第101話 クウ

あらすじ シンの国際指名手配から一日。


 信州、戸隠。


「ここにクノさんがいると聞いて……」


「はい! います!」


 ハキハキと喋る幼女に出迎えられた。


「……会わせてもらえますか?」


 シズクは徹夜の頭を揉みながら、山奥に隠された名もなき寺を訪ねていた。カンダ・シンを誘拐されてから半年、追跡には加わらず、自らを鍛え直すと山籠もりしてしまったからだ。


「どうぞ!」


 幼女はててててと小走りに寺の裏へ走る。


 やたらと愛らしい顔立ちの幼女だった。


「……」


 どこの子供だろう。


 シズクは頭痛を覚える。


 経緯はどうあれ、反省して、ストイックな山籠もり生活を送っているものと思っていたが、好みの女児を誘拐とはフォローのしようがない大犯罪だった。話をややこしくすることにかけては右に出るものがいない。


 だが問題はシンの国際指名手配の件だ。


 日本政府の頭を越えて国際警察によって発せられ、マスコミに強く報道要請がかかっていたことまでは把握している。罪状の詳細は公表されていないが、外務省の友人からの情報ではアメリカの要人を害したとのことだ。


 名前も出せない辺り、深刻さが桁違い。


 そして効果は覿面で、昨日の間に目撃情報まで出た。半年の追跡が常に後手に回っていたことを考えると劇的に進展している。スピード感が違う。先を越されかねない。


 身柄が海外に渡ってしまう。


 クノ・イチ対アメリカ。


 日本国政府にとって最悪の想定である。


「お名前は?」


 そのまま細い獣道に入ってシズクは尋ねる。


「クウ! クウだよ!」


 元気よく答えられた。


「クウちゃんは、どこの子……?」


 一応、聞いておかねばならない。


 最悪、シンがアメリカに奪われたとき、機嫌を取るためにこの子供をクノ・イチに捧げることも視野には入る。国家間の交渉をするよりは、子供の親に死を受け入れさせる方がまだ安い。


「ここのこだよ?」


 クウは首を傾げた。


「イチ! おきゃくさーん!」


 そして獣道の先に広がる森に向かって叫ぶ。


「あ」


 誘拐した当人が現れる前に事情を聞いて置きたかったが、こうなってはもう遅い。森の木々が揺れる風が吹き、木漏れ日と共にスタッとクノ・イチが着地するまでは一瞬だった。


「久しぶりだな。シズク」


 数ヶ月ぶりに見るくのいちの姿は以前よりも精悍さを増しているように見えた。しかし、表情はどこか穏やかで圧倒される気迫も柔らかい。


 どこか殺気立っていた空気が丸くなっている。


「お、久しぶりです。クノさん」


 機嫌が良いのか、と頭を下げる。


「シンが見つかったのか」


 そして言う。


「ご存知でしたか? 報道は見ていないのかと」


 指名手配の件をしればすぐさま東京に飛んでくるかと思っていたので、シズクにとっては意外な一言だった。


「いや、見ていない。昨夜、感知した」


「女に戻った? ですけど場所は……」


「ああ、わたしの感覚では青森の辺りだ」


「え? あ……昨日の早朝に岩手のホテルで目撃されていますが、クノさん、そこまで関知できるように? ここから?」


 当たっている。


「むろん、鍛錬の成果だ」


 クノ・イチは言う。


「わたしが忍法をかけた人形を、このクウに隠して貰ってな。それを感知して地図上の場所と照らし合わせる。それをこの二ヶ月ほど毎日やっていた。日本列島ぐらいならカバーできる」


「……そこまで」


 大幅に力を増している。


 幼女を誘拐して遊んでいた訳ではなかった。


「この子は、忍者なんですか?」


 シズクは女児を見る。


 誘拐してきたのでなければ、どこかで滅ぼした忍者の生き残りであるかもしれない。そうした闇から闇へ消えていく子供という意味ではクノ・イチと同じでもある。


 戸隠もそうした土地のひとつだった。


「クウ、にんじゃだよ!」


 満面の笑みで手を挙げた。


「す、ごいね?」


 シズクは曖昧に微笑んだ。


 親を殺されたかも知れない。


「わたしの娘だ、当然だろう」


 そしてクノ・イチもどこか自慢げだ。


「育ててるんですね……」


「シンとの間の子供だ」


「……え? あの、なにを言って?」


 シズクは反射的に心配してしまう。


 心が病んでしまった。


 頭がおかしいのは今にはじまったことではないが、流石にはじめての恋人を誘拐され、孤独な鍛錬の日々の中でなにかが壊れてしまったかも知れない。ケアをすべきだったのか。


「生まれて三ヶ月だ。逸材だろう?」


 だが、クノ・イチは異常を軽く告げた。


「クウ。シンが見つかったそうだぞ」


 そして娘を抱きかかえる。


 慣れた様子で。


「シン!? ちち!? うれしい!」


「そうだ、ちちだ。ははもうれしいぞ」


 母娘。


「……」


 シズクの理解は追いつかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る