。帰りの車中、ようやく悲しみが押し寄せてきた。

 次の夏からその村に行くことはなくなった。理由が説明されることはなかったし、正直、ありがたかった。


 記憶の中の彼女は、いつも同じ容姿をしている。

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