第3話

 自分が如何に不倶であり、世における不適合者であるという事は重々に承知している。しかし、それでも尚改められないのはルサンチマン的な思想が心地よいからである。言い換えれば奈落からの脱却を望んでいない。否、望めないのだ。

 悲惨な生を歩む自分には他者を罵倒し蔑む権利があると錯覚していた。偽りの大義名分を掲げていると、思ったよりも胸がすくのだった。いつしか僕は、弱者の仮面を被っていた。

 その仮面は僕をより歪にし、卑劣にさせた。

 仮面を被ると、僕は恥ずかしげもなく弱者として立ち振る舞う事ができた。自分は何もできない。生まれが、育ちが、環境が、時代が、全てが悪い。周りの人間達は誰もが敵となり、本来僕が手にするはずだった栄華を簒奪しているのだと妄想すると、悲劇を演じる役者となって独りよがりな舞台に立てるのである。時に差し込まれる「自分なんか」「僕は駄目な人間だ」という内なる声は同情を誘う演出となるばかりで自己を律する効果を持っていない。考える内の一割二割は確かに自己を否定する部分もあったと思うが、ほぼ全部、次の言葉によって完結する。



 いいや違う。悪いのはぼく以外の全てだ。



 この演目では、僕はあらゆるものに阻害され苛まれてきた悲劇の主人公だった。世間が冷たく厳しければそれだけ演技に熱が入り、まなこから熱い雫を滴らせ、強く握った拳を打ちつけるる。

 悲しめば悲しむ程、苦しめば苦しむ程、酩酊に似た倒錯的甘美を実感する事ができた。その、マゾヒズムでもあり、サディズムである非社会的な講演には誰もいない。台本、演出、出演、そして観客さえも僕一人だけで、僕が作り出した孤独の三流悲劇に僕が酔いしれ、僕が講評し、僕がそれを聞くのだった。側から見れば酷く虚しい一人遊びに他ならず、極めて不健全で、極めて哀れな、事故逃避であったが、僕には必要な茶番であった。

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