サクラ咲く

おがめ

サクラ咲く

 この世の中は理不尽だ。自分一人がいくら頑張ったことろで世間の何が変わるでもない。自分の頑張りが他人によって簡単に否定されてしまう。簡単に盗まれてしまう。

 昔は、早く社会人になりたいと思っていた。中学校、高校ではいじめられ、大学生では友達ができなかった。友達を作ろうと努力はしたが上手くいかなかった。社会人になってみれば何か変わると思っていたが結局は同じだった。大学を卒業し、そこそこの企業へ就職した。同期も何人かいて新しい楽しい生活が待っていると、そう思っていた。しかし現実は違った。サービス残業は当たり前。先輩や同期から仕事を押し付けられ、飲み会には誘われず、押し付けた仕事をあたかも自分がやったかのように振舞われた。

 世間は「もっと頑張れ」「努力が足りない」と言う。でも実際それはどうなのだろうか。「やればできる」という言葉を何度もかけられてきたが、これはギャンブルで例えるなら「当たるまでやれば必ず当たる」というものと同義に感じるのだ。ギャンブルなら資金に限界がある。当たるまでやるというのは現実的にはほぼ不可能だ。しかし努力には限界がないため「やればできる」という言葉が当たり前のように色々な場所で使われる。結果、やってできたとしたら「ほら、やっぱりやればできたじゃん」と言われる。これは「できるまで無理してやった」ということで、先程のギャンブルの話と同じなのではないだろうか。

 そんなこんなで会社は嫌になって辞めた。今は学生時代から少しずつ貯めていた貯金で安いボロアパートに暮らしている。実家から仕送りが来るため。なんとか毎日を過ごせている。無職で日々をただ漠然と過ごしているある日、数日前が桜の満開日だということをネットニュースで見た。別に花には興味はないが、他にすることがないため少し外に出て桜を見てみることにした。


 ボロアパートから十数分歩いたところには有名な桜のスポットがある。川沿いに桜の木が並んでおり、満開時期には圧巻の風景を見せる。そこでは毎年多くの人がレジャーシートを広げ和気藹々と宴会をしている。そんな雰囲気に耐えられそうになく、俺はその川沿いから少し外れた人気のない公園に行った。公園には桜の木が一本だけ植えられていた。その桜の木の下には三人程度が並んで座れる長さのベンチが設置してあった。そこに座り、満開の桜を見上げた。ほとんど気づかないくらいの微かな桜の香りを鼻に感じながら、ぼーっと桜を眺める。ふと、桜は自由だと思った。太陽の光を浴び、雨という天からの恵みを受け取り、そよ風に揺られ、鳥や虫と戯れ、夜には月光浴をする。朝になれば水のベールを身に纏い、宝石のように輝く。俺にとってそれは、自分と全くかけ離れているように思えた。


 この日は数時間ほど特に何をするでもなくベンチに座り、桜を眺めるだけで帰宅した。いつもは家でネットを漁っていたが、いつもと違う過ごし方をし、少しだけ心が晴れたような気がしないでもない。

 次の日もその公園に向かった。別に何か変わったことをするわけでもなく、初めてその公園に行った日と同じように過ごした。たまに公園に人が来るが、所詮は視界の端で動いている人影だ。気にするほどのものでもない。


 更に次の日、公園に通い始めて三日目のことだった。同じように公園に向かったところ昨日までと違うことがあった。俺がいつも座っているベンチに一人の女性が座っていたのだ。二十代くらいと思われる、髪の長い女性だった。その女性はいつもの俺と同じように特に何をすることもなく、ただ漠然と桜を眺めているように見えた。そのベンチに座って桜を眺めたかったが、先着がいるので諦めて帰ることにした。踵を返し、公園を後にしようとした時だった。

「あ、あのっ」

 後ろから女性の声がしたが、気にせず歩く。

「そこのお兄さん」

 辺りを見回してみるが、どこにもお兄さんはいない。女性は誰に話しかけているんだ。

「髪の長い、暗いお兄さん!」

 言われ、自分のことだと気づいた。それにしても、初対面で暗いお兄さんと呼ぶのは如何なものだろうか。振り返り返事をする。

「……何か?」

 女性がたじろぐ。おそらくは俺の目つきのせいだろう。中学生くらいから目つきが悪いと言われていた。普通に見たつもりでも周りの人からは睨んでいると思われ、中高では俗に言う「ヤンキー」に目をつけられてしまっていた。女性の今の反応を見る限り、おそらく俺は今女性を睨んでしまったのだろう。

「あの、いつもここで桜を見てますよね。……よかったら一緒に見ませんか?」

 そう言って女性はベンチの端に寄った。家に帰ってもすることがない上、せっかくベンチの端に寄ってくれたので俺は女性が座っているベンチに人一人分くらいの間隔を空けて座った。しばらくは互いに無言が続いたが、先に口を開いたのは女性だった。どうやら、最近俺がいつもここに座って桜を眺めているのを見ていたらしい。気になってこの公園まで出てきたようだ。

「私、すぐ近くの病院に入院してて。病院から見える一番近い桜がこれなの。だから病院から眺めてたら、最近はあなたがこのベンチに座ってたから」

 そうですか、とだけ答えた。病気のことについてはあえて触れないことにした。あまり人とのコミュニケーションは得意ではないが、それでも触れるべきではないと思ったのだ。

「あ、名前を言ってませんでしたね。私、小林こばやし咲良さくらです。お兄さんは?」

「……柳井やない和也かずやです」

 名前を聞き、女性は小さな声で俺の名前を復唱していた。正直俺の名前を覚えたところで何にもならないと思うが。

「桜、きれいですよね」

 女性が言った。

「桜って、見てるとなんだか気持ちが落ち着いてくるんです。前は家の庭の桜を眺めてたんですけど、病院に来てからはここの桜を」

 女性は自身のことを話し始めた。その声は少し悲しいように聞こえた。

「ところで柳井さんはここ数日ずっとここにいますけど、お仕事は……?」

 ――仕事。やっぱりこの世の中は仕事、仕事、仕事だ。お金を手に入れるための手段なのだから仕方ないが、仕事をしているのが当たり前という風潮には嫌気がさす。そしてそんな世間の風潮にすら従えない自分に更なる嫌悪感を抱く。

 俺は返答できなかった。いや、したくなかった。

「あ、答えたくなかったらいいんです! すみません!」

「……いえ」

 それだけ答えた。その後は当たり障りのない世間話や女性自身の話を聞いた。俺はそれを聞きただ相槌を打ったり返答するだけになっていたが、少し楽しかった。これまで他人と話すのには精神的な疲労が伴っていたが、この日はそんなことはなかった。

 陽が傾き、空が橙色に染まり始めた。昼頃に来たので数時間を過ごしていたはずだが、そんなに長く感じなかった。

「あ、私、病院に戻ります。また明日も来られますか?」

 女性が俺にそう問うた。俺は、はいと答えた。他人と過ごすのは苦手だったはずだが、彼女となら何の気負いもなく過ごせるような気がした。


 次の日。俺は昼食を食べ終え、いつもの公園に向かった。到着すると、昨日と同じように女性がベンチに座っていた。

「あ、柳井さんこんにちは!」

 女性がこちらに気づき、立ち上がって礼をした。俺は軽く会釈をし、ベンチに座った。

「柳井さん、私の身体、良くなってきているみたいです」

「良かったですね。いつ頃退院できそうなんですか?」

 俺はそう質問した。

「お医者さんは、あと一週間くらいって言ってました」

 女性は嬉しそうに言った。風が吹き、桜の花びらが散った。春のそよ風に吹かれ、心地いい。

「……少し、俺の話をしてもいいですか」

 俺はそう言った。自分でも、なぜこの言葉が出たのかはわからない。ただ、この女性にはなぜか自分のことを話したくなったのだ。

 中高でのいじめのこと、大学でのこと、会社に勤めてからのこと。これまでのことを話した。俺が話している間、女性はうなずいたり、相槌を打ったりしながら親身に聞いてくれた。おかげで、とても話しやすかった。

「これまで……大変だったんですね」

 俺が話し終わると、女性はまるで他人事かのようにそう言った。しかし、俺にとってはそれがとても嬉しく感じた。今までは「我慢しろ」「もっと頑張れ」と言われていた。おそらくそれは、相談相手が身内だったからだ。特に家族は、自分の家庭の体裁を守りたいがために俺にどうにかしてほしかったのだろう。

 この女性にとって俺は、まさに他人だ。他人事のように、それとない言葉を掛けることができる。そしてそれは、俺が今まで相談をした中で初めて掛けられた言葉だった。

「あ、ごめんなさい、まるで他人事みたいに。いい言葉が浮かばなくて」

 女性はあたふたしながら言った。もしかして、俺の心でも読めるのだろうか。

「気にしてないですよ」

「よかった……。あ、そうそう、これだけは言わせてください」

 女性は安堵した後、立ち上がった。そして、人差し指を立てる。

「辛いときは逃げてください。相談してください。他の人がダメなら、私に。絶対に一人で抱え込んじゃダメです。人間は一人じゃ生きていけないんですよ?」

 その言葉でハッとした。確かに、辛いときに逃げたことはなかった。他人への相談もいつしかしなくなっていた。全て自分一人で抱え込んでいたのだ。しかし今は小林さんがいる。親身に聞いてくれて、優しい言葉をかけてくれる人がいる。

「ありがとうございます。なんか……すごく楽になりました」

「それはよかったです!」

 この日の残りの時間はいつもよりも晴れやかな気持ちで話せた。そして今日の満開の桜はいつもよりも綺麗に見えた。

 次の日も午後を小林さんと共に過ごした。今日の彼女は少し元気がなさそうに見えた。しかし俺を心配させまいと笑顔を作っていた。その笑顔の裏には何かあるように感じた。


 さらに次の日、俺はいつもの通り公園に向かった。到着し、ベンチを見るも小林さんはいなかった。まだ来てないのだろうか。俺はベンチに座り桜を見上げる。桜の花びらは、もう散り始めていた。満開の時期は過ぎてしまったようだ。

 そのままいつまでたっても小林さんは来なかった。陽が傾き、そろそろ帰ろうかと立ち上がった時だった。病院の看護婦と思われる女性が立っていた。

「柳井さんでしょうか?」

「……そうですけど」

 看護婦が俺に近づき、手に持っていた封筒を差し出してきた。

「これ、小林咲良さんからの手紙です」

 俺は封筒を受け取り看護婦にお礼を言った。すぐにベンチに座り、封筒を開ける。その様子を看護婦は少し離れた場所で見守ってくれていた。


 柳井さん、こんにちは。お元気ですか?

 今、この手紙を読んでいるということは、今私はもうそこの病院にはいません。もっと大きな病院にいます。

 あの公園で大好きな桜を眺めながら柳井さんと話した時間はとても楽しかったです。最初のころは私がずっと一方的に話していたのに、柳井さんはずっと聞いてくれていましたよね。私、とっても嬉しかったです。

 柳井さんがご自身のことを話したときは、「やっと話してくれた!」って内心とても喜んでいました。でも、話を聞いてみるととても辛い過去だったみたいで、なんて言えばいいのか、どんな言葉をかければいいのかわからなくなっちゃいました。ごめんなさい。

 でも、柳井さんならきっと大丈夫です。今まで辛かったとしても、それでも前を向いて進んでください。いつまでも塞ぎこまないでください。勇気を出して一歩を踏み出さないと、今の暗い状況は変わらないと思うんです。

 私も今、病気と戦っています。手術とかは怖いですけど、元気になれる日を夢見て、勇気を出しています。どうか、柳井さんも勇気を出してみてください。


 今までありがとうございました。


 小林 咲良より


 気づけば俺は泣いていた。手紙を読むと、自然と涙が溢れていたのだ。泣くのは何年ぶりだろうか。

「昨日の夜、咲良さんから渡されたんです。もし私が別の病院に行くことになったら……って」

 この手紙は昨日書かれたものだとわかった。

「では、私はこれで……」

 看護婦がそう言って立ち去ろうとした。俺は思わずそれを呼び止め、小林さんの病院を聞いた。しかし、それは言えないと言われた。俺は、また明日同じ時間に来てもらうように伝えた。どうしても渡したいものがあったのだ。看護婦はわかりましたと言い病院へ戻っていった。俺は桜を見上げた。桜の花びらはもう、かなり散ってしまっていた。


 次の日、俺がこの公園に通い始めて七日目のこと。俺は昨日と同じ時間に公園に向かった。右手に俺の想いの詰まった封筒を持って。

 公園に到着し少し待つと看護婦がやってきた。俺は手に持っている封筒を看護婦に渡した。看護婦は必ず渡します、と言ってくれた。

 そして俺はその公園を立ち去り、そのままの足で仕事を探しに行った。小林さんが病気に勇気を出して戦っている。それなら俺も勇気を出さないでどうするんだ。そう思ったのだ。


 一年の月日が経った。俺は新しい職場でごく普通に働いている。地元の両親の誕生日にプレゼントを持っていく余裕もできた。それもこれも、全て小林さんのおかげだ。あの人がいなければ俺は今頃どうなっていたのだろうか。

 桜舞う季節。今年も川沿いの桜が咲き誇り、大勢が花見をしている。俺はそれを横目にとある公園に向かった。人気のない、桜の木が一本だけ植えられている公園。俺は桜の下のベンチに座り桜を眺めた。春の心地よい風に吹かれ、桜の花びらが舞う。それはとても美しい光景だった。

「柳井さん……いや、和也さん!」

 後ろから女性の声がした。その声の主は振り返らなくてもわかった。なにせ、今日この時間に会えるように、手紙で連絡しておいたからだ。

 俺は立ち上がり、振り返った。するとそこには……。



 満開の笑顔が咲き誇る、「さくら」がいた。

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サクラ咲く おがめ @ogame0522

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