タソガレ検定

村野一太

タソガレ検定

 さおりとみゆきはカフェで向かい合ってモンブランをつついている。

「……、でね、わたし、思い切って転職しようと思って、それでね、んん、このモンブラン、栗栗してて、たまらないね……、そうそう、だからね、今ね、検定試験の勉強中なのよ、もちろん上司にも同僚にも内緒でね、うふふ」

「……」

「ねえ、さおり、ちょっと、さおりったら、あなた全然食べてないじゃない、おいしいわよ」

 テラス席の目の前には、じめじめした黄土色の雑居ビルが、何もかもを遮断していた。雑居ビルから伸びる電線に灰色のハトが二匹とまっていて、その二匹のハトをさおりは先から見ているのだ。

「聞いてる?人の話」

「あ、ゴメンゴメン、聞いてるわよ、えっと、くりくり、でしょッ……、アッ」

 と、さおりは再びハトの方に目をやった。

 トラックが通るたびに、ハトのシッポが揺れる。それがさおりにとっては、くりくり、よりも重要なのだ。

「えっと、ゴメンゴメン、それで、くりくり、してる、ってことなのよね……、えーと、なにが?」

 みゆきはさおりを無視しつつ、手が付けられていないさおりのモンブランをスマホで撮影していた。そして、忙しそうに、自分が今何をしていて、何を感じているかを、ケバケバに脚色し、全地球人に向けて、報告していた。

「もう、さおりって学生時代からいつもボーとしてるよね、まったく……、まあ、いいや、でね、わたしね、検定試験の勉強中なの」

 さおりは、ハーブティーで乾いた口を潤した。

「そうなの、すごーい」

「なんの検定試験か、気にならないの?」

「あ、そうか、なるなる、なになに?」

 みゆきは、再びスマホを手に取り、スマホ画面を指で引っ掻き回し、画面をさおりに突き出した。

「これ」

「これ……?えーと、タ、ソ、ガ、レ、検定……、タソガレ検定?」

「そう、タソガレ検定」

「すごーい」

「タソガレ検定のこと知ってるの?」

「えっ?知らないけど……」

「どんな検定か気にならないの?」

「えっ?あっ、なるなる」

 さおりはハトのシッポを見たくてしょうがなかったが、なんとかみゆきの退屈な話に集中しようと、またハーブティーに口をつけた。

「ま、つまりね、たそがれる名人になるってことね」

「ふーん、たそがれる、かあ……、名人、かあ……」

「第一問、ジャジャンッ!」

 みゆきがスマホに見入っている隙に、さおりはハトの存在をチラッと確かめた。二匹ともちゃんとお行儀よくお座りしていた。

「海辺であなたは一人、地平線に浮かぶ船を見ています。あなたは体育座りをしてそれを眺めています。さて、そのたそがれ真っただ中にいる自分のことをスマホで自撮りしていいでしょうか?〇か×か?」

 みゆきがさおりの顔を覗いたとき、さおりは、またハトの方を見ていた。

「ねえ、さーおーりー、聞いてた?」

「えっ、聞いてたよ、〇か×、でしょ」

「どっち?」

「えーと、じゃあ、〇」

 さおりは、お願いします、と両手を合わせ祈るポーズを取った。それくらいの社交性はさおりにもあるのだ。

「ぶッぶッー」

 みゆきは、スマホを持ったまま、大きく×印を腕で作った。

「えーと、たそがれ中は、原則、スマホを操作してはいけません、だって。わかった」

「うん。そうなんだ。わかった」

 さおりは、再びハーブティーに口をつけた。

「第二問、ジャジャンッ!」

 うっ!さおりはハーブティーを吐き出しそうになるのをこらえ、みゆきを見た。長いまつ毛をパチパチさせながら、スマホに見入っていた。

「次のは難易度☆☆、よ。たそがれ釣をしている時です。あなたの竿に反応がありました。どうやら魚がかかったようです。さて、あなたはその魚を釣り上げますか?〇か×か?」

 今度はさおりもちゃんと聞いていた。

「〇、〇、まるー。だって、アタイ、おさかな、大好物なんだもん」

「ぶッぶッー」

 みゆきは、スマホを持ったまま、大きく×印を腕で作った。

「あなた、たそがれるセンスないわね。正解は×。たそがれ中は、原則、動いてはいけません。そもそも、たそがれるという行為は、生死の分岐点を見つめるという行為であって、その分岐点に意味を持たせようともがき苦しむ行為なのです。そんな時に食欲はないはずですし、魚を釣り上げたい、という狩り欲も萎えているはずなのです、だって。わかった?」

「なるほど。たそがれる、って奥が深いんだねえ」

 さおりの好奇心も少しずつそそられてきた。ただ、それは、たそがれる、とか、タソガレ検定、とかに対してではなく、たそがれ名人を目指す、まつ毛の長いみゆきのせかせかした動きに対しての好奇心だった。なんだか、トラックの風圧にせかせかと揺れるハトのシッポみたいに、さおりには映ったのだった。

「で、その資格ってすごいの?」

「もちろんスゴイわよ。文科省が後援してるのよ。たそがれソムリエ、にもなれるのよ」

「たそがれソムリエ……?なにそれ?」

「えっ、あなた、知らないの……」

 ふーやれやれ、ってポーズをみゆきはフランス人のようにとった。そして、再びスマホ画面を指先で引っ掻き回した。

「エヘン、たそがれソムリエ、別名、たそがれツアーコンダクター、とは、過熱した競争社会に生きる現代人に、たそがれるひとときを提供する人のこと。たそがれツアーでは、たそがれパワースポットをバスなどで巡り、そこで、たそがれ講習を実施したりすることで、たそがれ名人を育んでいる。現在、文部科学省後援、タソガレ促進組合主催の『タソガレ検定』がオンラインで年に三度実施されており、1級合格者はたそがれソムリエの資格が授与される。昨年の(2020年)の1級合格率は、18.6%(タソガレ促進組合HPより)。国民レゲー党の山本太太郎議員が、たそがれソムリエを国家資格に昇格させるよう、提案している。ふー、わかった?」

 みゆきが顔をあげると、さおりは口の周りについたモンブランのクリームを舌で舐めまわしていた。

「うん、たしかに、くりくり、してるね」

 さおりのモンブランはいつの間にかなくなっていた。

「もう、まったく、さおりったら……。とにかく、わたしはね、決めたの。たそがれソムリエになるのよ。それがわたしの天職だと思うの。どう思う?」

「いいと思う」

「それだけ?わたしのどこがたそがれソムリエに向いているっていうの?」

「うーん、うまく言えないんだけど……、みゆきはさ、なんかさ、器用だから、うん。だから、たぶん、その検定も大丈夫よ、きっと」

 さおりのハンドバックの中の、折り畳み式ケータイが震えていた。しかし、さおりは無視してみゆきの長いまつ毛に覆われた目を見つめた。会話中にハトのシッポを見つめるさおりだが、ケータイを開くのはマナー違反だと昭和的に信じているのだった。その矛盾を矛盾だと思わないさおりは、ケータイの向こう側にいる地球人の誰かのことを気にすることもなく、みゆきを見続けた。

 トラックが通ると風が起こり、ハトのシッポは揺れる。

 風はやがてとまり、ハトのシッポもとまる。

 ハトは、やがてとまる風に動じることなく、ただじっとお座りしている。

 その真実を、さおりが、真実と呼んでいる可能性は限りなくゼロだが、みゆきの動きはハトのシッポに見えたし、折り畳み式ケータイはブーブーと震え続けている。

 カフェで起こっているそれらの現象は、何の調理や味付けされることなく、さおりの臓器に吸い込まれていくのであった。

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タソガレ検定 村野一太 @muranoichita

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