02 師匠と問題児

 ◆2



「自警団へのご連絡は……そうですか。承知いたしました。お力になれず、申し訳ございません。ええ。それでは、失礼いたします」


 ネイビーカラーのディスプレイに固い声で応じながら、女社長はオフィスへと戻ってきた。表情からも穏やかでない感情が滲み出ている。

 通信端末ミミアをスカートのポケットに入れたスカーレットは、立ち止まってごく控えめに息を吐いた。すぐに平常通りの営業スマイルに切り替える。


「みんな、お疲れ様」

「お疲れ様です。どうかしたんですか?」


 双子の片割れ、シャルナがデスクから声を掛ける。一瞬躊躇う様子を見せてから、スカーレットは意を決したように口を開いた。


「みんな、ちょっと聞いてくれる? これから関連する問い合わせが入るかもしれないから、共有しておくわね。今いない社員には、あとで私から直接伝えておくわ」


 封筒の山から顔を上げ、レンリは彼女の表情を伺った。一見しただけでは分からない感情の解れが見える。先の通信の内容から考えても、良い話ではないことは明白だった。


「実はね。我が社で販売中の魔力回復促進剤エーテルが何者かに盗難されました」


 双子が声を上げた。秘書セレンとレンリは黙したまま続きを待っている。


「被害に遭った商品は我が社で製造されている物だけ。被害に遭った店舗は、全部で8店舗だそうです」


 その台詞の意味するところを汲み取って、聞いていた4人はそれぞれに反応を見せた。すぐさま聞き返したのはセレンだ。


「つまり、うちで作ってる魔力回復促進剤エーテルだけがピンポイントで狙われ、おろし先の全店舗から一斉に姿を消したということだね」


 改めて言葉にすると異様な話だった。あるいは渋面で、あるいは腕組みをして、社員たちはそれぞれに思考を巡らせている様子だ。


魔力回復促進剤エーテルなら、他の会社が作ってる製品もいっぱいありますよね。何でうちのだけなんでしょう?」


 心底不思議そうに、シャルナ。

 受注品の杖のように、この会社で錬金された物の品質が抜きんでているというならまだ分かる。しかし、魔力回復促進剤エーテルの製法に大した違いはなく、品質に大差はないはずなのだ。


「社長、何か心当たりないんですか?」

「うーん」


 シャルネの問いに、悩む素振りを見せたのは一瞬のこと。僅かに伏せていた目を上げると、スカーレットは悪びれもせずにひょいと肩を竦めた。


「ありすぎて応えられないわ」


 この場にいる社員全員の心の声がぴったりと重なったようであった。即ち、「やっぱりか」と。


「ちょっと、社長。最近嫌がらせの通信なんかもよく届くんで、ちょっと注意してもらわないと、あたしもシャルナも精神がすり減っちゃいますよ」


 げんなりと肩を落とすシャルネに、社長が答える。平常通りの微笑で、彼女の隣に立つ秘書に意味深な視線を送った。


「いつもごめんなさいね。今度からそういう通信が入ったら、全部セレンに回しちゃっていいわよ」

「そうさせてもらいますー」


 一連の会話を、当の秘書は知らん顔で聞き流していた。如才のない彼のことだ。回されれば苦情の応対も難なくこなして見せるのだろう。


「この件の調査は自警団に一任されているとのことです。我が社が特に対策を取る必要はないと判断しました。ただ、もしも続くようであれば、該当商品の販売を一時的に取り止めるなどの対処を検討しなければならないかもしれません。そうならないことを祈りたいわね」



 その時だった。突如、オフィス内に破砕音が響き渡ったのは。

 ただでさえ熱の籠った社内を、熱気と湿気を含んだ風が吹き抜け、あちらこちらで紙片が舞った。遅れて、建物全体ががたがたと小刻みに振動する。

 この突然の出来事にも関わらず、慌てる者も悲鳴を上げる者もいなかった。代わりに聞かれたのは、溜息の波だ。


「はあ。またやりましたね」

「何やってんのよ、あの馬鹿錬金師」

「最近落ち着いてると思ったのに」

「レンリ。被害状況の確認と復旧の手伝いをお願いね。私もあとで行くわ」

「分かりましたよ」


 社員たちに背を向け、壁を使って何やら手帳に書き付けながら、社長はこともなげに命じる。


 しかし、レンリが現場へ向かう前に動きがあった。出入り口から最も遠い廊下の端に、二つ並んだ錬金師の部屋。そのうち奥に位置する扉が開き、背の高い中年の男が深い溜息を引き連れて出てきた。


「やれやれ。ガスパーの奴、またやってくれたようだな」


 リーエン・ザウアー。入社して15年になるベテランの錬金師で、ガスパーの師匠である。

 すぐにもう一つの部屋から金髪の眼帯男が飛び出してきた。小さな疾風を伴っている。


「すんませんすんませんすんませんっしたーーー!!」


 怒涛の勢いで頭を下げ続ける錬金師。この会社ではよくある光景だ。果たして、レンリを除く他の社員はすでに今回の件への興味を失い、自分たちの仕事に戻っているのだった。


「ほんとすんません! すんませんっしたーーー!!」

「リローズ」


 現場となった部屋に顔を向けて、リーエンが再び嘆息した。負傷した犯人におざなりな治癒魔法をよこしてから、レンリもあとに続いて中を覗き見る。

 室内にはもうもうと黒い埃が立ち込めていた。焦げ跡だらけの壁、木屑や金属片の散らばった床、これらは今に始まったことではない。

 錬金室同士を隔てる壁に、指一本分ほどの穴がいくつか開いていた。こちらはたった今こしらえられた物だろう。


「で? 今回は何を錬金しようとしたんだ?」

「最近、師匠が一人で忙しそうだったから。俺、ちょっとでも師匠の役に立ちたくって」


 そう言うガスパーの手には、薄緑色の杖が一つ握られていた。一見する限りは規格品の杖で、失敗しているようには見えない。レンリは当然の感想を述べた。


「ただの風の杖みたいですけど」


 しかし、ガスパーはがっくりと首を落としたまま、覇気のない声で答える。


「違うんだよ。俺、ほんとはオリハルコンの杖が作りたくってさあ。でも、間違えてアダマンタイトを使っちまって、そしたらどっかーんって、部屋が揺れて……」


 視線を落とし、なおももごもごと弁明する。


 この世界の杖は、原料となる素材ごとにランク付けがなされている。

 アカデミーの生徒など、魔法の初心者が持つのは木製の杖。そこから銀製、金製、ミスリル製、アダマンタイト製と、性能が高くなっていくのである。

 一般市民の間では、ミスリル製の杖でも高級品とされ、アダマンタイト製ともなると、選ばれた立場の人間のみが持つことを許されるとされている。さらに、その上にはレンリたちが愛用しているオリハルコン製の物もあるのだが、こちらは市場に流通することはない。


 話を戻そう。肩を落とす弟子に呆れの眼差しを向け、深く重い吐息をつく男がいた。ベテラン錬金師、リーエンである。


「お前なぁ。俺に許可なく貴重な素材を使うなとあれほど言っておいたのを、もう忘れちまったのか?」

「すんません。一個ぐらいならいいかって思ったんだけど」

「ガスパー。確かにお前には才能がある。腕も決して悪くない。だが、毎回部屋をこんな惨状にされちゃあ困る。オリハルコン製の杖は俺がやるから、お前は背伸びせず……ん?」


 まだ続きそうだったリーエンの説教が唐突に止んだ。ガスパーの手の中の物を凝視すること、数秒間。

 噛んで含めるような物言いが一転、俄かに真剣味を帯びた。


「ガスパー、ちょっとそれを見せてみろ」

「うえ? はっ、はい」


 ガスパーの手から杖を受け取ると、めつすがめつ眺め出した。辺りに沈黙が下りてきて、しかし、すぐに女の声がそれを破った。


「あなた、確か前に試作品でも構わないって言ってたわよね?」


 スカーレットが通信端末ミミアで親しげに誰かと会話している。表情と話し方でおおよその相手が予測できる程度には、レンリは彼女のことを理解しているつもりだ。


「ちょっと、スカーレットさん?」

「ええ。ええ、そう、彼が。そう、たった今ね」


 ガスパーに視線を合わせ、彼女は話し続ける。露骨に関心を向けられた錬金師は、居心地悪そうに視線を泳がせながら頭やら首やらを掻いている。

 大方、先ほどの杖を譲る算段でもつけているのだろう。彼女は実に行動が速かった。速すぎるほどに。


「それじゃあ、アダマンタイト製だけど訳あり商品ということで、特別に12000グランでどうかしら? いいの? お買い上げありがとうございまーす! 後日お届けに上がります。それではごきげんよう」


 レンリとガスパーがきょとんとしている間にあれよあれよと話を進め、あっという間に通信を切ってしまった。


「交渉成立。その杖の引き取り先が決まったわよ」

「あなた、まだリーエンさんが鑑定中なんですよ。何を勝手に売買契約結んでるんですか」

「レンリ、納品書と契約書はお願いね」

「話を聞きなさいよ!」

「いいじゃない、失敗作なんでしょ? チーナちゃんが、最高議会の中でミスリル製の杖を使ってるのが自分だけだから、アダマンタイト製のを売ってほしいって言われてたのよ」

「せめて動作確認ぐらいはしなさいよ。事故が起きたらどうするんです?」

「じゃあクーリングオフも付けておいて」

「そういう問題ではなく!」

「チーナさんが買ってくれるんですかー? よかったー! これで失敗作ちゃんも浮かばれるってもんだよー。ありがとう、烈火のポピー様ー!」

「何? ポピーって何のこと?」

「烈火のポピー。チーナさんの異名ですよー。俺がつけたの。かっこいいっしょ?」


 呆れるレンリの横で、すっかり平常通りの騒がしさを取り戻したガスパーが、手を合わせて拝むポーズをしている。そこへ、鑑定の済んだリーエンが割って入ってきた。


「おい、待て。スカーレット、これは規格外の商品だから売らない方がいいぞ」

「問題ないわ。チーナちゃんも少々の不備は多めに見るって言ってくれたもの」

「そうではない。この杖は、同じアダマンタイト製の杖よりもかなり威力が出そうなんだ」

「うえぇぇっ!?」


 あんぐりと大口を開けるガスパー。驚いたのはレンリも同じだ。

 その中でもスカーレットの動きは早く、さっと手を伸ばしてリーエンの手から杖をもぎ取った。それを真っ白な手の中でくるくると回しながら、期待に満ちた眼差しをガスパーへと向ける。


「ガスパーくん。これと同じ物、もっとたくさん作って!」

「無理ですー! どうやったか忘れちったもーん」

「そこを何とか思い出して。ねっ!?」


 杖を持ったままの華奢な手にがくがくと首を揺すられながら、ガスパーは端正な顔いっぱいに狼狽を広げた。


「そっ、そんなこと言われてもー! いろいろ試してみたらまたできるかもしんないけどー」

「あなた、この会社を灰にする気ですか? スカーレットさんも、あまりこの人を当てにしないでくださいよ」

「ガスパーくんは大事な戦力よ。確かに困った失敗は多いわ。社員の中でも一番手がかかる子ではあるわね。だけど、先行投資よ。先行投資」

「戦力? 問題児の間違いでしょう」

「二人ともひどいよー!」


 結局、その杖はチーナに格安で提供されることとなり、部屋の修理代はガスパーに全額請求される運びとなった。


「ガスパーさん。ほら、早く片付けますよ」

「そんなぁ……。来月は父ちゃんとアインの誕生日があるのにー……! またレンリに借りるしかないかー?」

「いいからさっさと手を動かす!」

「ふえーい……」


 会計士であるシャルネの口から金額を聞かされたガスパーは、顔を蒼白にして俯いていた。何やら平穏でない呟きが聞こえるが、こちらもままあることなので無視を決め込むことにする。

 それよりも、現場の復旧を急がなければ、その分本日のタスクがずれ込んでいくということの方が、レンリにとってはよほど重大だった。


 誰に言うでもなくぶつぶつとこぼす錬金師を急かし、室内を片付けていく。棚の汚れや埃を拭き取り、簡単な壁の補修を行い、散乱した埃やガラクタを集める。

 そうしている間にも、開けっ放しの扉を通して、リーエンの錬金室の話し声が鮮明に流れてきていた。


「ところで、リーエンくん。今月の発注分は間に合いそうかしら?」

「ああ。時々残業を入れて何とか帳尻を合わせているからな」

「そう。それじゃあ、まだ余裕はあるのね」

「おい、スカーレット。俺を過労死させる気か?」

「錬金師、増やしましょうか。ガスパーくんみたいな子がもう一人きてくれたら、楽しいと思わない? あっ、だけど、部屋が足りないわよね」


 スカーレットは至って真剣な話しぶり。対して、リーエンは完全に疲れた会社員の様相だ。


「訂正しよう。俺を心労で殺す気か?」

「労災保険にはちゃんと加入してあるわよ」

「過労死は適応の対象外だぞ。死んでからでは遅いがな」

「あなたに万が一のことがあっても、ご家族の面倒は私が必ず見るわ」

「ああ、それなら安心してこの身体を酷使できるな」


 リーエンが分かりやすく吐息をついた。配慮に欠ける社長への反論は諦めたらしい。彼がこの会社を去る日も遠くないかもしれない。

 などと考えていると、スカーレットが思い出したように遅すぎる気遣いを付け加えた。


「使いすぎには気をつけてね。リーエンくん」

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