第14話 『魔女』が生まれる時

■その14 『魔女』が生まれる時■


 とても質素な室内だった。

しかし、アデイールは窓以外の壁を埋め尽くす書物に親近感を覚えた。

その唯一の明かり取りの窓の下、小さなベッドで寝込むエヴァの汗を、シオンは優しく拭っていた。

 イネスは古き魔女の助言通り処置をし、作った薬を強引に小さな体に流し込んだ。

後は時間が経つだけだとシオン達に帰路を促したが、誰一人従うことはなかった。


「案外、優しいのね」


 部屋の中央のテーブルで頬杖をつき、シオンの背中を眺めていた。


「お言葉だねぇ。

今からでも、古き魔女たちにくれてやってもいいんだよ」


 人数分のお茶を乗せたトレーを持ったリュヤーと、果物の入った籠を持ったギャビンを携えて、イネスがドアを開けて入ってきた。


「若い血肉は直ぐに力となる。

喜んで八つ裂きにして、骨の一欠けらも残さずに食べてくれるだろうさ」


 気味悪く笑いながら、イネスはアデイールの正面に腰を落ち着かせた。


「やろうと思えばやれたじゃない、さっき。

なんで隠してくれたの?」


 リュヤーが置いてくれたティーカップは欠けていた。

少しだけ眉を寄せたものの、短くお礼を言って、一口口に含んだ。

途端に、酸味を含んだ甘みが広がった。


「お前さんは、一国の姫様だろう?

警戒心はないのかい?

その身に万が一のことがあったら、国民が困るんじゃないのかい?」


 呆れたイネスに、アデイールがお茶を指さした。


「これ、シオンのお茶でしょう?

いつも飲んでいるから、香りでわかるわ。

 ・・・私に何かあって困るのは誰かしら?

幸か不幸か、まだ嫁ぎ先は決まってないし、国だって継ぐのは上のお兄様だし・・・」

「あの綺麗な人?」


 アデイールの右側に腰を落ち着かせたリュヤーは、お茶を飲みながら聞いた。


「あれは、下のお兄様。

王位継承権は三番目よ。

しかも、私も下の・・・リアムお兄様も私も、お母様は正妻ではないから。

扱いがぞんざいなの。

でもまぁ、好きな事やらせてもらっているけれどね」


 ああ、だから共もろくにつけずに、国外れの小さな村で伸び伸びと過ごしていたのか。

と、リュヤーは納得した。


「俺も、兄上は八人居る。

全て母は違うが、すべて正妻だ」

「ああ、リュヤーの国は一夫多妻制なんだね。

素敵な国だ。

 おや、このクッキーに入ってる薔薇は、シオンの薔薇だ」


 アデイールの左側で、ギャビンは二枚目のクッキーを味わいながら、意味ありげな視線をイネスに向けた。


「魔女は長い年月を生きた後、『知識の樹』となる。

あの空間に有った老木は、全て歴代魔女の慣れの果てさ。

若き魔女は、聞きたいことがあれば、質問に相応しい魔女に対価を払って聞くのさ」

「相応しいって?」


 ギャビンが毒見をした後に、アデイールがクッキーに手を伸ばした。


「ワタシたち魔女も統べてを知っているわけじゃない。

その者その者によって得手不得手があるのさ」

「なぁなぁ、さっきシオンに「魔力を与えた」って言っていたじゃん?

あれ、どういう意味?

シオンも魔女・・・じゃないか、魔法使い?になるのか?」


 果物を頬張りながら、リュヤーが聞く。


「さっきの魔力とは知識のことだよ。

お前たちは、自分の常識から外れたことは全て魔術と呼んでいるがね」

「あ・・・おじ様に黒死病の対処を教えたの、貴女ね。」


 アデイールの言葉に、イネスは不気味に口元を歪めた。


「あやつの願いは、黒死病の対処法なんかじゃなかったのさ。

 病がまん延したあの村に、防護服もマスクもつけず、幼子の手を引いてワタシを訪ねてきたのさ。

正気の沙汰じゃないだろう?

あやつは、自分の妻を助けたい一心で、己どころか我が子をも危険にさらしたんだよ」

「・・・おば様を助けたいって・・・」


 固唾を呑み込んだアデイールの目の前に、リュヤーが勢いよくカップを置いて立ち上がった。


「シオンは元気に育ったんだ、それでいいんじゃない?

 それより、そろそろ邸に戻らないと、リアムが怒り出すんじゃないかな?」


 言いながら、ギャビンは強引にアデイールを立ち上がらせた。


「黒死病だよ」


 そんなギャビンなどお構いなしに、イネスは言葉を続けた。

三人の動きが止まった。


「あやつの妻は、黒死病に侵されていたのさ。

・・・ああ、どこか見覚えがあるかと思ったら、あそこにいた幼子だったか」


 瞬間、ギャビンは恐ろしいほどの殺気を込めて、イネスを見下ろした。

心の奥深く、誰にも触らせないように隠していた心の傷を、気味の悪い笑みを浮かべながらこじ開けられた。


「お前にとっても、大切な者だったのだろう?」


 恐ろしいほどの殺気が含まれた視線を真正面から受けて、イネスは不気味に笑いながらなお続け、気迫に飲まれたアデイールとリュヤーは、背筋に冷たい汗を感じた。


「あの夜は、終わりであり始まりの時間だった」


 ギャビンのばされた手が腰のサーベルを握った瞬間、リュヤーの両手が上から重なった。


「この手をどけろ」


 殺気を含んだアンバーの瞳は、声もなく不気味に笑う老婆を映す。

黒い瞳は怒りのあまり顔色を失い、いつも以上に美しい男を映していた。


「駄目だ、ギャビン。

落ち着いて・・・

オレも聞きたいことが・・・」


 リュヤーがこの後、どう落ち着かせようかと考えを巡らせていた時、横から飲み頃になったお茶が二人に掛けられた。


「・・・アデイール」


 驚いたリュヤーが袖で顔を拭いながら横を見ると、お茶のポットを持ったままのアデイールが呆れた顔で立っていた。

ギャビンはそのまま動きを止めた。


「火傷の心配はないわね。

 ここは魔女のテリトリーよ。

下手なことして、古き魔女達の栄養にされたいのなら、私が帰ってからにしてちょうだい。

巻き添えは御免だわ」


 冷たく言い放つと、そっとシオンの方を見た。

この騒ぎでも、じっとエヴァの傍につき、あふれ出る汗を拭っていた。


「あの黒死病に、貴女は関わっていたのね?イネス」

「勘違いしないでおくれ。

あの流行病を出したのはワタシ達魔女じゃぁない。

 植物も動物も、日々新しい生命は生まれる。

人間の目に見えるモノだけでなく、見えないモノだってそうさね。

その新しい命に、人間がどう関わるかで、その生命のその後が変わる。

人間社会から恐れられ排除されるか、共存できるか・・・ちっぽけな人間が決めるのさ」


 イネスの言葉に、アデイールはイスに座りなおした。


「・・・道端に生えている草が、ただの雑草でしかないか、万病の薬となるか、毒となるかは、そこにいる者次第ってことね?」

「蜂を知っているかい?

あれは、花々にとっては子孫を残すために受粉を手助けしてくれるが、肉食の昆虫や動物には食事であり、ワタシ達人間にとっては栄養価の高い蜜をくれる昆虫だね。

まぁ、あの針で刺されれば、下手したら命を落とす者もあるがね」


 賢い者は好きだよ。


そうイネスは言いながら、先ほどとは違い、優しい笑みを浮かべた。


「あの男は、貿易を生業としているだろう?

世界を見ているだけ、頭は柔らかい。

ただ、あの時はその柔らかさが仇となったんだね」


 そこに戻すか・・・と、リュヤーは心の中で突っ込んだ。


「ちょっと待ってイネス」


 アデイールはイネスの話を片手を立てて遮り、横目でギャビンとリュヤーを見た。


「私は、イネスの話に興味があるわ。

だから、暴れて邪魔をするなら帰って頂戴。

一緒に聞くなら、座りなさい。

目障りだわ」


 その言葉に、リュヤーは素直に席に着いてギャビンを見上げた。


「オレも、聞きたいことがある。

ギャビンも心にシコリがあるのなら、今話をしたほうがいいと思う。

・・・サーベルを抜きそうになったら、オレが止めるから」


 純粋な黒い瞳に毒気を抜かれたのか、ギャビンは大きなため息をついて荒々しくイスに座ると、胸元から出したハンカチで顔や髪のお茶を拭いた。


「黒死病は人間にとってだけ脅威で、他の生物には有益と言いたいのか?」


 そう言うギャビンの表情は幾分戻ってきたものの、発する声にはまだ殺気がこもっていた。


「何かの『モノ』には、そうかもしれない。

自然の摂理とでも言おうかね。

自然の中で、人間は特別なモノではなく、他と同じで一部に過ぎないんだよ」


 その返答に、ギャビンは再び大きなため息をついて立ち上がった。


「ハエ退治してくるわ」


 ギャビンはいつもの軽い調子で言いながら制服のボタンを開け、ドアに向かいながら脱いで肩にかけた。


「出来れば、私が戻るまで待っていて欲しいわ」


 アデイールの口調はいつもと同じだったが、その声がリュヤーには心なし心配しているように聞こえた。

そして、その声をギャビンは背中で受け、振り返りもせずに片手を挙げてドアから消えた。


「さて、何を聞きたい?」


 きちんとドアが閉まったのを見て、イネスが口を開いた。


「あなたの話してくれることは、とても興味深いし勉強になるわ。

けれど、これから聞こうとしていることも、今まで聞いたことも、貴方達魔女のルールでは対価が必要となるのでしょう?」

「本当に賢い子だ」


 見慣れ始めた不気味な笑みを浮かべながら、リュヤーを指さした。


「そうさね・・・まずお前の名前は?

聞きたい事は何だい?」

「オレの名前はリュヤー。

 聞きたいことは、赤ん坊の事だ。

街の酒場で聞いたんだが・・・」


 年頃の女性であるアデイールを気にしてか、リュヤーは言い淀んだ。


「魔女が赤子を攫う。

それぐらい、私も知っているわ。

魔女は、サバトで赤子や幼児を生贄にすると言われているわね。

私は自分の目で見たことしか信じない主義よ」


 そんなリュヤーの心境を察してか、アデイールがさらっと口にした。


「その・・・オレが育った国では魔女は居なかったが、病を治す薬に動物の一部が使われていたのも知ってる。

さっきの話を聞いて、もしかしたら人間も薬になるのじゃないかと思えて・・・」


 リュヤーは自分の考えが恐ろしかった。

勘違いだったとしても、こうして言葉にしてしまうと本当になってしまうのではと思った。


「何かにとって毒でも、何かにとっては薬になる。

逆も然り。

それが答えだよ。

 ただし、この森の魔女は赤子も幼児も攫わない。

ワタシやエヴァが町に居たらどんな扱いを受けると思う?」


 スッと、枯れた枝のような指が、シオンの背中をさした。

二人の視線はその指を辿り、シオンの背中を見ながら、その影で寝込んでいるエヴァを思った。


「黒い肌に、緑の髪と瞳。

まぁ、この国の者とは見た目が違うから、いい扱いはされないわね」

「それを言うなら、オレもだ。

だけど、この制服のおかげで、嫌な視線を向けられたぐらいですんだ」


 ギャビンの実家の街で、自分に向けられた悪意のある視線を思い出し、少し気分が悪くなった。


「それは、拾われた先が良かっただけだよ」


 フン、と鼻で笑って、イネスは続けた。


「この国は豊かではない。

幾度となく食糧難になるも、畑を耕せども耕せども収穫は薄く、立地や経済面でも他国との貿易も難しい。

しかし、赤子は生まれる。

母親は乳を与えるために食べなければいけないが食料はない。

それどころか、仕事ができない赤子や幼児は重荷にしかならない。

じゃぁ、生きていくためにどうすればいい?

答えは簡単さ。

消してしまえばいいんだよ。

間引くのさ。

一つの実を大きく美味く栄養たっぷりに育てるのと同じさね。

労働力になり生殖能力のある上の子を、または、将来働き手になる男を生かすんだよ。

初めの頃は、親が自分たちの手で間引いていたがね、そのうち罪悪感に耐え切れなくなったんだろうよ。

いつしか食糧難になると『悪しき者』が赤子や幼児を攫って行くようになった。

間引かれた子の中には、大人の都合で生まれてきてはいけない赤子もいた。

または、異形の赤子とかな。

『悪しき者』はいつしか『魔女』と呼ばれるようになった。

『魔女』は攫った赤子や幼児をサバトの生贄にしたり、秘薬にする・・・

まごうことなき理由がつけられ、姿なき存在が生まれた。

街や村で凶事が起こると、それらしき女の正体を『魔女』にしてしまえば民衆の狂気、恨み、悲しみ、妬みそんな負の感情はそこで発散されて凶事は終わる。

間引く手間も減る。

まぁ、年頃の娘は売れば金になる。

売られた先は、それこそ生きるか死ぬか・・・

生きるにしても、無事に生を全うできるとは決まっていないがね。

それも、昔は『魔女』が迎えに来たと言われていたのさ。

ただし、ここいらを縄張りとする『魔女』は姿を持っていた。

国境の大きな森に住んでいると言われ、間引かれた赤子や幼児は森を少し入ったところに置いて行かれる。

そうすれば、後は『森』という自然の摂理に取り込まれる。

ただ、どうしたことか、稀に動物が森の奥まで連れてくことがある。

その赤子が『次の魔女』となるんだよ。

ワタシもエヴァも初めからこの容姿だが、中には金の髪や青い瞳の赤子も居たらしい。

そんな赤子も、時間とともに緑の髪と瞳になるようだよ。

大雨や竜巻といった自然の大きな災いも、『魔女』の仕業とされた。

もちろん、流行病も。

国の者にとって都合の悪いことは姿がある無いにしろ『魔女』の仕業なのさ。

そうしておけば、国民の不満は国には向かず治め易いのさ。

不満が爆発すれば、国民はそれらしき娘や女を『魔女』や『魔女の仲間』として拷問にかけ、最後には殺してしまう。

そうして、不満や恐怖は解消され日常を取り戻すのさ。

だから、王は『魔女』を不可解な力が有り恐ろしい者とし、生かしも殺しもしないんだよ」

「・・・そこまでなんて

・・・知らなかった。

でも、教会は?

教会が黙っては居ないでしょう?」


 もう一度小さく、知らなかったとアデイールは呟き、そっとエヴァの方へ顔を向けた。

相変わらず、シオンの背中で見えない。


「本にして、残しておくものでもないだろう?

総て、口承さぁ。

時には音楽にのせ歌い、民衆の感情を煽り立て、時には不安で胸が張り裂けんばかりの妊婦の枕もとで語る。

いつしか『魔女』の始まりは消え、間引くといった方法や魔女狩りの結果だけが残った。まぁ、まれに本物もいるがね。

ワタシ等この森の魔女については、一部の古い者と、王と、一部の者しか知らない話さ。

もっとも、それもそろそろ終焉だろうねぇ」


 アデイールの心を思ってか、イネスは席を立つとエヴァの傍に立った。


「おや・・・思ったより解毒が早いようだね。

 呼吸も安定し始めているし、心なし血色も戻り始めているね。

強い子だよ」


その言葉で一番安心したのは、シオンだった。

離れて背中しか見えないリュヤーにも、シオンの全身から力が抜けたのが分かった。


「ワタシは今までの魔女の中では変わり者だった。

生まれが生まれだ、先代たちは皆、人間を憎んでいたのさ。

『魔女』の話は、拾われた日から、子守歌代わりに聞かされるからね。

恨みの芽は確実に芽吹くだろうよ。

しかし、ワタシは好奇心の方が勝ったようでね。

よく森を留守にしては師に怒られたものだよ。

ワタシは魔女の出来損ないなのさ」


 イネスは自虐的に笑い、そっとエヴァの頬に触れ、その体温と発汗の様子を確認した。


「もう一息といったところだね・・・

清楚な娘よ、娘の着替えを頼めるかい?

必要なものはそこの引き出しに入っているだろうよ。

太陽の子よ、隣の部屋に干した薬草があるから、発汗性の物を選んでお茶にしておくれ。

夢の子よ、ワタシについておいで」


 一人ずつ指をさしながら指示を出すと、イネスは静かに部屋から出ようとしてリュヤーの前を通る時に、戸惑っていたリュヤーの耳を引っ張った。


「夢の子よ、お前の名前はお前の国の言葉で『夢』という意味だ。

そんなことも知らないのかい?

 ほら、おいで」


 呆れたイネスは、リュヤーの耳をひっぱったまま、部屋から出て行った。

リュヤーの悲鳴が尾を引いていた。


「確かに、私の名前の意味は国の言葉ではないけれど『清楚』だわ。

『気高い』という意味も持ち合わせているけれど。

イネスって、本当に物知りなのね。

あら、でも、シオンは何で『太陽』なのかしらね?」


 イネスに指示された通り、引き出しを開けてみると汗を拭くのに手ごろな布と、洗濯済みの服を見つけた。


「仮にも一国の姫である私にこのような事を・・・

エヴァが小柄で助かったわ。

貴方達みたいに大柄だったら、華奢な私は潰されてしまうもの。

・・・心配なのはわかるけれど、お茶は貴方しか作れないのだから。

頼んだわよ。

 レディーの着替えよ。

堂々と見るなんて盗み見よりたちが悪いわよ」


 着替えの用意を済ませると、エヴァを見つめたまま動かないシオンの背中を、アデイールが勢いよく叩いた。

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