5話 旅立

旅立 -1-

 東の空より昇った太陽の光が、クライゼル・シュネッケを囲む巨大な湖の水面に反射する。

 尤もそれは、正確には太陽という天体ではないのだろう。ここは、元居た場所とは違う異世界であるのだから。

 しかし異世界であろうと、ここにも夜があり、そして朝が訪れる。

 朝が訪れれば、人は動き出す。王宮内に住む使用人達は一人、また一人と寝床から起き上がり、一日の仕事を始める。

 そして別の世界からの客人である定藤サダフジ、ニコラス、ウォールの三名も、自分達のやるべきことを始めていた。

「……つまり、連れて行ける兵の数が減った、と」

 定藤が、立て掛けてあった槍を手に取りながら言った。

 ここは王宮の武器倉庫。昨日定藤が確認した、宿泊棟の壁に備えられていたものとは比べ物にならない数の武器や鎧、盾が保管されている。

 そこに定藤は早朝より訪れていた。定藤に呼ばれたウォールとニコラスも一緒だ。半ば無理矢理起こされた形だったので、ニコラスは未だに眠そうな顔をしている。

「申し訳ありません。昨夜の襲撃により負傷した者が多く、首府の防備をより高める必要が出てきました……外に出せる兵の数も、それに伴い少なくなります」

 頭を下げながら、ホーシュが定藤に答えた。

 定藤は槍を入念に確認しながら言う。

「して、連れて行けるのは何人だ?」

 ホーシュは苦々しい表情で顔を上げた。

「多くて……70名」

「……仕方なし」

 定藤は槍を戻した。

「備えてある武具は、これで全てか?」

「全てです」

「うむ……この槍はどうも勝手が違うな。わしは剣と弓を持つとしよう」

 定藤はニコラスとウォールの方に向いた。

「おぬしらも使えそうな武具を選ぶとよい」

「なあ……これ本当に持たないとダメか?」

 ニコラスが目をこすりながら言った。

 定藤は顔をしかませ「当たり前じゃ」と返す。

「今よりわしらは戦に行くのじゃぞ。戦場いくさばに平装で赴く奴がおるか。鎧も己が身体に合うものを見つけておけ」

「……戦場ね」

 ニコラスが渋々と武器や鎧を検分し出したのを確認すると、定藤はまたホーシュの方を向いた。

「具足の大きさはここにあるもので全てか? 女子供に着せるようなものはあるか?」

「女人用の鎧もあることはあります……が、『あの二人』に見合うサイズのものは、さすがに……」

「出立まではまだときがあるのであろう」定藤が語気を強める。「何とか見繕ってくれ。矢風が防げ、動き回ることさえ出来ればよい」

「やってみます」

 ホーシュは頷くと、向こうへ駆け出して行った。

 ホーシュの後姿を見送ってから、ウォールが口を開いた。

リンγガンマも、ちゃんと連れて行くんだな」

「……当たり前じゃ」

 ウォールの方は見ずに、定藤は返事した。

 ニコラスがそれを聴き「ふうん」と定藤に顔を向ける。

「あいつを戦いに出すのは反対じゃなかったのか、リーダー」

「反対じゃ。今でもそう思うておる」

 されど、と定藤一度言葉を置く。

「あやつの力が、これより矛を交える者共に有効なのも確かじゃ……必要以上にあやつを戦いから遠ざけ、それで別の者が傷を負うたら本末転倒」

 定藤がキッ、と虎のような目を見開いた。

「故に! 戦わせない時はとことん遠ざけ、力を借りる時はとことん借りる! あやつの力を持ってあやつの身を守れればそれでよい!」

「そ……そうか」

 ニコラスは曖昧に頷いた。

 ウォールは定藤の方を見て微笑する。

「五人全員で力を合わせ、五人全員で生き残る。そうだな? 定藤」

「そうじゃ、ウォール殿」

「ロマンチスト共め」

 ニコラスは盾を手にしながら、フンと鼻を鳴らした。

「……で、仲良し五人組プランはいいが、あいつらはどうしてる?」

「まだ部屋で寝ておる」

 ニコラスの問いに定藤が答えた。

「あやつらにはまだまだ休息が必要よ。戦の支度はわしらでやっておけばよい」

「休息ね……ちゃんと休むかなあいつ」

「まあ、γも同じ部屋に居るんだ。林も無理なことはしないだろう」

 そう言いながら、自身の武器と鎧を見繕い始めたウォールを見て、ニコラスはまた「ふん」と鼻を鳴らした。

「……無理をしてるのは、果たして林だけかね」



 林が目を開けると、天井があった。

 今居る部屋は、昨日最初に泊っていた部屋よりは少し狭いところだが、それでも部屋の装飾は見事なものだった。この天井だけでも美術の教科書に載りそうだ。

 そんなことを考えながら、林はゆっくりとベッドから起き上がった。

「……っ」

 ズキ、と右足首に痛みが走る。

 昨日その身に負った負傷は、当然一晩で治るものではない。上体を起こすことは出来るだろうが、ベッドから立ち上がって歩き出すには、まだ人の助けが要るようだ。

 しかし、この部屋には自分と、椅子に括り付けられたγしか居なかったはず。誰かを呼ばなきゃと林は顔を動かした。

「……!」

 林は目を見開いた。γが括り付けられているはずの椅子に、縄だけが残され、γの姿がないのである。

「ガンマちゃん……?」

 林は焦って周囲を見回した。もしγが自力で脱出のなら、早いところ見つけないと彼女はどこか遠くへ消えてしまう。林は痛みを我慢して、ベッドから立ち上がろうとした。

「無理はいけませんリン様!」

 突如、自分をたしなめる声が聴こえた。

 γの声ではなかった。顔を向けると、そこにはウミニーナが立っていた。

「ウミニーナさん……?」

 林がキョトンとしている間に、ウミニーナは林の身体を支えて、再びベッドに座らせた。

 ウミニーナは、出会った時からずっと着ていた鎧姿ではなかった。林と同様、洋服とアジアの民族衣装が合わさったような服を着ているが、林のそれよりもどこか高貴で落ち着いた印象のある服装だ。綺麗な金色の髪を持つ、彼女にとても似合っている。

 その姿を見て林は、ああ、本当にお姫様なんだな、と今更ながら実感した。

「ガンマ様は」ウミニーナが落ち着いた口調で言った。「先程わたしとスイジが訪ねた際、『外に出たい』と言われたため、スイジと共に町に出られております」

「スイジ?」

 聞き慣れない名前に林が眉をひそめた。

「勇士様達が王宮に到着された際、ガンマ様の着付けを任された者です」

「……ああ、あの人」

 林は、γを肩車で運んでいた中年女性のことを思い出した。

 思い出した途端、ホッとした。γの傍に誰かが付いているのなら、彼女が変なところに行ってしまうことはないだろう。

 そして、何故ウミニーナが自分の部屋(正確には借りている部屋だが)に来たのかに疑問が移った。

「ウミニーナさんは……」

「しっ」

 林が話そうとした矢先、ウミニーナが人差し指を林の口に当ててきた。

「『さん』は要りません。貴方は私がお呼びした勇士様です。ここはウミニーナ、そう呼び捨てて構いません」

 ウミニーナが指を離す。林は少し考えてから、やがて納得したように頷いた。

「……分かった。じゃあウミニーナって呼ぶね」

「ありがとうございます」

「その代わり」

 林がニッコリ笑った。

「わたしのことも『リン』って呼び捨てるように」

「えっ!?」

 ウミニーナが目を丸くした。

「そ……それはなりません。貴方様達はアバロニアを救ってくださる恩人なのですよ!? そのような方を呼び捨てるなど……!」

 両手を前に出して断ろうとするウミニーナに、林は口を尖らせる。

「勇士のわたしは言うこと聞くのに、ウミニーナはわたしの言うことを聞いてくれないの?」

「うっ……それは……」

 その言葉を受けてウミニーナの目が泳いだ。

 林がわざとらしく手を顎に当てる。

「同い年の子に林って呼ばれるのはなんかなぁ~。ただでさえガンマちゃんにそう呼ばれてむず痒いのに」

「……同い年」

 ウミニーナの顔が、一瞬暗くなったのに林は気付いた。

「ウミニーナ?」

 林が首を傾げると、ウミニーナは覚悟を決めたように目をグッと閉じた。

「……っ分かりました! 僭越ながら、これからはリン! と呼ばさせていただきます!」

「固いなぁ……昨日の敵も顔負けだ」

 そう言って林は苦笑した。

 林はさらに、他のメンバーのことも必要以上に敬って呼ばないよう願い出た。ウミニーナはその都度目を強く閉じ、覚悟を決めて了承した。

「で……話を戻すんだけど」林がウミニーナに言った。「ウミニーナはどうしてここに? なにかあったの?」

「え……いや、それは……」

 ウミニーナが言い淀みながら答える。

「リンさ……リンが昨日足を怪我されたと聞いたため、様子を伺いに来たのです」

「……へぇ、それは……わざわざどうも」

「わざわざなんて!」

 ウミニーナが声を上げる。

「勇士の貴方に何かあれば、それはアバロニアに何かがあることと同義……! 貴方のお身体を気遣うのは国王の娘として当然の義務です!」

「……プレッシャーだなぁ」

 そう言いながら林はボサボサの髪を掻いた。

 ウミニーナの話を聴きながら、林は彼女の態度に変化が生じているように感じた。

 出会った当初、自分達を「勇士」という大仰な存在と祭り上げ、うやうやしい態度をとっていたのが、王宮では一変、気まずそうな表情を自分に向けるようになった。林はその時点の変化が既に疑問だったのだが、今ウミニーナは再び自分を敬う態度に戻っている。

 ……いや、違う。これは「敬う」とは、どこか違う。

 彼女の目線と言動は、何か大切なものを気遣うそれだが、彼女の言う「恩人」に対するもののようには、林は感じない。

 この態度は…………分からない。林は確かにウミニーナの向ける「それ」を知っているはずなのだが、どういうわけか、思い出すことが出来ない。

「……貴方達が居なければ、母上を助けることも叶いません」

 林の感じた疑問は、ウミニーナのその言葉でどこかに飛んでいった。

 ──母上。

 ウミニーナの母。国王クリフレイシの妃で、アバロニア王国の騎士団長。名前はリンボウ。

 林達は、リンボウの救出もクリフレイシに頼み込まれた。

 それはどこか、魔王討伐よりも、強い思いで。

「……ウミニーナは」

 林が口を開き、ウミニーナが林の顔を見た。

「そのお母さんのことを、尊敬してる?」

 林の質問に、ウミニーナは一瞬キョトンとしたが、やがて笑みを浮かべて言った。

「当然! 母上は私の誇りです!」

 ウミニーナが胸をドンと叩いた。

「女の身でありながら戦士として前線に立ち、アバロニアを守られてきました! このクライゼル・シュネッケが鉄壁の首府となったのも、母上の働きあってこそです!」

「……そっか」

 林は軽く微笑んでみせたが、ウミニーナはさらにヒートアップするようだった。

「外敵を鬼神の如き厳つさで粉砕する反面、民には慈愛の女神のような優しさを見せられます! ある時こんなことがありました! 湖の畔に住む漁師の家が『森人』の被害に苦しんでいるという話を聴いた母上が、兵士数名を連れて湖に……」

「うん。あなたのお母さんがすごいのはよく分かったよ、ウミニーナ」

 話し途中のウミニーナを、林は手で制した。

「すごいのは分かった……だけど、ひとつ聞いてみてもいいかな」

「……はい?」

 首を傾げるウミニーナに、林は言った。

「……その尊敬するお母さんが、仮にだよ。もし仮に……あなたはどうする?」

「…………え?」

 林の言ったことがよく分からず、ウミニーナは聞き返してしまった。

 ウミニーナの反応を見て、林はハッ、と我に返った。

「……いや、ごめん。なんでこんなこと聞いたんだろ……いや、なんでもないんだ。忘れて……」

 林は、言えば言うほど、自分で自分を追い込んでいるような気持になった。やがて堪らず、ベッドに潜り込んだ。

「リン……?」

 ウミニーナが心配そうに声を掛けた。林が応えた。

「……ごめん……一人にさせて……」

 ウミニーナは林の身体に触れようとしたが、その言葉を受けて手を引いた。

 シーツを被る林のことを、ウミニーナはしばらく見ていたが、やがてゆっくりと、その場から立ち去った。

 部屋を出る時、ウミニーナは「部屋に入る前」にした決意を、改めて胸の中で復唱した。

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