13 捕われの治癒師

 ◆11



 通路には窓がなく、一切の光もない。頼りになるのは、先導役の杖先で輝く黄色の炎だけである。流れることのない空気は、からりとして寒々しい。

 自由都市レニス、北西部某所。分厚い石材の壁で区切られた檻の中には、幾人かの虜囚りょしゅうがそれぞれ押し込まれていた。

 地下に反響するのは3つの靴音のみ。一つは先導の物。一つは従者の物。そして残る一つは、二人の間を歩く女の物だ。

 背に流された亜麻色の髪が、ベールとなって足首までを覆っている。丈の長い豪奢なドレスはすみれ色で、地につきそうな裾は従者の手により支えられていた。

 彼女の名は、ユーレニア・レーヴェンス。自由都市レニスの現在の首脳、即ち女王である。


 間もなく、3人の足は通路の最奥でぴたりと停止した。靴音が止み、沈黙が満ちる。


「陛下。こちらでございます」


 固い声で告げてから、先導は炎の灯った杖先を牢の中へと向けた。


「ほう」


 中に転がされていたのは、男である。髪はぼさぼさで体はやつれ、乾ききった肌からは生気が抜け落ちている。しみだらけの服からは異臭が漂い、時折響く短い笑い声が不気味だ。

 それは、常人ならば目を覆いたくなるような光景であろう。ところが、この場に居合わせる3人は、何の感慨も持たぬ顔でその男を注視していた。

 一歩、また一歩と、女王が檻に歩み寄った。厳重に閉じられた金網の扉に手袋で覆われた両手を掛ける。

 その麗しい唇が、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「囚人よ。お前が我が国の生まれであったなら。悔やまずにはいられまい」


 前半は甘く痺れるような声音で、後半は冷たく蔑むような声色で、女王は言った。炎に照らされて揺らめくその横顔は、どこか恍惚こうこつとしている。

 虚ろな瞳を虚空に向けたまま、虜囚りょしゅうは応えない。恐らくその術を失っているのだ。

 歌うような言葉が続いた。


「私は、我が国の民を無条件で愛する。愛すべき国民に余りある幸福を。仇なす国には残酷な災禍さいかを」

「ご覧の通り、この者はもう魔法絵を描くことはできません。ご支持を」

「始末せよ」

「は。仰せのままに」


 淡白で冷酷な、二人のやり取り。そこには一片の情けもない。この瞬間に、檻の中の男は生の道を閉ざされたというのに。


「もう一名は、あちらに」


 隣の牢を目で示し、先導が告げた。従者に支えられた長いドレスが静かに撓む。

 透かさず杖先の炎が彼女の足元へと向けられ、3人は隣の檻へと移動した。


「助けてくれよ……。死にたくねえよ……!」


 中にいたのは、全身を鉄の鎖で拘束された男だった。縋るような眼差しに悲願の念を湛えて、ドレスの上の冷たい相貌を見上げている。

 ほんの一瞬、女王の瞳が彼を捕える。だが、人間に向ける物ではなかった。


「こやつは?」

「外から呼び寄せた錬金師でございます。想定以上になまくらでして」

「ほう。やはり評判は当てにならぬということか」

「ご判断を」

「要らぬ」

「御意」


 最初の虜囚りょしゅうとは異なり、この男には自我がある。

 一連のやり取りを聞いていた男は、声なき声を上げて床にくずおれた。女王の温度なき命令、それが自身の身にもたらす未来をまざまざと思い知らされて。


 先導に続いてきた道を戻る。隙のない所作で足を運びながら、女王は懊悩おうのうしていた。

 人を従わせる場合において、正気を奪うことは感嘆ではあるが、得策ではない。魔法の精度や集中力が格段に低下するのみならず、治癒魔法や錬金術などの技能も十全に発揮できなくなる。

 ただ従わせるだけでは期待した成果は得られない。では、どうするか。


「やはり、少々の労苦は惜しむべきではないな」

「は。左様でございますね」


 独り言とも取れる彼女の言葉に、すぐさま先導が応じる。女王の低く冷酷な声が、地下牢の暗がりにますます濃い影を落とすようであった。


「焦ってはならぬ。感付かれてもならぬ。まずは奴等をじっくりと攻め落としていくとしよう。ロダン・クライシーのようにな」



*



 慎重に慎重を重ねた検討の末に、レンリが導き出した結論は、様子見をするという極めて月並みのものであった。

 事前情報が皆無の状態で無暗に出歩くべきではないというのが一つ。現在自身が置かれた状況を今一度整理したいというのが一つ。そして、下手に目をつけられて状況の悪化を招きたくないというのが理由である。

 この部屋には時計がない。ある物と言えば、異様に大きな寝台が一つと、先刻女が肘をついていた二人掛けのテーブルセットが一組。即ち、現在の時間を目測で図るしかないのである。

 寝台の奥には、光を通す大きな丸窓が一つ。厚いレースのカーテンを僅かに寄せて、隙間から外を伺い見る。

 そして、目に入ってきた光景に絶句した。


「これは……!?」


 我を忘れ、カーテンを引いていた。丸く切り取られた風景に目をみはる。

 初めは、森の中なのだと思った。太く息衝く木々が、複雑に伸びゆく枝々が、豊かに茂る葉が、完璧な調和で以って共存し合っている。

 よく目を凝らせば、それは壁であった。壁一面に森の風景が描かれているのだ。

 けれど、それが分かったからと言って、作り物とは思えなかった。葉が風に揺れ、こずえの上では青い小鳥がさえずっている。

 窓を開ければ心地よい音が聞こえてきそうであったし、手を伸ばせば瑞々しい葉に触れられそうな気さえした。あまりの迫力と完成度に心を投げ出し、自身の置かれた境遇を一時忘れたほどである。

 熱に浮かされるように、彼は呟いた。


「魔法絵……。こんなところに……いったいどうやって……?」


 魔法絵は輝く。魔法絵は躍る。そんな常識的な言葉では言い表せない感動が、レンリの胸中を駆け巡っていた。

 そして、彼は思い当たった。世間を揺るがす圧倒的な画力の持ち主に。


「ここは、ロダン・クライシーの家なんですね」



 その時、十分な間隔を取って、扉が3回叩かれた。頭の芯がすっと冷え、心地よい高揚感から現実へと引き戻される。

 急いで寝台横のテーブルにつこうとして、レースのカーテンが開いていたことに気が付いた。少し逡巡して、開けたままでも構わないだろうという結論に至る。

 再度、ノックが3回。まるで長い間そうしていたかのように、気だるげな態度で椅子に腰かけた。


「はい」

「お邪魔いたしますわ」


 機械的に返事をすれば、そっと開いた扉の隙間から紫紺のサマードレスがしとやかに入室してきた。振り返って扉を閉め、レンリの前まで歩いてくると、優雅な礼を取って見せる。


「先ほどは失礼いたしましたわ。シュリーネ・ローリントンと申します。あなた様のお世話係を仰せつかっております。お名前をお伺いしても?」


 白々しいことを言うものだと、レンリは胸の中だけで毒づいた。所詮彼女は誰かの筋書き通りに動かされているに過ぎないと、レンリには分かっているからだ。


「すでにご存知なのでしょう」

「確認ですわよ」

「レンリ・クライブですけど」


 レンリが応えるのはあくまでも聞かれたことにだけ。目前の女、シュリーネは彼の向かいの椅子に腰を下ろした。洗練された所作がいちいち目につく女である。


「ご出身は魔法都市ベルベリア西部。勇者一行の治癒師として、魔竜討伐に寄与されましたわね。現在は商業都市カルパドールの交易会社、オリエンス商会に治癒師兼事務員として勤務しておいでですわよね?」

「はいはい、大正解です」


 ここまできたら驚いたふりでもしてみようかとも考えたが、億劫おっくうになって冷めた返事を返すに留めた。


「本当に可愛くありませんわね」

「それはよかったです。ところで、お世話係のシュリーネさん。僕等がいるこの建物は、レニスのどの辺りになるのでしょうか?」


 シュリーネの小言に習慣と化した嫌味を返しそうになる。が、ふと思い直して尋ねた。

 シュリーネはゆるりとかぶりを振って、素っ気なく言った。ボリュームのある桃色の髪が、彼女の動きに合わせてテーブルの上で躍る。


「それは教えられませんわね」

「なるほど。ターゲットに余計な情報を与えないように言いつけられているのですね」

「ええ、まあ、そんなところですわ」


 こともなげに応えるシュリーネはすまし顔。レンリは妙な関心を覚えた。誰かに入れ知恵をされたのだろうとは思っていたが、存外に落ち着いた対応ができるものだ。


「では、僕と同じオリエンス商会からの客人をご存知ありませんか? ガスパー・ディアンツという人なのですが」

「それも教えられませんわ」

「この建物に運ばれてきたは何人ぐらいですか?」

「ですから、教えられませんと言っているじゃありませんの」


 シュリーネの語調に苛立ちが滲む。レンリはあくまでも落ち着いた態度を崩さないよう努めた。イニシアチブは握っておきたい。

 背後の窓に目をやる。丸く切り取られた森林は、何度見ても自然の息吹そのものだ。


「分かりました。では、これは教えていただけると思うのですが。僕は何を求められているのですか?」


 なるべく冷静な声色を意識しながら、レンリは再度質問した。

 世間を騒がせた魔法絵師の晩餐会。そこで彼が熱っぽく語っていたこと、そして、画家が集められていたこと。それらのことから、この誘拐の目的が絵画に関することだと察しをつけていた。

 しかし、対するシュリーネの返答は、レンリの予測を思いもよらぬ形で裏切るものであった。


「レンリ・クライブ様。あなたには、これから魔法絵を描いていただきますわ」

「魔法絵……!?」


 一度部屋を出たシュリーネは、すぐに大きな金の額縁を抱えて戻ってきた。

 その中の姿を見た刹那、レンリの思考の全ては彼方へと吹き飛んだ。目前の声が虚ろな胸を通り過ぎる。


「あなたが女王陛下から賜った課題はこちらですわ。この方の魔法絵を一枚描き上げてくださいまし。題材は、遠い昔に存在したと云われる英雄の一人らしいですわ」


 それは、精巧な肖像画であった。額の中で、女が控えめに微笑んでいる。

 風に靡く長髪は、青味の強い銀の色。やや切れ長の瞳は、宝石をそのままはめ込んだような美しいサファイアブルー。肌は透けるように白く、足の上で組まれた手は今にも折れそうなほどに細い。その表情は儚げで、深窓の令嬢という言葉が似あいそうな女である。

 500年前に世界を救ったと云われる青き勇者、その妹にして、彼とともに魔竜を封印し、命を落としたとされる英雄。その女の名は——。


「……ミーシェ・ヴァーレイ」

「あら、ご存知でしたの」


 レンリは呆然と口にした。視線は肖像画に引き寄せられたまま離れない。

 彼の反応を訝しげに見ていたシュリーネが、額をテーブルに置いて言った。


「ご存知でしたら何をそんなに驚くことがありますの? 500年前の人間ですわよ。まさか知り合いというわけでもあるまいし」


 レンリは多いに困惑していた。

 知り合いどころではない。彼女は現在も生きていて、十全にこの世に存在しているのだ。

 白き勇者として。オリエンス商会の社長として。そして、レンリ・クライブの恋人としても。

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