クビ

川字

クビ

 はっとして意識を戻す。マフラーが落ちてしまったようだった。雪泥からすくい上げ、巻き直す。

 全部昨日のことのせいだ。社内メールくらいToに突っ込んでもいいじゃないか。「外部への連絡だったら情報事故だった」とか、その時に気を付ければいいだけの話だろ。こんなことで始末書とか、どんなローカルルールだよ。そんなことしてるから、3年離職率が高いんだろ。あぁ、もう……。

 また考え事に閉じ込められ始めたところで、会社に着いてしまった。警備員の挨拶を横目に、速足でセキュリティゲートを通る。今日は誰とも話したくない。

 腕時計を見る。8時ちょっと。始業時間の一時間ほど前だ。この時間ならほぼ誰にも会わずに自席に着ける。エレベーターを待ちながら、その場しのぎの過ごし方を考える。始業時間になったらどうしようかなぁ。

 計略の間も与えず、エレベーターは到着する。中には、誰もいない。後ろに待ち列は、ない。想定通りだ。後はオフィスに入るだけだ。4階を押し、無音に包まれてゆく。

 4階に到着すると、まず10歩ほど歩く。突き当りで右に曲がり、今度は20歩。そこにはオフィスの扉。とうとうこの時が来てしまった。10秒ほど立ち止まって逡巡し、不審がられるのも嫌だなと思い、思い切って開ける。中には、先輩と課長。

 覚悟と諦念を抱え、自席に着く。この社会で生きてゆく最善の策は、反省の姿勢とやる気を見せること。課長に昨日のことを改めて謝罪しに行こう。そう思い、鞄を下ろす。続いてマフラーをほどこうと手を掛けると、先輩と目が合った。

「マフラー、きれいな赤ですね。バーガンディというか」

 どう返していいかわからなかったが、嬉しかったのは事実だ。鮮明な赤でラインが入っているのを気に入って、買ったものだからだ。この色はバーガンディというのか。

 なにか返事をしようとして、意地が立ちはだかる。俺は今、誰とも話たくないのだ。課長に謝罪に行くこととの矛盾が脳をかき回すが、意地は駄々をこねる。もういい、わかった。

 解いたマフラーも握ったままで、課長の元へ行く。課長はこちらに気づくと、目を見開いた。

「君、クビ……」

 は? 声も出なかった。課長はよほど興奮しているのか、口を震わせ、目を開き続けている。

 そんなに怒ることなのか? クビになる筋合いまであるのか? 張りつめていた意識がぷつんと切れ、そのままオフィスから出た。もう無理だ。

 ぼやけた意識の中で、階段を下りる。まだ時間は8時10分くらいのはず。誰にも会わずに済む。このままひっそりといなくなろう。外はさすがに寒い。マフラーを巻こう。

 その後はもはや記憶もない。ふらふらと彷徨さまよい、気づけば家に着いていた。部屋に入ると、無機質な声が染み出ている。

 家を出る際、テレビを消し忘れていたようだ。出勤前までは復帰を信じていたから。焦燥に駆られていたから。もうそれはどうでも良くなった。

 流れていたのは地元のニュース。やることもなくなり、なんとはなしに画面を見つめる。

「――傷者は3人ですが、犯人はまだいると述べており、犯行に使った凶器や供述との食い違いを――」

 通り魔だろうか。ずいぶん近くで起きたらしい。いっそこの首を刺してくれたらよかったのに。それなら会社で切られずに済んだのに。

 自嘲にも笑えず、ヒーターを点ける。もう寒さも感じないが、きっと温まった方がいいだろう。

 真赤なマフラーを取り、それらを足元に落とすと、そこに沈み込んだ。


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クビ 川字 @kawaza

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