05 遭遇

 ◆7




「はあ。今日は暑いので、どこにも出たくありませんね」


 疲れた男の呟きが聞こえる。この会社でそんな台詞を言う人間は、一人しかいない。


「文句ばっかり言ってないで、早く行ったら?」

「すみません、面倒なお買い物を頼んじゃって。でも、今日ぐらいで暑いなんて言ってたら、サリーの月は越せませんよ」


 シャルネの口調が厳しいのは毎度のことだが、最近では、妹の方もなかなかに侮れなくなってきている。むしろ、すまなそうに面倒事を押し付けてくる分だけ、彼女の方が厄介とも言える。

 財布と風呂敷、通信端末ミミア、さらに小物のいくつかを小さなポーチに詰め込んでいく。杖を入れるためのサイドポケットには、愛用する深緑しんりょくの杖サザンフォレスト。ポーチを腰のベルトに通して、外出の準備は完了だ。


「では、行ってきます」


 気が進まないまま扉を潜ろうとしていたレンリに、後ろから声をかける者がいた。


「レンリじゃーん。どしたのー? 束の間の休息か? それにしてはまだ早いような」


 元気のあり余った様子の金髪が、錬金室から文字通り飛び出してきた。タンクトップに短パン姿で、右手には、意味の分からない幾何学模様の描かれたハンドバッグを下げている。持ち主の熱弁によれば、魔法陣をモチーフとしたデザインらしいが、現代ではほとんど失われている技術である。


「遊びに行くんじゃありませんよ。シャルナさんに買い物を頼まれたので、この暑い中を素材屋に行かなければならないんです」

「わーお、何たる偶然! 俺も素材屋行くんだー。奇遇だねー」

「それならちょうどよかった。ついでに雷の属性石を3つ、買ってきてください。一番大きな物です」

「いいよー。でも、俺一人だと支払い間違えちゃうかもなあ。全部経理の予算から出しちゃえばいいか」

「いいわけがないでしょう。分かりましたよ。あなただけでは不安なので僕も行きますよ。はあ」


 これ幸いと喜んだのも束の間、ガスパーを一人で買い物に行かせるとろくなことにならないと思い直して、本日何度目か分からない溜息をついた。領収書を書き直してもらうよう依頼したり、商品の返品や再注文の手続きをしたり、なかなか帰ってこない社員を探しに行ったり、それらの損な役回りは、大抵の場合自分に押し付けられることになっている。


「さーっすが我等がレンリ先生! 頼りになるー!」

「あなた、僕よりも6歳も年上なんですけど、自覚あります?」

「ふっふっふっ。レンリよ。我は、幾星霜の時を生きるミッドナイトエンペラー。我の前に時間の概念など無意味と知るがよい」

「いいから出発しますよ。ほら、ちゃんと荷物持って」

「へーい」


 二人は、軽口を交わし合いながら、陽光溢れる外の世界に飛び出して行った。





 我が物顔の太陽が、光と熱を惜しみなく振り撒いている。

 時は、もうすぐララの月に差し掛かろうかというところ。そろそろ薄手の上着すら必要なくなる時期とは言え、この日の暑さは今年一番の物である。

 レンリとガスパーは、サウザンドマテリアルという店を目指していた。トランスゲートを経由するほどではないが、歩けば少し距離のある位置にある。


 昼時で賑わう通りを折れ、人通りのない裏通りへ。始終饒舌なガスパーの戯言を適当にあしらいながら歩く。外歩きをあまり好まないレンリではあるが、こうして誰かと話しながら歩くことは、存外に楽しいものだ。


 間もなく、艶めく木の外装が目を引く新しい建物が現れ、二人の足は止まった。頭上には風にはためくのぼりが掛けられており、『サウザンドマテリアル』の文字が躍っている。

 レンリが取っ手を押すと、軋む音の一つも立てずに新品の扉が開いた。


「いらっしゃい。やあ、あんたたちか」


 小さなカウンターの前で客と談笑をしていた男が、二人に向かって軽く手を上げた。


「こんにちはー!」

「どうも。あの、属性石を取りたいんですが」

「はいよ。ちょっと待ってな」


 店主は目の前の客に断りを入れてからカウンターの奥に下がると、飾り気のない小さな鍵をレンリへと投げ渡した。


 ここ、サウザンドマテリアルは、様々な素材を扱う個人店だ。ウールやシルクなどの布類から金銀やミスリルなどの鉱物、レザーなどの脅威由来の素材まで、多種多様な商品を揃えている。

 オリエンス商会は、錬金に必要な素材の仕入れに利用したり、貴重な脅威由来の素材を下ろしたりと、互いに贔屓にしているのだった。


「うーんとー……。炎の小さいのが4つ、大地の小さいのが3つ、風の小さいのが5つでしょ? そんでー……」


 二人は、迷うことなく店の一角にある、硝子扉のついた陳列棚へと向かった。店主に渡された鍵を差し込み、重い硝子扉をスライドさせる。ガスパーがメモ用紙と商品棚とを交互に見ながら、とりどりの小さな石を買い物籠へと入れていく。

 一方レンリは、棚の最下段に手を伸ばし、迷わず目当ての商品を手に取った。両手に抱えられる程度の黄色の石を3つ、ガスパーの持つ籠に追加する。


 二人が買っているのは、属性石と呼ばれる石だ。その名の通り、この世の属性の力を保存しておくことができる物で、石灰などを整形して作った石に、自然界から採取した属性を宿らせて使用する。通信端末のミミアや照明機器、調理機器、水道など、どれもこの属性石の力で動いている。この世界、この時代にはなくてはならない物の一つである。


「今日はずいぶんたくさん買うんですね」

「うん。師匠がね、なんか大量発注を受けたって言ってた」

「閉めてもいいですか?」

「いいよー」


 棚の扉を施錠し、カウンターへ。先ほどの客はいなくなっていた。


「この3つだけは、別に会計をしていただけますか?」

「はいよ。4800グランだが、今日は300グラン引きだ」

「ありがとうございます」


 ポーチから取り出した風呂敷を店主に手渡せば、レンリの買った物だけを綺麗に包んでくれる。一般人のひと月の収入が4000グランほどだということを考えると、お代は決して安くないが、自分の懐が痛むわけではないので気にならない。


「ところで、妖精食い事件って知ってるか?」


 残りの属性石をガスパーの風呂敷に包みながら、店主が話しかけてきた。この店主、錬金師や公認魔法師との繋がりも多く、カルパドールの情勢を実によく把握している。逆を言えば、彼に話した情報は、噂となって瞬く間にこの界隈をひた走ることになる。

 オリエンス商会の立場も知っているため、下手なごまかしも通用しない。人柄は決して悪くはないのだが、油断のならない相手ではある。


「聞きました。夜中に妖精が何匹も襲われたそうですね」

「かわいそうになあ、エイミーガーデンの園長さん。育ち盛りの子供があんなにいて、その上末っ子が生まれたばっかりなのに、こんなことになっちまってよ」


 心から同情するように、店主はしみじみと言った。ガスパーは、何のことかと首を傾げている。

 自警団は、果たして本気で解決しようとしているのだろうか。ウィルトンの疲れ切った顔を、ザイドの縋るような目を、レンリはそっと脳内から追い出すのだった。





 素材屋からの帰宅途中に、事件は起きた。


「うわーお。またいるー」


 感心したような声音で、ガスパーが通りの一角を指差した。

 道端の隙間に、複数の小さな影がうごめいている。目を凝らして見れば、それは蜘蛛であった。まるで隊列を組んででもいるかのように、列を成して一心不乱に一方向へと突き進んでいる。


「なんか、やたらいるよなあ」

「蜘蛛って、あまり群れでは行動しない生物じゃありませんでしたっけ? この動き、蜘蛛と言うよりアリみたいですね」

「でも、何も運んでないみたいだけど」


 数日前の窓際の蜘蛛に始まり、会社の周囲や路上など、思い返してみれば、ここ数日で蜘蛛を見かける機会が格段に増えていた。


「こんなこと、今までにもありました?」

「ん? こんなことって?」


「何だこりゃあ!?」


 レンリが会話を続けようとした刹那、そう遠くない場所で男の素っ頓狂な叫び声が上がった。


「うえ? 何だ何だー?」

「ちょっ、ガスパーさん。何も走らなくても!」


 足の速いガスパーを急いで追いかける。辿り着いたのは、裏通りからさらに奥まった狭い道だった。


 目の前の光景に息を飲む。人間の幼児ほどの大きな蜘蛛がそこにはいた。

 数人の男が、遠巻きに見ながら右往左往している。レンリたちの姿を確認するが速いか、蜘蛛が民家の壁を伝い登り始めた。


「あれって脅威か!?」

「たぶん」

「じゃあ、いいよな?」

「はい!」


 頷き合い、それぞれに杖を構える。二人は、魔法教会の公認魔法師。脅威が出現したりと言った危急の際には、上級魔法や固有魔法の使用を許可されている。


「イグニス!」


 深紅の杖、バーニングハートが輝く。蜘蛛を目掛けて放たれた炎は、間一髪のところで体を反らされ、耐魔壁に大きな焦げ跡を残した。

 驚くべき瞬発力だ。しかし、そこが狙い目だ。


「スイーティ!」


 今度は深緑しんりょく色の杖。レンリの魔法は、体勢を立て直す前の蜘蛛を正確に捉えた。蜘蛛の姿が壁を離れ、宙に投げ出される。直後、鈍い音とともに、今し方レンリたちが立っていた場所に落下した。

 スイーティ。少しの間、相手を睡眠状態にする中級の補助魔法だ。


「とりあえず、動きは止めましたけど」

「これ、どうする? 自警団か?」

「仕方ありませんね」


 レンリが不承不承ポーチに手を伸ばした時、彼の耳が新たな靴音を拾った。

 レンリたちが歩いてきたのと同じ方角から、見慣れたスーツの女が顔を出す。隣を歩く初老の男、恐らく顧客であろう彼に小声で何事かを伝えると、男を残して足早に近づいてきた。


「レンリくん、ガスパーくん。何だか騒ぎになってるみたいだけど」



 その時、レンリは、信じられない光景を見た。


 どんな脅威を見ても驚かなかったスカーレットが。

 大勢に杖を向けられても不敵に笑っていたスカーレットが。

 死の危機に瀕しても、顔色一つ変えないスカーレットが。

 驚愕も動揺も焦燥も、あらゆる悪感情をポーカーフェイスの下に隠してしまえるスカーレットが。


「何があっ、いやーーーーーっ!!」


 盛大な悲鳴とともに、地に倒れ伏した姿を。

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