第四章 「愛と虚栄の自由都市」

01 彼方の刻印

 ◆1



 どんなことがあっても、忘れないでください。私の果たすべき使命を。

 それが償いとなり、手向けとなり、希望となることを、私は信じています。




*




「まだ決めあぐねているのかしらー?」


 気だるげに伸ばされた声は、滴るような色気を存分に含んでいた。薄い栗色の長いウェーブを白衣の後ろに流した、上品なたたずまいの女性だった。

 目線を下げたい気持ちを押し殺して、幾度となくぶつけてきた問いを繰り返す。


「あの……。どうして……私なのですか?」


 決まりきった返答が用意されていることは分かっている。事実、目前の女は定型文を読み上げるが如く、これまでの物と一言一句違わぬ答えをよこした。


フェイデルあの子の攻撃を真っ向から受けて、未だに戦えるのがあなた一人だということが一点。あなたが優秀な魔法師で、かつフェイデルあの子の弱点属性を二つともカバーしていることが一点。それと、あなたの高い知能と知識、戦闘技術、年齢。全てが条件に合致することがもう一点。ご理解いただけたかしらー? ミーシェ・ヴァーレイちゃん?」


 台詞の最後を雅やかな微笑みで締め括ると、白衣の女は腰に手を当ててこちらを見下ろしてきた。優しげに見えて、冷酷な刃を秘めた眼差し。

 射竦いすくめられたようになって、耐えきれず、視線が落ちた。青味を含んだ銀の髪が膝の上を滑り落ちる。

 また、分不相応な期待を掛けられている。胸の前で重ねた手は温度を失くして、か細く絞り出した声が振るえた。


「協力は……したいと思っています。望まなかったこととは言え、私を現世に呼び戻してくださった恩は、必ずお返ししたいと。ですけれど、管理者……なんて、そんな……。そんなこと、私にはと……とても、荷が重くて……」

「いいこと? ミーシェちゃん。たま呼びの儀式で呼び戻したあなたの肉体はとても不安定なの。この処置に成功すれば、安定した心身と永遠の命を手に入れられるわよ。離れ離れだった兄弟ともようやっと再会できてー、お友達もたくさんできてー、人生これからだったでしょう? も一度死んでみんなを悲しませたくはないでしょう?」

「……」


 脅迫とも取れる台詞を吐いて、白衣の女は冷めた笑みを零す。彼女の用意した運命に翻弄されるばかりのミーシェには、続く言葉に逆らう気力など残されていないと知っているのだ。


「せっかく第二の人生を生きるチャンスを手に入れたのだから、それを世のため、人のために捧げてもらえないかしら?」


 軽薄な調子の声には戯れるような気配が含まれている。だというのに、ミーシェの身体は冷えるばかりだった。

 胸が痛んで、呼吸が苦しい。女がぶつけてくる有無を言わさぬ圧力も、できもしないことを押し付けられる理不尽も、不当な方法でもたらされた新たな肉体も。ミーシェには、何もかもが恐ろしかった。

 しかし、どんなにこの身が震えようと、期待をされたからには応えなければならない。それは、今は亡き両親が残していった呪いだ。

 幼きみぎりより、ことわざの一つとして耳にしてきた言葉を、ミーシェは震える唇で復唱した。


「竜を以って、竜を制す……」

「そうよ、ミーシェちゃん。あなたは世界にたった一人の竜人になるの」


 女の両手が肩に置かれる。勇気付けるように優しく、追い立てるように強く。


「慎んで、精一杯やらせていただきます。どこまでできるかは、分からないけれど……」


「ごめんなさいね」


 長いウェーブを背で揺らして、白衣の女が去ってゆく。


 幾星霜いくせいそうの時の中で、生活を豊かにする魔法や機械が高度な体系化を遂げ、世界から多くの武器が消え、戦う手段としての魔法の大部分が失われた。

 内気な魔法学者が破天荒な経営者になり、永年に渡る宿敵が過去の存在となり、少し優秀なだけの魔法師が世界に一人の勇者へと変貌を遂げた。

 しかし、あの時彼女が残した謝罪の意味は、480年余りが経った今となっても分からない。

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