第12話 魔女を恐れる者達
■その12 魔女を恐れる者達 ■
大きなバスタブにたっぷりのお湯。
浮いているのはレモンバームの葉、リンデンの花にレモンバーベナ、少々のスペアミントとオーデコロンミント。
そして、リラックス効果のあるマジョラム。
その中心に、波打つ緑の髪と褐色の肌を持つ少女が目をつぶり、大人しく浸かっていた。
シオンの邸のバスルームは、研究棟のそれと変わらないぐらい大きく、裏口のすぐ近くにあった。
それは、研究棟から帰宅したシオンや、長い航海から戻った主がすぐに身を清められるように、との配慮からだった。
「しみるわよね?」
きめ細かい肌には、所々に大小のかすり傷があった。
そこは極力優しく、上から抑えるように、アデイールは後ろから丁寧に洗っていた。
「・・・一人で出来る」
体を包むお湯、ハーブの香り、アデイールの優しい手付きは、正直とても心地よかった。
しかし、体の緊張は完全に解かれていなく、警戒していることが分かった。
「あのね、この私をこんな姿にしておいて言うことかしら?!
シオンの頼みでなければ、やるわけないじゃない!」
厭味ったらしく言葉を投げつけるアデイールの姿は、結った髪もみすぼらしく解れ、下女のように袖をまくり、むき出しになった両腕は生傷がいくつも付き、全体的に濡れていた。
「・・・」
湯に入れ、体を洗うまで、二人はそれこそ取っ組み合いの喧嘩をしていた。
そんな姿にしてしまったことに、少しは罪悪感を感じていてか、少女はキュッと唇を噛み締め、下を向いた。
「・・・珍しく、こぼしていたわ。
矢で射られた瞬間、空から落下した瞬間、心臓が止まった。
って、シオンが」
小さなため息をつき、優しく話しかけながら、アデイールは再び少女の体を洗い始めた。
緑の鳥に姿を変えた少女は、森を抜け村を横切り、ギャビンの実家がある街にさしかかった時、どこからか放たれた矢に貫かれた。
運良く頭や胸ではなく、羽根をかすめた位だったが、ショックで気を失い落下しながら人間の姿に戻った。
馬で追っていたシオンは、慌てて乗馬したまま抱きとめたところを、数人の男に囲まれた。
「・・・シオンは、怒っているのか?」
「怒っていないわよ。
何故、そう思うの?」
「・・・居てくれない・・・」
シュン・・・としてしまった。
そんな少女の正面に回ると、アデイールは腰を落としてバスタブの縁に頬杖をついて少女を見た。
「この村と隣の街は、もうすぐ収穫のお祭りが始まるわ。
それを目的に、近くの街や村からも、大勢の者たちがあの街に滞在し始めているわ。
純粋に祭りを楽しむ者が殆どだけれど、中には狼藉を働く者もいるのよね。
そんな不埒な中には、人攫いもいるのよ。
貴女みたいに他と変わった見た目は、格好の餌食よ」
「シオンは、私を助けてくれた」
意識のない少女を抱いたまま、数人を馬上から切りつけ逃げ出したシオンは、たまたま見つけたギャビンとリュヤーと共に、追いかけてきた男たちの両目と口を切り裂き、邸まで一気に馬を走らせた。
「そうね。
だから、いろいろと報告しなければいけないのよ。
あんな三人でも、一応は国に務める者だから。
それと・・・」
アデイールはピッと少女を指さした。
「シオンは貴女を女性として見ているわ。
心臓が止まる思いをして、剣を振るって血を見て・・・
感情が高ぶっている自分が、貴女の身を清めたりしたら、傷ついた貴女に何をしてしまうか分からなくて怖いのよ。
大切にされてるわね。
そして、私達はシオンの仲間よ。
だから、貴女も羽化した雛の刷り込みじゃないのだから、シオン以外に敵意を剥き出しにするのはやめてちょうだい」
「・・・ごめんなさい」
素直に謝ったエヴァを見て、アデイールはわざと大きなため息をついた。
「私はアデイール。
貴女は?」
「私はエヴァ。
森の娘だ」
出された白く華奢な右手を、エヴァはオズオズと握った。
「これで、お友達」
その笑顔はても柔らかく、エヴァは最後の警戒を解いた。
「でも、植物以外なぁ~んにも興味を示さないシオンの心を奪うには、どんな魔法を使ったのかしら?
森の娘なら、魔女なのでしょ?」
「私は、まだ魔女にはなれていない。
師に教わっていることは、薬の作り方だけだ」
「ふぅぅぅん・・・まぁ、いいわ。
騒ぐような傷もないみたいだから、さっさと森に帰ってね」
「ああ・・・」
なんだか、突き放された感じがした。
「アデイール、それは私が決めることだ」
いつの間に来たのか、両袖をまくり、白い服を持ったシオンが入り口に立っていた。
「いいえ、私が決めることよ。
ここは貴方の邸であっても、私の管理下だわ」
「随分と、横暴ではないか?」
シオンはエヴァの後ろに立つと、大きな布で小さな体を包み込み、湯から一気に抱き上げた。
「貴方の頭は逆上しきっているようね。
いい、シオン・・・」
再び声を上げたアデイールの言葉を、走ってきたリュヤーが遮った。
「大変だ!
なんか知らないけど、鍬とかナタとか刃物持った人が大勢門に押し寄せてきた」
「ああ、もう!
これが、心配だったのよ」
大きくため息を落とし、アデイールはリュヤーに落ち着けと言わんばかりに、片手をあげた。
「後始末が甘かったみたいね。
裏から出なさい。
誰か!私の支度を」
一気に空気が変わった。
冷たく言い放つと、アデイールは部屋を出ながら声を上げた。
「シオン・・」
「エヴァ?」
か細く自分を呼ぶ声に、腕の中に抱えたエヴァを見ると、艷やかだった皮膚からは生気が抜け、びっしりと大粒の汗をかき、荒い呼吸を繰り返していた。
「遅効性の毒でも塗られていたか?」
再び戻ってきたリュヤーは、そんなエヴァの頬に手を当てた。
「外はどうだ?
この邸ではたいした治療が出来ない。
隣に行く」
しっかりと抱きしめるシオンの両腕が、次第に熱さを感じ始めた。
アデイールに言われたとおり裏口へと回ったが、窓から見慣れない農民の姿を確認して、壁に隠れるように足を止めた。
皆、武器となる農具と松明を手にしていた。
「囲まれた」
「なら、正面からの方が身動きがとりやすい」
踵を返し、正面のドアに向かうシオンとリュヤーの耳に、人々の争う声が聞こえてきた。
「魔女を出せ!」
「おりません」
「いいや、ここに手負いの魔女が逃げ込んだはずだ!」
「魔女を出せ!」
「おりません!」
使い込まれた農具と松明を掲げ、十数人の農民が正面玄関を囲んでいた。
その厚いドアの前に盾となって凛と立っているのは、ドレスに着替えたアデイールだった。
「姫様、ここの邸は魔女を匿っています。
姫様は騙されているんですよ!」
「姫様、この邸を野放しにしていたら、また流行病が出ちまう」
「そうだそうだ。
その前に、燃やしちまった方がいい!」
「燃やせ!」
「燃やせ!」
「魔女と共に燃やせ!」
声も高々に、人々は低い階段を上がりアデイールとの距離を詰め始めた。
「誰が見た?」
先頭の農夫が階段を上がりきった瞬間、その垢と日に焼けた喉元にギャビンの抜いたサーベルの剣先が当たった。
「魔女を見た?
誰が見た?
どんな魔女だ?」
「・・・それは・・・」
喉元に当っている冷たさに、男はそれ以上進むことが出来ず、視線だけをギャビンに向けた。
「街に飛んできた魔女を射った者がいるって・・・」
「傷ついた魔女を、ここまで連れ帰った男がいると・・・」
ボツリボツリと、そこかしこから声が上がり始めた。
「そんな与太話を信じて、大事な仕事をさぼってきたのか?」
ギャビンは鼻で笑って、サーベルを鞘に収めた。
「その話を信じるとしたら、私やアデイールは魔女の片腕と見られるのか?」
瞬間、声は農民たちの後ろから響いた。
「リアム様・・・」
白馬にまたがっていたのは、細身の体を王族の衣装を身に着けた美しい青年だった。
サラサラの銀髪を肩のラインで切りそろえ、卵型の顔には弓なりの細い眉と切れ長の薄い青の瞳。
プラチナのメガネを掛け、その視線は誰に合わせるのではなく少し下に下がっていた。
リアム・アレジは、アデイールの腹違いの兄であり、第三王位継承者であり、この街の真の管理者であった。
農民たちはリアムの登場に動揺を隠せず、今までの勢いは完全になくなったものの、それでも『魔女』の二文字はヒソヒソとそこかしこから発せられていた。
「けれどリアム様・・・
私達は一度経験してしまっている」
「あの病の恐怖を、忘れていないのです」
「リアム様、私達はあんな思いはもう味わいたくないし、子どもたちにも味あわせたくないです」
馬上から見える顔は殆どが年老いた者達で、若い者は一握りだった。
「あの当時、私もお兄様も、ここに居るギャビンも生まれていたわ。
まだ、幼かったけれど、あのときの病の恐ろしさは忘れていなくてよ。
忘れていないから、病に大切な人を取られたのが悔しいから、私達はこの村を作ったの。
この村で生きる人達はあの病に大切な人を奪われたのに、さも病の原因かのように迫害された者たちが殆どよ。
そんな村に、貴方達はよくも足を踏み入られたものね」
アデイールの凛とした声に、力強い言葉に、人々は自分を取り巻く気配に気が付き辺りを見回した。
すると、自分たちを遠巻きにする村人達が見えた。
「皆も知っての通り、この村は流行病を研究するためにある。
村人もこの邸もその隣の研究棟も、全ては病の根絶のため。
その今までの研究成果や引き続き研究しているものがこの邸や隣の研究棟に数多くある。
ここを燃やすということは、流行病に関する知識を失い、病に怯える生活に戻るということだ。
己の身が可愛い民よ、無傷でこの村から帰りたければ、即刻出ていくことだ」
「あのさ、ここまでこの二人が言っているのだから、はやく引いたほうがいいんじゃないの?
それとも・・・」
ギャビンは一度収めたサーベルを抜き、近くにいた農夫の喉元にその剣先を付けた。
「病の心配、なくしてやろうか」
小さく、空気が泣いた。
日に焼けたるんだ喉元の皮に、赤い横線がつき、農夫はヘナヘナと腰を抜かした。
その光景を見た他のものは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「忘れてるよ~」
場違いなほど間の抜けたギャビンの声に、一人の青年が戻ってきて、腰を抜かした農夫を引きずっていった。
「ああ、街に入る前に、川で身を清めたほうがいいよ。
心配なら、着替えもね~」
そんな農夫たちの後ろ姿に、ギャビンはヒラヒラと手を降った。
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