第十話 夫婦のあり方
ここ数ヵ月に渡ってこの団地に立て続けに起きている怪奇現象。
それによってほとんどの家庭が
関係に亀裂が入っている夫婦。
仕事でミスをすることが増えた旦那さん。
職場への行き帰りで事故を起こすなんていう人も出る始末。
それによって職場の同僚に白い眼で見られるようになったり。
全部、ウチのことだ。
いや、他のご家庭でも起きているけれど。
ただ、ウチはちょっと他に比べて酷いかもしれない。
いくつもの現象が重なっているし、コンロが勝手に点いたなんていうのも、聞く限りではウチだけだ。
とにかく、そういった諸々の原因が重なって日常生活のペースが乱され、普段はなんの問題もなく行えるはずのことができなくなり、そうして溜まっていったストレス。
さらにその原因は非科学的な怪奇現象と来ている。
なんの問題もない平常な精神状態であれば気にならないような些細なことも、ちくりと肌を針で突つくように気になり始めた。
主に大輝が私に対して。
お前は
ストレスとかなさそうだよな、とか。
上司に怒られることはないし、仕事で苦労することとかないし。後輩への接し方に悩むこともないし。
売り言葉に買い言葉。
でもね、ずっと家にいる分、それだけあの変な現象に直接立ち会ってるんだよ、私。
私はオタクだ。
非現実的な現象に対しても知識だけはあって、それなりに耐性はあるほうだと思う。
でもね、まったく怖くないわけじゃないんだよ。
そうやって衝突してから、趣味も満足に楽しめなくなったし。
これでも大輝のことを蔑ろにすることなく、ちゃんと向き合ってきたつもりだ。
毎朝ちゃんと早起きしてお弁当用意したし、日中は皿が飛んできたりしないかコンロが勝手についたりしないか気を配りながら家事炊事をこなし、家を留守にするのもちょっと不安だったけど食材は買い出しに行かなきゃいけないし、そうして夕方になれば夕飯の用意を始めて。
それも、最近は少しずつ減ってきているけど。
あいつが夕飯時に帰ってこないことが増えてきたから。
「ふぅん、なるほどね」
「なんかねー、上手くいかないよねー、色々」
精一杯虚勢を張って私は言った。
つくづく人生というものはわからないものである。
いい人だと思って結婚に踏み切り、少なくとも結婚してからの数年も大きな問題なく、結婚したことへの後悔もなく生活してきた。
それが、ここに来てのわけのわからない怪奇現象。
それが生活を蝕むことになり、こんな状況に追い込まれることになっている。
現在、ウチの居間の、サイドボードの引き出しには、先日役所から貰ってきた離婚届が入っている。
背後で、ハル君がぐずり始めた。
が、なぜか稜子ちゃんが
「ちょっと、何イライラしてんの? そういうの意外と伝わるんだからって言ってるじゃん」
「いや、だってさぁ……」
へぇ、そういうものなんだ。
と目から鱗を感じる反面、
「佐伯が気にすることじゃないよ。何も悪くないんだし、ウチの問題なんだし」
何やら口論に突入し始めた佐伯夫妻に気が咎めて、私は口を挟んだ。
でも、逆にこれくらい普段から惜しげもなく言いたいことを言い合うほうがいいのかもしれない。
ウチはあまりそういうのないから。
というか、私としては大輝に大した不満もないから自然とそうなるんだけど。
そもそもネクラでうだつの上がらない私が結婚なんていうだけで身に余る話なのだ。不満なんてあろうはずもない。
それが実のところ、向こうはあれだけ私に対して色々と我慢していたということだ。
……やっぱり、私なんてそんなものか。
コミュ障でまともに人と関わってこなかった私では、誰かと共同生活なんて遅れるはずもないのだ。
「いやいや、そりゃ
やばい、泣きそうになる。
……泣きそうになる?
もしかして私、離婚するの嫌がってる?
また一人に戻るだけなのに。元に戻るだけなのに。
それは自分でも意外な感情の発露だった。
もし大輝と別れることになっても、何とも思わないんじゃないかと思っていた。
「ま、でもそれももう大丈夫なんじゃないか? この団地に起きてる怪奇現象はあの霊能者がなんとかしてくれるんだろ」
「バカ、そんな単純な問題じゃないでしょ。しこりは残るんだよ」
「……ま、なるようになるよ」
それでもこの口から出るのは強がりの言葉。
ただ、少しくらいは悪足掻きをしてみようと、私はそんな気になっていた。
「大輝もそろそろ帰ってくる時間か?」
「うん、そうだね」
「ったく、あの女子高生もさんざん引っ掻き回してくれたよな。それがなきゃ、あいつが帰ってくる頃にはいい報告ができただろうに」
広間ではさすがに人の数はまばらになったものの、未だあのおばさん霊能者と自治会長たちが話をしているらしい。
確かに霊能者を自称していた女子高生がいなければ今頃は既に話がついて、これからはもう不可解な現象は起きないということを報告できたかもしれない。
私たちの関係も、もしかしたら確執もなくなって何事もなかったように明日への時間を過ごすことができていたかもしれない。
「そういえば、ちょっと気になってたんだけどさ」
と、何かを思い出したように佐伯が口を開く。
「昼にあの女子高生が来て広間に通されたとき、なんであの子の前にだけお茶二つ出したんだ?」
あまりに愚問過ぎて思わず返す言葉に窮した。
そんな混乱を体現したかのように数秒ほど首を傾げた後、これまた答える必要があるのかないのかわからない明白な答えを返す。
「や、だって二人連れだったじゃん。着物の子と、黒髪メガネの子」
私がそう答えると、まるで私のマネをするかのように、今度は佐伯が怪訝そうに首を傾げた。
「黒髪メガネって誰だよ。来たのはあの着物の子だけだっただろ?」
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