09 脅威の正体

 ◆12



 最近、なぜか十分な睡眠が取れない。昼夜を問わず部屋に侵入してくる害虫のせいか、仕事のことが頭を支配しているせいか。元々朝に弱いレンリは、いっそう重く感じる体を引き摺って1階のキッチンへと向かった。


 キッチンに入ると、暗黙のうちに二人分の朝食の乗ったトレーが手渡される。コックのガルオンは、レンリたち二人の関係に感づいているに違いなかった。

「ほらよ」

「ありがとうございます」


 レンリの目が、カウンターの側面でうごめく小さな物体を捕えた。

「ガルオンさん」

 ここは彼の領域だ。主の指示を仰げば、堀の深い顔に辟易した表情が浮かんだ。素早くこちら側に回り込んでくると、今にもカウンターの上へ辿り着こうとしていた小蜘蛛を、あろうことか素手で掴み上げた。そして、そのままシンクの中へとそれを放る。

「わ……」

「イグナ!」

 思わず声を上げるレンリの目前でごく小さな炎が立ち上がり、かの命は忽ち煙となって宙に溶けた。

「あなたも大概残酷なことをしますね」

「したくてしてるわけじゃねえんだがな。こうも休みなく出てこられちゃあ、こっちも仕事にならねんだよ」

 続いて見つけたもう一匹を同じように空へ還しながら、ガルオンは深く嘆息するのだった。



「クライブくん。君の言っていた脅威の正体が分かったよ」

 ミミアの向こうから、欠伸混じりの男の声が流れてきた。


「夜通し活字を読み続けた私を褒め称えたまえ」

「今度そちらに何か送りましょう。白銀竜の卵なんていかがです?」

「そいつはいいな。やはり君は私の好みを熟知している。ベルベリアに戻ってこないか? 魔竜討伐の旅について、仔細に聞かせてくれたまえよ。もちろん私は本気だ」

「あのう、前置きはいいですから、早く聞かせてくださいよ。こちらはあなたが思っている以上に切羽詰まっているんです」

「そのようだな。何、君の話し方を聞いていれば分かるよ。では、メモの用意はいいね?」

「ええ。お願いします」

 メモ用紙と筆記具を傍らに引き寄せ、レンリはガイガーの言葉を待つ。一呼吸だけ間を置いてから、彼は滔々と語り始めた。


「その蜘蛛は、恐らくオクトスレッドだ。黒地に黄や茶色の特徴的な模様を持つ。雷を操り、大型の昆虫を主食とする。大きさも普通の蜘蛛と変わらない者から、人の子供とそう変わらない者まで多様」

「雌の産卵の時期になると、手頃な脅威を狙って体内に魔力を蓄える。本来は慎重な性格で、人里に踏み入ることはめったにないと言われている」

 ガイガーの語り口は淡々としていて流れるよう。そして、彼は聞き返されることをあまり良しとしない。レンリは、彼の言葉を一言一句逃さず書き写すことだけに専心せねばならなかった。


「闇属性の精神汚染を操る者もいるとのことだ。君も、退治するのならば重々注意したまえよ」

「精神汚染ですか」

「ああ。魔竜さえも打ち破った君には必要のない忠告だったかな?」

「いえ。あれは勇者あっての功績ですから」

「相も変わらず君は謙虚だねえ。それでいて、自尊心だけは妙に高いからたちが悪い」

「はっきり言わないでくださいよ。傷つきます」

 彼が歯に衣着せぬ物言いをする人物であることは、重々承知している。それでも、レンリの硝子のハートは、些細な言葉の中に小さな刃を見つけてしまうのだ。


「相変わらず繊細だねえ。なればこそ、人の痛みも理解できようと言うものか。ところでだ、クライブくん。君は、主属性選択制度について、疑問に思ったことはないかね?」

「疑問、ですか?」

 それは、あまりにも唐突な話題転換。しかし、いつになく真剣な声音の元同僚に、レンリの胸中は俄かに騒めいた。


「人間以外の生物の中には、属性を二つ以上使える者も多い。我々人間は、なぜ、一つだけと決められているのだろうな?」

「二つ以上の属性を使えるだけのポテンシャルが、僕等人間にないからでしょう」

「果たして、本当にそうだろうか? 何百年か前の人間は、主属性を二つ以上持っていたと、全世界の記録に残っていることを、君も知っているだろう?」

「あなたこそ、全世界の人間から魔力が衰退していっていることをお忘れじゃないですか? 昔と今では、そもそも人体の構造が違うことを」


 500年以上前、人々は、領土や資源を巡って対立し、絶えず争っていた。その時代は、誰もが固有魔法レベルの強力な魔法を行使できたと言う。そのことは、ある程度歴史に明るい者ならば誰でも知っている事実だ。

 対して、現在は、魔竜討伐の旗の下に確固たる協力体制が敷かれ、戦争や内乱など過去の過ちでしかない時代。現代の人間に戦う力が残っていないのは、必然であるように思える。故に、ガイガーの言うことは全くの具門であると、そう言おうとして。


「果たして、本当にそれだけだろうか?」


 再び投げかけられた言葉は、不穏な風を孕んでレンリの耳元を撫でた。主属性選択制度。魔竜討伐。戦争。いくつかの単語が、胸中に微細な違和感を残していく。

「知りませんよ、そんなこと。忙しいので切りますよ。ご協力ありがとうございました。」


 うんざりした調子で通信を切り上げ、大きく息をついた。それは、あるいは恐れに近い感情だったのではと、後の彼は振り返ることになる。ガイガーが提示した疑問は、正体不明の違和感となって、いつまでもレンリの頭に居座り続けることとなるのである。

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