第23話 ミステリ読者の怒り
事件については、大学祭三日目も進展せず。つぎの朝、真理ちゃんに見送られて電車の人になった。もう館林まで帰ってきてしまった。
「ここ、はじめてのレストランじゃないですか。ふたりの思い出の」
頬に手を添える。
「覚えてましたか」
「いよいよプロポーズですか」
「不正解です」
「じゃあ、あっ、告白がまだでしたね」
「そう、おれ実は宇宙人なんです」
「ナイフで刺していいですか」
「ごめんなさい。やめてください」
「なんなんですか」
「先にご機嫌とりです」
「ご機嫌の預金はできないって知ってました?」
「睡眠みたいですね」
「そうですよ」
「じゃあ、ちがうところにしますか。やすいところ」
「預金はできないけど、借金は返せますよ。睡眠と同じです」
「借金なんてありましたっけ」
「ずっとですよ。わたしを受け入れてくれないじゃないですか」
「ちょっとづつ受け入れてると言うか、浸食されてるじゃないですか」
「それが借金です」
「まあまあ、むづかしい話は置いといて、おいしいものでも食べましょう」
ちっともむづかしくなんかない。でも、いまさら焦っても仕方ない。追及をゆるめる。
「飲み物は、スパークリングワインでいいですか」
「わたし、このチャコリのスパークリング」
「チャコリってなんですか」
「スペインのどっかでつくってるワインのことです」
「へー、ワインのブランドみたいなものかな」
「そんな感じです」
「じゃ、おれも真似しよ。でも、ここイタリアンの店じゃなかったっけ」
「節操がないんですね」
「簡単に許しちゃうんだ」
「いいんですよ、おいしいものが食べられれば」
チャコリと前菜を久保田さんが注文した。
「帰ってきちゃいましたね。あっという間だったー」
「でしょう?若い時代を大切に生きてください」
「そこは自信あります」
「そうですか」
「なんか文句あるんですか」
「いえいえ。毎日が充実しているというのはいいことですね」
食事を済ませて、久保田さんの部屋に落ち着く。今夜は泊めてもらうつもりだ。
「今日は泊っていいんでしょう」
「はい。どうぞ」
「うむ、苦しゅうない。って、なんか遠慮してます?」
「いえいえ、大丈夫ですよ?」
「ならいいんですけど」
沙莉は気分がよかったから、簡単に納得した。
お風呂からあがると、久保田さんがお茶を用意してくれていた。
「これは、ハーブティーですね」
「カモミールです。食べすぎたときなんかにいいんですよ。胃腸に効くらしいんです」
「なるほど。エッチな気分にはならないんですか?」
「なりませんね」
「じゃ、久保田さんは飲まなくていいです」
「どういうことですか、それは」
「なんでもありません。それで、告白はいつなんですか」
「いましようかと」
「本当ですか!」
「お待たせしました」
「お待ちしておりました。苦節数箇月ですよ」
「グンマにもどりましたのでね。大阪の事件のことを話してもいいころかと」
「そっちかい!」
「ほかにありましたっけ」
「とぼけるならいいですっ!こんちきしょうめ」
わかってはいたけど。そうくることは、わかっていたんですけどね。あーあ、酔ったみたい。久保田さんが憎い。
「実は、あれは全部うそっぱちです」
「はあ?」
「落ち着いて、気持ちを楽にして聞いてください。まずはハーブティーでも」
久保田さんが勧めるから、一口飲む。うん、ハーブの香りが広がる。
「リラックスしてきましたか?肩の力を抜いて、深呼吸してみましょうか」
「わかりましたから、早くつづき」
「大阪で見た死体らしき倒れた人、あれは生きていた人の死体ではなく、作りものです」
ぶー。
タイミングによっては、カモミールティーを久保田さんに吹きかけるところだ。幸運にも口の中にお茶はのこっていなかった。
「なんですかそれっ!」
「アトリエにやってきた警察官と刑事、あれは学生が変装したものです。コスプレってやつですね」
「殺す!明日一番で大阪に行って、あの刑事殺す」
「まあまあ、食券で焼きそばとか食べたじゃないですか」
「あんなんじゃ全然足りません」
こちらを睨んできたときの、あの目。あのときの茶番は本当の茶番だった。記憶がよみがえり、怒りで心臓がドキドキして、体中が熱くなってきた。お風呂にはいったばかりなのに、汗が噴き出てくる。
「死体はどうやって消したんですか」
「あの死体人形は、中身がポリウレタンで、外から見える所だけ特殊メイクで死体に見せかけてあったんです。教授は大阪芸大で特殊メイクを教えていたんです。学生はもちろん特殊メイクを学んでいた。展示室に飾ってあった作品が特殊メイクの技術を使ったものでしたね。そんなわけだから、おれが近くに行って首に触ってしまった時点で人形だってバレたわけです」
生き物の死体に慣れた人間がたまたまやってくるとは予想できなかったのだろう。久保田さんの侵入を許してしまったのが失敗だった。普通死体が倒れている部屋にすすんではいろうなんて人間はいない。入口でたむろしていた人たちが普通の神経なのだ。
「それで、学生が人形だってことを黙っててくれっていって、口止め料に食券をよこしたんです。おれも事件じゃないからいいかと思って、取引成立となりました」
「それで、どうやって瞬間移動するんです?」
「相内さんが推理した通りだと思います。具体的な方法は詳しく聞かなかったので。
小窓の外に足場を組んだか、リフト車っていうんですかね、びよーんと上に台が伸びるのがついてる車。高所作業車かな?エレベータに入りきらないような作品を運ぶときなんかに使うんでしょう、そういう車。それで台に乗って窓のところにくるんです。なにか棒でブルーシートの輪っかを引っかけて引き寄せたんでしょう。あとは、人形をバラして鉄格子の隙間から引っ張りだせば、ポリウレタン製だから隙間が狭くても大丈夫でしょう。ブルーシートも回収して終了です」
「血は?窓の鉄格子についちゃうじゃないですか」
「血も偽物です。シリコン」
「じゃあ、死体ははじめから教授の自宅にあったんですか」
「そうです。動かしてません」
「なにそれ、腹立たしい。ミステリの読者が怒るっていうやつ、わかる気がしてきた」
「すみません」
「なんでそんなことしたんですか」
「あの人形、教授の人でしたね。で、教授は同じころに亡くなっているのが発見された」
「そう。瞬間移動したと、ミステリだと思いましたよ」
「教授は本当に自殺したんです。遺書がありました。二通。警察あてと、学生あて。前日に学生が教授の家に呼ばれて、死体と、教授の死体そっくりな人形と一緒に発見しました。学生あての遺書に指示されてたのが、人形を使って目撃者を作ってから消すっていうイタズラです。さらに、同じころに警察に通報して瞬間移動ってね。人形は教授の作品なわけです」
「その教授、ホント死んだ方がましですね」
「まあまあ、もう死んでます」
「そんなの関係ありません。ひとに迷惑かけて」
「芸術はそんなものでしょう。人に迷惑だからやらないなんてことはないんじゃないですか」
「うーん、そうかな。人に迷惑かけたら、誰も評価してくれないと思うけど」
「でも、作品は残って後世の人が評価してくれるかもしれない」
「そんなのわかりませんけどね」
「けっこう辛口なんですね。相内さんはもっと非常識な人かと思ってました」
「かなり見損なってたんですね」
「奥さんがね、亡くなったんだそうです」
「その教授ですか?」
「そうです。四十九日の翌日がちょうど大学祭の前日だったんです。学生が呼び出されて自殺死体を発見した日です。学生たちは供養のつもりでイタズラを実行することにしたそうです。警察は人形の方には関わってなかったので、ただの自殺の処理だけしたわけです」
「じゃあ、久保田さんは全部話を聞いていて、わたしのことだましてたってことだ。あーあ、あったまきた。この怒りをどうしてくれよう」
「ご機嫌はやっぱり芳しくない感じですか」
「ご機嫌は、いままでにないくらい悪うございますよ」
「どうしたら、おしずまりになりますかね」
久保田さんを煮るなり焼くなり自由にしていいはずだ。ソファの背もたれに体を押しつけ、首を反らして天井を見つめる。いいアイデアが書いてないかな。いや、久保田さんが考えるべきことじゃないか。うん、そうだ。
「久保田さんはどう落とし前つけてくれるんですか」
「うーん。そんなやくざなこといわれても」
悩んでいるらしい。
「頭なでてくれてもいいんですよ?」
「なぜナデナデするんです?」
「考えがはかどるでしょ?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
しめしめ。思考力が落ちているにちがいない。でも、効果があったのかもしれない。
「うん。決めました。いや、まだ細部に検討の余地がありますが」
「どうなりましたか」
「秘密です」
「サプライズですか。楽しみです」
「よく考えても、おれ悪いことしてないと思うんですけどね」
「悪いことしてなくても、わたしをよろこばせるサプライズは歓迎されるんですよ?」
「そうですね」
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