第24話 予告してもサプライズ?

 真理ちゃんに事件の真相を教えてあげようと思って電話した。でも、真理ちゃんもすでに知っていた。刑事役をやった院生に偶然会ったのだという。それで、全部聞きだしたそうだ。そういえば、特殊メイクの展示と日本画の展示は同じ建物だった。こっちも久保田さんに全部聞いたといって、ふたりで腹を立てあった。

 課題の制作は急ピッチで進めている。大阪に出かけて日数を消化してしまったから、お尻に火がついているのだ。あっちっち。忙しい時ほど、いろいろなことがまとめて押し寄せてくる。

「沙莉ちゃん」

「ん?なに?」

 粘土を手で形づくっている。

「漆芸の漆原って知ってる?」

「知らない」

「男の子なんだけど、興味ある?」

「ない」

「けっこう人気あるみたいだけど」

「興味ない」

「そう。じゃあ、そういう風に伝えていい?」

「なにそれ、どういうこと?」

 粘土に指をすべらせる。

「うん。漆原は沙莉ちゃんに興味があるみたいなんだよね」

「なんで咲名ちゃんを経由するの?もう、その時点で考慮の必要を感じないんだけど」

「だよね。わたしもそう思う。でも、わたしが答えをだすことじゃないから、聞いてみただけ」

「久保田さんはわたしに話しかけてきたよ?話しかけてオーラは必死にだしてたけどね」

「久保田さんて、会ってみるとそんな勇気なさそうな人なのにね。沙莉ちゃんのオーラがすごかったんだね」

「あ、メール。久保田さんからだよ、きっと」

 エプロンで手を拭いてケータイを取り出す。アタリだ!なになに?いまどこ?だって。ガッコウに決まっている。課題が大変なの知ってるくせに。でも、遊びにきてくれるのかな。

「今日って、火曜日だっけ」

「そうだよ。ケータイに表示されるでしょ」

「うん、知ってる。確認だよ。確認」

 明日は久保田さん休みだ。ふむふむ。楽しそうな予感だ。返信する。また粘土に手をつける。

「今日はあと少しで終了かも」

「久保田さんと約束?」

「ううん。よくわからない。どこにいるかって」

「ふーん、差入れかな?」

「ああ、そういうことか。なんだ」

「なんだって。いいじゃない、差入れしてくれるなんて。やさしいよ、久保田さん」

「差入れは普通かな」

「じゃあ、どんなことならうれしいの?」

「うーん。婚姻届けもってきて、これ書いといたからとか?」

「げー。そんなの嫌だな」

「まあ、プロセスはダメな感じだけど、結果はいいよ」

「気が早くない?」

「じゃあ、花束もってきて、愛してるぜとか?」

「ぜってなに?そんなこというのはマンガくらいのものだよ」

「いわれてみればそうか。男の人ってどう言うっけ」

「愛してるよ、じゃない?」

「ちょっとなよなよしてない?」

「愛してる?」

「沙莉、待たせたな。愛してる」

 自分で肩を抱いている。

「なんか、カタコトって感じ」

「じゃあ、なんていってくれるか楽しみにしてたらいいんじゃない?」

「言ってくれるかな?おばあちゃんになっちゃわない?」

「おばあちゃんになるまで一緒ならもういいんじゃない?」

「そうか。そうかな?子供は?このあいだ赤ちゃん見たらほしくなったなー。だからダメ」

「久保田さんの先輩の?」

「そう。あの銀のスプーンの」

 赤ちゃんの話で盛り上がる。

「お待たせしました」

 ドアが開いて、久保田さんが立っている。やっぱりきてくれた。なんていってくれるのかな。

「相内さん、準備はいいですか?」

「もちろん。いつでも結婚できます」

「結婚するなんて言ってないじゃないですか。出発です」

「どこか行くんですか?」

「そうです。はい。行きますよ」

 大急ぎで粘土を片付け、エプロンを外して、手を引かれてアトリエを出る。咲名ちゃんに挨拶はできた。久保田さんがこんなに強引にことを進めるなんてはじめてだ。すごい。差入れを越える出来事だ。

 彫刻科棟をでて、どうやら駐車場に向かっている。

「こっち駐車場?」

「車借りてきました」

「車で出かけるんですか?ちゃんとした服で出かけたかった」

「大丈夫。服なんか気にしないで。おれしか見る人いないんで」

 え?これはもしや、ホテル直行みたいな?どうしたんだろ、久保田さん。野獣になったのかな?

 助手席に押し込められ、車は大学の門をでる。もう日が沈んで真っ暗だ。

「久保田さん免許もってたんですね」

「免許は学生のときに親のカネでとりました。この辺の人間には当り前ですよ。車まで親が買ってくれたりします」

「そうでした」

「うちは買ってくれなかったんですけど。大学地元じゃなかったんで」

 沙莉だって高崎出身だ。太田出身の久保田さんと事情は変わらない。

 車を運転する久保田さんの横顔。素敵。はじめて見る表情だ。これからは車で出かける機会を作っていこう。

 車を走らせているうちに海に向かっていることがわかってきた。館林の久保田さんの部屋かなと思っていたけど、そうではなかった。ホテルでもなかった。港が目的地みたいだ。駐車場に車を置いて、海が間近い。

「おお、夜景をながめてロマンチックですか」

「ちがいます」

 ロマンチックではないらしい。残念。久保田さんが手を引いてくれる。船が駐車してある間を抜けてゆく。船なのに駐車とはおかしいけど、なんというか知らない。なんだなんだ?人気がなく、真っ暗。不穏な空気だぞ。ヤクの密売人を逮捕するとか、そんなドラマが待っているわけではないだろう。名探偵みたいだけど、久保田さんは本当に探偵というわけではない。コンクリートの堤防を進む。左右の海には船がならんでいる。

「はい、ここ」

「ここ?」

 目の前にはドデカい船がバーンとそびえている。ビルではないからそびえるというのはおかしいかもしれないけれど、ほかの表現が思いつかない。カジキマグロでも釣りに行きそうな、大型クルーザーというやつだ。

 久保田さんが手を貸してくれて、船に乗りうつる。

「勝手に乗っちゃって大丈夫なんですか。警察につきだされますよ」

「そんな犯罪に手を染めたりしません。大丈夫ですよ」

 久保田さんは勝手に船長の席みたいなところにあがってしまった。あたりを見回す。人気はないから大丈夫だろうか。

 船が軽くふるえてエンジンがかかった。鍵つけっぱなしだったのか、盗んでくれといわんばかりではないか。久保田さんが船長の席からおりてきて、なにやら忙しくロープを操っている。まさか。このまま乗って行ってしまおうというんじゃないでしょうね。

「あの、久保田さん。なにやってんですか。ヤバいですよ」

「ヤバいってどっち?」

「どっちってなんですか」

「いいほうのヤバいと、まずいほうのヤバいがあるじゃないですか」

「それでいうと、まずいほう」

 ああ、そんなこと言っているあいだに船長の席のほうに手を引かれてゆき、席にすわらされた。久保田さんは船長の席で、今度は船を操作している。堤防を離れて、船が沖に向かって走り出してしまった。いや、船が走るっていわないだろうけど、ってもういいか。

 もう十月の中旬で日が落ちれば肌寒くなる。船が動いて風をうけたらもっと寒い。

 船はとまった。空を見上げると、晴れて星が見える。放射冷却で冷え込むにちがいない。

「寒いから中に入りましょう」

 船の中にはいれるドアを開けてくれる。短い階段を降りる。明かりがつくと、そこはホテルのスイートルームの一室みたいだった。奥へ進むとベッドルーム。

「船じゃないみたい」

「お金持ちになった気分ですか」

「犯罪者になった気分です」

「なんですかそりゃ」

「こんなことして、タダで済みませんよ?海上保安庁に囲まれて逮捕されます」

「なんでそんなことになるんですか」

「船泥棒だからですよ」

「盗むわけないじゃないですか。レンタルですよ、レンタル」

「レンタル?これ?こんなの誰が借りるんですか、頭おかしいですよ」

 久保田さんは肩をすくめる。

「ホントに借りたんですか」

 沙莉はベッドに背中から倒れ込む。疲れがベッドに浸み出してゆく気がする。

「持ち主に銃を突き付けて鍵を奪ってきました」

「もういいですよ」

 久保田さんがベッドに腰かけ、部屋のまわりを眺める。沙莉はうしろから腰に抱きつく。

「水族館にエサの魚を卸してくれてる会社の偉い人に借りました。すごくないですか?」

「すごい!サプライズです!」

 抱きつく力を強める。

「女の子なら誰だって惚れちゃいますよ?」

「間に合ってます」

「わたしだけでね」

 久保田さんがなにか飲みましょうというから、リビングみたいな部屋へもどって冷蔵庫を開ける。

「うーん、こんなものが」

 シャンパンのボトルだ。

「すごいじゃないですか」

「やりすぎです」

 グラスを出して注いでくれる。ふたりの夜に乾杯。

「自分で用意したんじゃないんですか」

「飲み物と食料を適当にとお願いしたんですけど。予算オーバーが心配です」

「そんなことより、久保田さん船運転できたんですね」

「まあ。大学で研究室の人たちみんな船舶免許取りましたね」

 あたり前のことのように思っているらしい。憎い。

「愛の逃避行ですか」

「なにから逃げるんですか」

 このネタは大阪で真理ちゃんが使っていたのだった。カブってしまった。

「食べ物はなにを用意してくれたんですか」

 冷蔵庫から、オードブル詰め合わせの大きなパックがでてきた。

「思いっきりつまみですね。金持ちってこんなんですかね。これとシャンパンで予算を使い果たしたようですよ。朝メシに食うものが用意してない」

「まあまあ、おいしそうですよ」

 文句を言ったらバチがあたる。こんな経験、すばらしいではないか。シャンパンもつまみもおいしい。満足だ。

「すこし外出てみますか。せっかくだから」

「はい」

 船の外に出る。遠くに町の明かりがある。それほど沖にきたわけではない。別の方向の海にはほかにも船らしき光が見える。

「けっこう久保田さんみたいに酔狂な人たちがいるんですね」

「きっと夜釣りの人たちです。おれたちくらいなものですよ、酔狂なのは」

 久保田さんが空を見上げるから、つられて空を仰ぐ。星が空を埋めている。

「夜景をキレイだと思わないんですよね。電球光ってるだけじゃないですか」

「そこに人々の暮らしがあるんですよ。ロマンチック」

「それがキレイなんですか?」

「さあ」

「星の方がぜんぜんキレイです」

 船の外に出るとやっぱり寒い。アルコール燃料で発熱しただけでは追いつかない。腕を組んで耐える。

「こういうときは、わたしのことをキレイっていうものです」

「相内さん」

 久保田さんが見つめている。溶けそう。

「寒いみたいですね」

 だと思った。溶けかかっていたのが、シャキッともとの形にもどる。

 冷たい風を感じていると、肩になにかかかった。久保田さんが着ていた薄手のジャンバーだ。久保田さんはトレーナー姿になっている。腕に抱きついて、やっぱり溶けた。

 目が慣れて、さっきよりもっとよく星が見える。本当だ。夜景よりきれいだ。

「どうです?ご機嫌は麗しくなりましたか?」

「はい」

「例の大阪の事件のですよ?」

「わかってます。約束のサプライズでご機嫌を直しました」

「よかったです。中にもどりましょう。そんな薄いジャンバーじゃ効果ないでしょう」

 そんなことはない。心があたたまれば体だってあたたかいものだ。でも、久保田さんが凍えてしまう。おとなしく船の中にもどる。

 シャワーもトイレも完備していて、本当にホテルみたいだ。


 今日は、人生最高の日だった。

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