せかい おわり
ヤウエル歴2000年、幻魔の月、最後の日。
神の御言葉通り、世界は終わった。
来たる終焉の日。
その到来は、滅びではなく救いだった。天から降りる浄化の光。あらゆる生命体はその身を焦がす。燃え尽きた灰が天に昇り、その先には約束された楽園が待っている。
地上、地下、空中、宇宙。この世界のあらゆる可能性は天上に献上された。残されたのは、誰一人残されない世界の残骸だけ。
人の営みの証だけが静かに残っていた。
●
「世界の形を知っているかい?」
誰もいないはずの世界に、声が響いた。声の主は少年だった。変声期を迎える前のあどけない囁き。容易く折れそうなほどに細い手足を動かし、猫のように機敏な動きで地を駆ける。
「誰も知らない。だって世界はこんなにも広いんだ。隅々まで走っていたら世界が終わっちゃうよ」
足を止めた少年の顔がにたりと歪む。世界が終わってから何日経っているのかすら曖昧だ。この世界には元々、夜しか存在しない。故に、何一つ寄るべのない少年には、日にちの経過が分からなかった。
少年は薄闇の世界をぐるりと見渡す。物理現象として輝き続けている星々が燃え尽きれば、真の暗闇が世界を満たす。それがこの世界の、真の寿命。黒猫のような少年には、なんとなく、感じ取れてしまった。
「⋯⋯ふーん。やっぱり、ほんとうに、だぁれもいないんだねえ?」
人どころか、虫ですら一匹もいない。煤色の外套を振り乱しながら、少年は踊った。手足を広げて、身をしなやかに伸ばし、月下に自分をアピールする。遥けき天上への旅路に、たった一人取り残されたこの存在を。
●
『都』の中央に聳える尖塔。かつてヤウエル教会の総本山だったところ。「天上に最も近い被造」と称される聖域を、幼い浮浪者は恐れ多くも寝床にしていた。
乾パンとエビの実のジュース。尖塔内には同じ備蓄がたくさんあった。保存が効くのと、「神からの贈り物」と曰く付きの食事であることを少年は知っている。
それを無遠慮に、むしゃむしゃと食い漁る。餌場を見つけた野良猫のように。煤色の外套のフードで顔を隠すのは、果たして何を警戒してか。
「⋯⋯⋯⋯?」
ゴトリ、と。なにかが落ちた音。
目を見開き、夜目を効かせ、少年は音の出元に近付く。尖塔の入り口に直結している礼拝堂。その大祭壇の上に、いかにもアンティークな意匠を凝らしたトランクケース。
その周囲に降り注ぐ黒い羽根が、ステンドグラスを通して降り注ぐ光を乱反射している。プリズムの煌めき。死んだ世界に色彩が踊った。まるで、天からの啓示を思わせるような、そんな神秘的な光景。
「君は、世界の形を知っているかい?」
あどけない声で疑問を投げる。大祭壇に積もった黒羽根がぶわっと飛び散った。漆黒のトランクケースの表面、深淵を思わせる
トランクケースが、開く。
黒い嵐が舞った。無数の黒羽根が、今度は色彩を吸収してモノクロを彩る。少年は細い両足を、床に縫い付けるように踏ん張った。トランクケースの中が見えて、少年は息を飲んだ。
(銀)
銀色。艶やかな銀髪。
漆黒の翼がバサリと広がる。儚げな輪郭が徐々にはっきりとしてくる。少年は、一歩、また一歩、足を前に進める。手を伸ばす。欲しかったものが、満たされなかったものが、目の前にあるような気がしたのだ。
「世界の形はあやふやで、とらえどころがない」
声。
妖艶に響く女の声。
心臓がぞくりと跳ねた、気がする。
「けれど――――私は世界を知っている」
深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗き込んでいる。
少年は、煌めく銀髪へと手を伸ばした。掬い上げる、絹のような滑らかさ。その奥の、陶器のように冷たい輪郭に触れた。カタリ、と。眼球がくるりと回る。比喩でもなんでもない、ガラス玉。濁りのない眼球の中央で、紫の瞳がくりくり揺れていた。
人形。血肉が通った人間とは決して相容れない不穏を纏う。
「世界を、僕に教えてくれないかい?」
「ええ、よろこんで」
それでも、少年は無邪気に手を差し出した。陶器の輪郭がふんわりと微笑む。
黒い嵐が、萎んだ風船のように揺らいで消えた。
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