ゆゆゆ幽霊展
沈黙静寂
第1話
目の前の三人組に向けて助走をつけて殴りかかった。スカッとしたのは精神状態ではなく一方的に語りかけた拳の方で、いやしかし精神と言って構わないかと納得させるようにそのまま地面にめり込んだ。思いと勢いを込めたパンチもこの御時世厳しいものだなと時流に流され排水溝に膝を埋める。
私は幽霊。その事実に気付いたのは一週間程前、ショートスリーパーだったはずの私が珍しく長い眠りを味わえたと思えば、覚醒したのは昼過ぎ、この三人組の後ろでぽつり立っていた。何処でも寝れるのび太くんではないからその不自然さを察知し助けてドラえもーんと三人に声を掛けたら無反応だったので、ジャイアンらしく「おい」肩に手を掛けても振り返ることはない。鈍感な女子はモテるかどうか知らないけどあまりの無視ぶりに鋭敏に心を抉られ、下ろした手は一人の上腕三頭筋を曖昧に通過した。不自然さは却って確かなものとなり、やがて幽霊であることを自他共に認めると無反応は無視というより不可視、不可聴だったことに安堵した。
幽霊は街の中にぽつぽつと存在する。私と同様彼ら彼女らは服を着て寝癖を整え、行ってきますの接吻を朝から激しく求めてはいないだろうけど生身と変わりない様相の為、見分けが付かないが代わりに生身とは異なりコミュニケーションを取ることができる。形振り構わず話しかける羞恥心を肉体ごと捨てた私はそれを試み、同族を発見することでこの世界に対する知見を深めた。
幽霊の特質は幾つかある。まず基本中の基本、幽霊は生身から見えず聴こえず、生身は幽霊から見えるが聴こえず、幽霊同士では意思疎通が取れる。声帯や口を動かす必要はなく一定距離の内でテレパシーのように交信できるようだが私は生身時代の癖で口を動かしてしまう。基本外の基本とはこれ如何に、幽霊は物体や幽体を透過し接触は不可能。足下に沈めばマントル遊泳、頭上を意識すれば舞空術だって使えるので場外負けになることはない。移動速度は生身の徒歩並みだから経済性はあれど味気のないボーリング調査を実施する気にはなれない。関係ないけど駅からの所要時間徒歩何分を信じて進むと倍近くかかるのは私だけか?あれ絶対不正に直線距離で計算してるよ。今なら行けるけど。それと上空方向には注意が必要だ。幽霊はある程度の高さまで昇ると成仏する。私含め現世を惜しむ幽霊達は怖がって精々身長分しか浮遊せず、稀に空を飛ぶ幽霊を見つけると参考資料としてインタビューに向かう。今のところ成仏の場面を舐めるように見回す嗜好の幽霊には出会えていないが、恐らく宇宙を拝むことはできないという通説が流布している。真理を知りたければ生身で努力しろという啓示に平伏しつつ、幽霊煮込みでないのはそういう訳かと人混みが苦手な私や成仏志願者にとっては救いがあることに感謝した。私は特別成仏や高所を恐怖しないがこれまた生身を回顧する目線で歩いている。まぁ前者は少し怖いか。死の痛みを忘れているから、なのかは分からないけど。あとスカートの中丸見えだし。幽霊は生前の日常で身に付けていたものを纏う。例えば私は制服姿で脱衣はできない。教室に侵入して生まれたままの姿に視線を集めることはできない。そんな奴いないと思うけど。
幽霊界隈で有名な話はこの辺りか。自殺やら事故やら様々な凄惨な死に際を聞き込み調査してきたけど、皆何処かすっきりした表情をしていたな。確かに死に怯える生者を空から見下ろすのは機嫌麗しい。私は一体何故死んだのだろう。そうだ忘れていた、私にとって何より重要な特質は生前の記憶が欠ける場合があること。事実私は一般常識や家庭の記憶には恐らく抜けはなく、家から学校までの道程は勿論、幼い頃尿意を我慢できず漏らした後下着を空き地に土葬したことだって覚えている。この記憶まで作り物でない限り私はこの世界のネイティブではなく確かに生を授かっていた。分からないのは校舎の中身、クラスの面々やこの三人組のことだ。思い出そうと頭を捻っても記憶が校門の前で裁断される。特にこの三人組は近くで覚醒した以上、死因との関係を勘繰らざるを得ない。
家や学校と色々探してみたがまだ死因は解明できていない。どのクラスも悲しむ動作を表現しないし両親は淡々と家事と労働に従事する。まさかこいつらがやったんじゃないだろうな。然るべき所で死亡診断書を盗み見すれば分かるだろうけどそれは最終手段。自由を手にした精神は海外旅行や人間観察で暇を潰すより、探偵気分に溺れて死因探しすることを当分の存在理由と決めた。
三人の名前は不明なので自転車の邪魔になりそうな列を組む内、左端の黒髪をA、中央の茶髪不良少女をB、右端でスケッチブックを構える背丈の低い少女をCと親に代わって命名することにした。Cは無害、Aは木の棒で突けば石を投げてくる性根、Bはすれ違うだけでバットを振りかざしそうだと我が娘達の行く末を心配しつつ、程々に楽しそうには見える。この中で私を嬲り殺すとすればBだろうがヤンキーは実は人情に厚いと漫画で習ったから偏見は慎むことにした。読唇術を心得ていない私は彼女達の音声を理解できない中で、Cのスケッチブックが唯一の情報源になってくれる。失語症と思しき彼女にとっては習慣化した不幸が私の不幸の手掛かりとして期待されるのは数奇な巡り合わせだ。幽霊の立場に立てば最もリテラシーの高い彼女の言葉を眺めていると、『ふむふむ』『うぃっす』『何だってー!』『わくわくすっぞ』これは最後を除き相槌として理解できるが、『今日はカツ丼』『その人わたしと良い勝負出来そう』『それってパンダじゃん』『
『幽霊っていると思う?』
そうかと思うと油断した目がぴくっと反応した。
『わたしはいると思うんだ』『そうでないと希望がないでしょ?』『安心して死ねるから』
最近の女子高生の間では死後について語るのが流行っているのだと今日初めての収穫を得る。
『勿論死にたくないけど』『死にたいなんて本気で言う奴いるの?』『わたしはそう言う奴が許せない』
Cの筆記速度が加速して見逃さないよう必死に追う。
『あいつは死にたいと呟いていた』『あいつがいるとイライラする』『あいつ本当気持ち悪い』
『どうして欲しいの?』『五月蝿いから幽霊にでもなって欲しい』『いや綺麗さっぱり成仏して欲しい』
『あいつのせいで』『わたしの人生』『台無し』
Cは無音のまま捲し立てると『別にどうでもいいけど』優しく油性ペンをなぞり挙動を安定させる。顰めた眉を弛緩させて浮かべる柔和な笑顔が何故か私の胸を透過せず刺さる。左を向いて揺るがない態度と中途半端な文量の擬しさを痛感する。あいつが誰を指すか断言できないがやはり彼女達が重要人物であることの信憑性は増した。
その後Cの発言内容は再び一貫性を紙面の外に捨てにこやかな会話に戻った。時々画面の更新が二人の波に合わず焦る場面があり、長年の仲かどうか知らないけど三人以上の関係の難しさを目の当たりにした。二人は特にCを待つことなく口を歪める様を受ければ、彼女達にとってはこれが普通なのだろうか。それとABはCに比べて笑顔が少ないことが経過観察から伺えた。下手に気を遣われない関係を築くCが何処か羨ましいと思った。その笑顔分けてくれと遠い頬を抓りながら睨めっこする。
『バイバイ』岐路に着けば三人は手を振って三叉に散っていく。私はどうしようかなぁと悩むまでもなくCの後ろを尾行する。現段階、最有力者の家を特定できれば更なる追加情報、願わくば過去のスケッチブックが閲覧できるかもしれない。ABの実名程度では記憶を蘇生できなかったからもっと決定的に死因へ繋がるページがあるといい。
時々背後を一瞥する防犯意識に最近物騒だから殊勝な心掛けだと感心しながらCの家まで無事案内してもらい部屋に招かれる。思惑通り過去のスケッチブックが机に並べてあり、捲ろうとして思い出す。そう言えば触れないのだった。私ったら間抜けねとドジっ子らしく転んだ拍子に透過して紙厚でスライスさせた視界を凝らすと何とか識字できた。Cの手持ちボードも同様に確かめればいいじゃないという声を幻聴したけど手持ちは油汚れのように下腹部と接着させているから別のものまで覗くことになるのだよ。私が模倣するのはストーカーであって痴漢ではない。しかし結果としてインクの染みに私の名前や話題は映されていなかった。部屋の他を荒らし回ったところで下校時を超える物品は出てこなかった。だけど何処か引っ掛かる。壁に貼り付いた世界地図を眺め地名暗記に集中するCを横目に思う。私も生きてる頃はよくやったわい。
今日はこの辺で勘弁してやろうと、同年代の入浴や就寝を覗く勇気のない私は部屋を出ることにした。出過ぎた真似は正常な成仏に響くかもしれないし。生身時代知合いの部屋にお邪魔する機会なんてなかった。大人の階段浮遊したかなぁうふふと三メートル跳ねながら、「おかえり」が返ってこない我が家に戻った。
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