04 少年の失望
◆6
「本当に、すみませんでした!」
翌朝のことだ。
オフィスに降りたレンリが真っ先に目撃したのは、泣き出しそうな顔で頭を下げ続けるナナハネの姿であった。声をかけることは躊躇われ、気配を消して自席につく。
ナナハネの正面で彼女の話を聞いているのは、グレーのスーツをきっちり着こなした壮年の男であった。程よく崩した薄紅色の短髪に、表情の乏しい整った顔立ち。セレン・マクワイヤーと言う名で、この会社の設立当時から社長秘書をしている男である。
「まあまあ落ち着いて。昨日のことなら、君が考えているよりずっと大したことはない」
「私、会社にすごい迷惑をかけちゃいました」
「商談がうまくいかないことなんて珍しくもないよ。君だって知っているはずだよ」
そこで、昨日彼女がスカーレットに仕事を振られていたことを思い出した。普段はスカーレットと二人で組んで外周りをしているナナハネに、初めて任された案件だったはずだ。彼女のしおらしい態度を見る限り、成果は芳しくなかったようだ。
「でも、今回は私が一人だったからうまくいかなかったような気がして……。社長がいれば、こんなことにならなかったのに」
「あのな、ナナハネ。前々から言おうと思っていたんだが、君はいつも、スカーレットを買い被りすぎだよ」
「そんなこと。社長は本当にすごい人なんですよ」
「それはまあ、君よりはキャリアが15年も長いからな」
「そうですけど……」
セレンが、社員のいないデスクから手近な椅子を引き寄せた。長くなると覚悟を決めたようだ。
「君は、あいつが商談に失敗したところを見たことがあるかい?」
「あります」
「何回ぐらい?」
「えっと……それは……」
「数えきれないぐらいあるだろう。その度にあいつは、君に何か弱音を吐いたりしているかい?」
「いいえ。次があるから大丈夫だって」
「そうそう。スカーレットはな、済んだことはすぐに忘れてしまうらしいよ。羨ましい性格をしてると思うよ、まったく」
「そうですね。私も羨ましいかも」
レンリに言わせれば、単に学習能力が欠如しているだけだ。
「ありがとうございます。私もスカーレット社長を見習って、今回のことは縁がなかったと思って忘れます」
「それはよかった。ただ、あいつを見習うのもほどほどにな。君の仕事の丁寧さにはいつも感心しているんだ。これ以上、書類の誤字が増えても困るからな」
二人が笑い合う様子を、レンリは聞くともなしに聞いていた。
ナナハネは責任感が人一倍強く、手を抜くと言うことができない。そして、セレンは、社員たちを鼓舞するのが非常に上手い。人はこうして強くなっていくのかもしれない。
「勇者様! 勇者様は!?」
と。見覚えのある小さな影が、開いた扉の隙間から息急き切って駆け込んできた。直後、いつもよりも膨らんだビジネスバッグを肩に担い、今にもオフィスを飛び出さんとしていたスカーレットと、勢い余って衝突した。バランスを崩した彼女が、抱えていたバッグ諸共派手に転倒する。
「スカーレットさん!?」
「社長! 大丈夫ですか!?」
あちこちから気遣わしげな声がかかる。
続いて、とっさにスカーレットの腕を掴むことで自分だけ難を逃れたブロンドの少年へと、好機と批難の目が向けられた。しかし、彼にそのようなことを気にする余裕はないようであった。
「みんな、大丈夫よ。転ぶのは慣れてるし、私がこれくらいでどうにかなる人間じゃないって知ってるでしょ? あら、あなたは。ごきげんよう」
徐に立ち上がり、社員に向かって微笑んで見せるスカーレット。そして、髪の毛やスーツの埃を適当に手で払いながら、すぐ目の前で荒い息を吐く幼い子供に軽く頭を下げた。
「嘘つき」
しかし、返ってきたのは挨拶でも謝罪でもなかった。黙したままのスカーレットへ、少年、ザイドは身を乗り出して捲し立てた。
「勇者様の嘘つき! 助けてくれるって言ったのに! 何で父さんを見捨てたんだよ!」
「確かに無責任だったかもしれませんね。ごめんなさい。だけれど、自警団の方がきたのでしょう? 自警団が介入してくれるのなら、きっと2、3日で解決してくれますよ」
「そんなの嘘だ! だって、自警団は夜の張り込みをするって言ったけど、昨日の晩もやられたんだ! アリスと、チェルシーと、ミルキーと、リリア。全部で4匹も!」
幼い顔がみるみるうちに悲哀に染まる。自警団の見張りは意味を成さなかったということなのだろう。少年に同情はするが、だからと言って、彼等のテリトリーを無断で犯せば、後々面倒なことになるのはこちらの方だ。
「そう、そんなに。きっとお父様は心を痛めておられるのでしょうね」
視線の高さをザイドに合わせ、スカーレットは言った。優しげでありながら、突き放した物言いだ。
「ねえ、今からでも助けてよ、勇者様!」
縋りつくような格好で、ザイドは哀願する。刺々しかった声は今や、助けを乞う子供のそれへと変じていた。
「妹と弟が5人いるんだ。このままじゃ……。妖精園がなくなっちゃ困るんだよ!」
「大丈夫ですよ。あんなに素敵な場所が、そんなに簡単になくなるはずがないもの。一日も早く解決するように、私も祈っていますね」
噛んで含めるようにそう言い聞かせると、スカーレットはザイドの横を通り、今度こそ自動扉へと向かう。今回の件に関して、余計な介入をするつもりはさらさらないのだ。
「勇者様!」
「みんな。あとはお願いね。行ってきます」
扉の向こうで僅かに振り返ったスカーレットは、凪いだ海のような穏やかな微笑を湛えていた。諦観しているようにも、達観しているようにも見える、不思議な微笑みであった。
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