第3話  嵐の夜に拾った男

■その3 嵐の夜に拾った男■


 明け始めた空の下、空気はひんやりと冷たく、四日寝ていたシオンにはあまり優しいものではなかった。

数メートル離れた隣の家に帰るだけでも筋肉は悲鳴を上げ、痛みで汗ばんでいた。


「・・・すまない、暫く留守にした。

皆、今日も美しいな」


 裏門から入ると、鼻先をくすぐる薔薇の香りに気分が落ち着き、自然に頬が緩んだ。

シオンはとても優しく一番近い蔓薔薇に触れ、滑らかな花弁の感触を楽しんだ。


「お前たちは本当に素直だな」


 一枚一枚は小さな花弁でも、幾重にも重なり成人男性の拳ぐらいの大きさとなり、色もベルベットのように重圧な赤になる。

そんな蔓薔薇で、裏庭はいっぱいだった。

 もう一度、その香りを楽しむように深呼吸する。

すると、いつもとは違う香りが混ざっている事に気がついた。

それは薔薇の香りを邪魔するものではなく、爽やかさが甘みを軽く感じさせるものだった。

 周囲に意識を集中してみると、話し声が裏門の辺りから聞こえた。


「いつも悪いな、ありがとう」


 使用人の声に誘われるように近づくと、門の前で使用人と目深にフードを被った随分と小柄な人影が月明かりにボンヤリと見えた。


「ああ、旦那様に伝えておくよ」


 使用人が籠を受け取ると、その人影はペコリとお辞儀をした。

その時、フードから若草色の短い髪が覗いた。





 無造作に伸びた金髪の先がピンピンと外に向かってハネ、太陽のように輝いている。

バランス良く整った顔は女性がよく好み、深い青色の瞳は人より虹彩が大きい。

美しい筋肉を付けた躰を近衛兵によく似た制服に包み、護身用のサーベルを腰に下げたのが、シオン・エルマンという青年で、幼馴染のギャビン・ノウルと共に国の『公衆衛生士』と言う職につき、行動を共にすることが多かった。


「拾ったはいいが、さて、どうしようか?」


 簡素ながらも掃除の行き届いた小さな部屋は、ドアのある壁の向かいに大きな窓と、床に寝るよりはマシと思えるぐらいの低い簡易ベッドしかない。

 そこに、横たわる人影があった。


「私が掴んでいたのか?」

「上流から流れてきた格好じゃないから、助けた少年のように川の何処かで飲み込まれたのだろうね。

幸運なことに、三人共大きな流木に引っかかっていたよ。

 隣の国や、うちの国の者じゃないのは一目了然だけど、ほっとくわけにもいかないし、それに・・・」

「肌の色か」


 二人の視線は、眼の前の褐色の肌に注がれた。


「隣の国の男たちが数人『悪魔の使いだ』って言い出したし、何らかの伝染病に感染していたら、それはそれで問題だしね。

 早々にリアムに判断してもらうのが得策だと思って」

「怪しい外傷は?」

「擦り傷や打撲痕はあるけれど、出血を伴うような外傷はなかったよ。

肌の発疹等も確認できなかった。

それに、空気感染なら今更だろうと、防護服も着なかった」


 二人の視界の先には、身長こそ二人より低いものの、筋肉質で、褐色の肌に硬い黒の髪を短く刈った青年が、両手両足を拘束された姿で意識を失っていた。

 黒く太い眉と、真一文字に閉じた厚い唇の大きな口が、身長に反しているな・・・と、ギャビンは思った。


「しかし、この時季でも流石に四日も汗を流していないと、凄い匂いだな。

川から上げて、そのままだし・・・邸で汗を流してこなかったのかい?」


 ギャビンはイスに腰掛けたシオンと、眠っている青年を見ながら出窓を開け、入ってくる風を思いっきり吸い込んだ。


「誰とも合わず、花の様子と、服の変えだけを持って戻ってきた.

・・・娘を見たんだ」


 開けられた窓の外に視線を投げながら、シオンは呟いた。

 一瞬見えた一房の髪をなぜ緑色だと思ったのか、顔すら見えなかったのに娘だと思うのは何故かと、シオンは自身でも不思議だった。

まだ夜も開けぬ月明かりの下で、あそこだけ、あの時だけハッキリと見えた。

直ぐに駆け寄りたかったが、自分の状況を思い出しその場に留まり、使用人が邸の中に入るのを確認してから動いたが、既に姿は影すら無かった。


「娘?

先日遊んだ子が追いかけて来たのかい?」

「いや、何でもない」


 夢の中の魔女の瞳は、とても濁った緑だった。

しかし、明け方前の髪はとても瑞々しい若葉の色をしていた。

見たかった。

 瞳の色がどんな色なのか。


「で、君は俺達の会話を理解しているのかな?」


 ギャビンが青年の横腹を合図のように軽く蹴ると、青年は奥二重の黒い瞳を向けた。


「まぁ、だんまりを決め込んでもいいさ」


 向けられた瞳に敵意を色濃く感じ取ったギャビンは、近いところからイスを取り、背年の前に腰を落ち着かせた。


「ただ、言語が分かるなら、これだけは覚えておいたほうが良い。

俺は一番酷い男だ。

君がこれから会う誰よりもね。

今までは知らないけれどね」


 口の端を軽く上げ、ギャビンは右足を青年の横腹に勢い良く下ろした。


「さて、君の名前は?」


 敵意を薄めることなく、青年は口を閉じたままギャビンを見上げていた。


「口減らしで売られた、は無いな。

肌や髪の色艶、張りも良い。

手足の傷も真新しいものばかりだ。

家は裕福とはいかなくても、口減らしする程ではないだろう?

まぁ、この年代の男は大切な働き手だ。

間引く可能性は低いだろうし。

拐かされて奴隷商人に売られたとしたら、ここいらでは船だな?

君一人というわけでは無いだろう?」


 青年は表情を崩すことなく、ギャビンを見ていた。


「この数日の悪天候をチャンスととって、君は逃げるために、自分の意志で海に飛び込んだのか?

それとも・・・」

「どっちらでもいいわ」


 ギャビンの言葉を、涼し気な女性の声が遮った。

二人の耳がその声を感知すると、反射的に声のした方を向き、跪き頭を下げた。


「逃げ出した奴隷でも、どこぞの国の偵察でも何者だって構わないから、この匂いをどうにかしてちょうだい。

 気分が悪いわ」

「いやいや、何者かってとこは重要ポイントでしょう?」


 苦笑いしながら顔を上げたギャビンの視界に入ったのは、細めの弓状の眉をしかめ、緑の瞳どころか、整った顔いっぱいに不機嫌を出した女性だった。

 高めに結ったサラサラの金髪に、程よく肉のつき始めた躰を覆う上質な絹のドレス。

アデイール・アレジは、国の第一姫君である。


「この村を偵察?何か困ることがあって?

 それより、お兄様への報告は後回しでいいから。

その者とシオン!貴方もよ。

窓を開けていても分かるくらい臭っているんだから。

ついでにギャビンも。

三人共、即刻身を清めて私の部屋に。

話はそれからよ。

 それと、四日経っているなら、感染率もだいぶ低いでしょうから、使用人に確り洗ってもらってちょうだい」


勢い良くドアが閉められると、ほら見ろと、ギャビンは肘でシオンを突っついた。





 金色の猫脚が付いた、白い陶器のバスタブは特注品で、大きな男が入っても十分な余裕があった。

それを3つ並べ、それぞれがゆったりと湯に浸かっていた。


「お兄様への報告は、後でもいいってさぁ~。

 君、ラッキーだな。

真っ昼間からこんなにゆっくり出来て。

俺もラッキー」


 髪が濡れないよう結い上げたギャビンは、バスタブの縁に伸び伸びと逞しい両腕を広げ、頭を預けて目を閉じた。

制服から解き放たれた躰は、その時よりも数倍逞しく筋肉が隆起し、程よい湯につかっている。

シオンと違って、ギャビンは着痩せする。

 青年は数日の垢を根こそぎ取られ全身がヒリヒリするのか、固く目を瞑って大人しく湯に浸かっていた。


「しみるか?

直ぐに収まる。

こびりついた匂いも、直ぐに落ちる」


 その様子を見て、シオンはバスタブの隅を指した。

色とりどりの花と草が無造作に束ねられ、湯に浮いていた。


「ここは先程の女性と、その兄上専用だ。

そこを使っていいと許可が出たのだから、命を取るようなことはない。

安心しろ。

 まぁ、この場で私達二人を襲ったら、話は別だが」


 言いながら、シオンもギャビンのようにバスタブの縁に両腕を広げた。

ギャビン程ではないが、それでも同年代の友人達よりは締った躰をしている。


「・・・いい匂いだ」

「そこは、「香り」と言ってくれよ」


 初めて聞く青年の声は、どこかホッとしたように聞こえたので、ギャビンは目を瞑ったまま優しく呟いた。


「その葉はレモンバーム。

あとは、リンデンの花にレモンバーベナ。

スペアミントとオーデコロンミントは少なめにしてある。

枝葉はマジョラム、リラックス効果がある」

「ついでに、お茶でも入れましょうか?」


 シオンの一通りの説明の後、ふぅ・・・と息を吐いた瞬間、再びアデイールの声が響いた。


「おっと、レディが覗きかい?」


 特に驚いた様子もなく、ギャビンは両腕を組みドアにもたれて立つアデイールに手を降り、シオンは更に湯船に身を沈めた。

 青年は振り返り、ジッとアデイールを見つめた。


「そんな趣味はないわ。

 私は「即刻」と言ったわよね。

随分と話が弾んでいたようだけど?

貴方達、女子?」


 不機嫌なオーラを纏ったアデイールは、細い眉を神経質に痙攣させていた。


「臭いと言われたから、匂いを取っている。

それに、今日明日に帰るのではないのだろう?」

「お喋りも結構だけれど、お兄様が到着する前に、その人の体裁を取る必要があるでしょう。

分かったら、急ぎなさいよ」


 シオンの言葉に、いささかアデイールの表情が緩んだ。

これ見よがしにため息を付き、三人に背を向けるが、思い出したように半身を返した。


「それと貴方、言葉がわかるなら、名前ぐらい名乗りなさい。

いつまでも「君」だの「貴方」だなんて呼ばれたくはないでしょう?

それに、自分の部下の名前も知らないなんて、お笑い草も良いところだわ」


 今度は振り返ることはせず、ヒラヒラと手を降って姿を消した。


「・・・部下?」


 二人の方に向き直った青年の疑問に、ギャビンとシオンは無言で青年を指差した。


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