第一幕「魔王征討篇」

1話 勇士

勇士 -1-

 火神林カガミリンは、またしても落下していた。

 二度目になるが、林にとってこの感覚は気分の良いものではない。嫌なことを思い出しそうになるからだ。

 ペッパーズカンパニーが人を異世界に送る時は、毎回こんな感じなのだろうか? だったら嫌だなぁと考えている内に、林はあることに気付いた。

 さっきまでその手で押さえていた、キャンサーγガンマの姿が見当たらない。

 林に焦りが生まれる。どうしよう。扉をくぐった時に手を放してしまったのか? この空間ではぐれてしまったら、もう会えなくなってしまうのでは?

 林はγを探そうと、辺りを見回した。

「うぐぇっ」

 側頭部から床に落下した。

 衝撃は少なかったが、プラターネに会う前の優しい着地とは程遠かった。林は首を押さえながら、ゆっくりと起き上がる。

 辺りは薄暗く、何かしらの建物の中にいるようだった。

 林は、そこが教会のように見えたが、中はひどく荒らされていた。

 元は机か椅子の木片が散乱し、天井を支える石柱の何本かは折れてしまっている。床にはところどころヒビが入り、割れている部分もある。

「……ん?」

 林は、床に「炭」か何かで書いたような黒い線を見つけた。線はいくつも書かれていて、円や三角のような図形を作っている部分もある。

 そして、一際大きな円が、それらの図形を囲むように引かれていた。

「むう? ここが異世界とやらか?」

 声のした方を向くと、里崎定藤サトザキサダフジが着ている鎧をガチャガチャ鳴らしながら辺りを見回していた。

 ニコラス・ニコット、ウォール・マイン、そしてキャンサーγも近くに居る。どうやら全員はぐれずに済んだようだ。

 γがどこかに行ってしまいそうなのが見えて、林は駆け寄り、再びγの肩を持った。

「……お手数の程痛み入ります」

「いやいやいや、安心したよ。さっきはうっかり放しちゃったみたいだし」

 弁明する林に対し、γが首を振った。

「いいえ、ワタシは直前まで確かに火神林様に押さえていただいておりました」

「か、カガミリンサマ……」

「あの扉の中に入った瞬間、ワタシは『たった一名』になりました。レーダーも、他の四名の方を捉えませんでした。ワタシは単騎であの空間を落下し、ここに来たと推測されます」

「あなたも一人だったの?」

 となると、他のメンバーも一人であの空間を落ち、ここに着いたのだろうかと林は思った。どういう原理か気になるところだが、プラターネに聞いても答えてくれるだろうか?

「……二人とも、静かに」

 ウォールが会話を止めた。林はウォールの方を向く。

 ウォールが、前方を指差した。

「誰かいる」

 定藤とニコラスが振り向き、林もγを抱えたまま、前方を注視する。

 ウォールの指の先では、人が一人、床に倒れていた。

 ケープのような布を被っていて、性別や年齢の判断はできない。

「……現地ガイドとご対面だ」

 ニコラスが吐き捨てるように言った。

「動かないようだが……どうしたものか」

 ウォールが思案する。

「というか……生きてるかな、あの人……」

 林が心配そうに呟く。

「この距離では体温も脈拍も不明です。もう少し近付く必要があります」

 γがそう告げる。

「さすれば近付くか。おーいそこのものー」

 定藤が声を掛けながらズンズンと歩いて行った。林達はギョッとし、ニコラスが小声で叫ぶ。

「おい! 馬鹿サムライ! もっと慎重に動け馬鹿っ……!」

「確認するだけじゃ。あとちゃんと名で呼べい! わしは里崎さだ……」


「ぅ……うぅ」


「!!」

 倒れている者が唸った。

 全員が身構えるが、定藤が何かに気付いた。

女子おなごの声……? よもや、行き倒れではあるまいの!」

 定藤は静かに近付き、倒れている者に触れた。反応はない。定藤は目だけで全身を確認すると、その者を抱きかかえた。

 定藤が手を振る。

「大事ない! やはり女子おなごじゃ。気を失っておる」

 林達は互いに顔を見合わせる。

「……どうします?」

 うーむ、とウォールが手を口に当てる。

「……近付いてみよう。何かしてくるにしても、定藤かれが抱えている限り大それたことは出来ないはず」

 ウォールの提案にニコラスが眉をひそめた。

「……俺は嫌だぞ。リン、そいつ預かってやるから、オッサンと一緒に見て来いよ」

「え?」林はニコラスを見てからγの顔を覗き込む。「……このお兄さんこんなこと言ってるけど」

「問題ありません。火神林様に不都合がなければ」

「うーん……じゃ、お願いします」

 林はγをニコラスに預け、ウォールと共に前へ進む。

 ふと、どうしてニコラスは自分だけ名前で呼ぶんだろう、と林は疑問に思ったが、とりあえず今は前方の問題に集中することにした。


 その時、後ろでニコラスがγに対し、何事かを耳打ちした。

 声は小さく、林やウォールには聴こえなかった。


 林とウォールは定藤に近付くと、静かに尋ねた。

「……どうだろう? その人は」

「怪我はなさそうだのう。飢えて倒れたようにも見えんが……」

 林は定藤が抱える女性を、よく観察する。

 綺麗な女性だった。年齢は林と同じ高校生くらいの少女で、ケープの隙間から長くて美しい金髪が見える。

「この娘、布の下に具足を着ておるぞ」

 定藤が言った。

 林がおそるおそるケープをずらすと、確かに、鋼の鎧のようなものが見えた。

「鎧……ということは兵士さん……?」

「そうは見えんがのう。この娘の家の者が、備えで着せたのではないか?」

「いずれにせよ、何故ここで倒れているのだろうか?」

 三人がしばらく黙り込む。少女は未だに目を覚まそうとしない。

「……鼻でも耳でもつねって、無理矢理起こすか?」

「え……どうかな……怒らせたくもないし……」

 定藤と林が話していると、ウォールが「静かに」と人差し指を口に当てた。

「……何か聴こえないか?」

 そう言われ、林と定藤は耳を澄ませる。

 聴こえる。かすかにだが、何名もの人が声を上げ、地響きを立てるような音が。

 林にはそれが、近所の小学校でやっている運動会の音に似ていると感じた。その時、定藤が急に少女を手放して立ち上がった。

「──戦じゃ。かなり近いぞ!!」

 林とウォールが互いに顔を見合わせ、定藤に続いて立ち上がる。

 定藤が後ろを向いた。

「おい若造! すぐ移動できるよう支度を…………なにをしておる?」

 林とウォールも振り向く。

 ニコラスがγを背負って、横の壁を手探りで調べていた。

「……クソッ、もう少し眠り姫の相手してりゃいいのに!」

 定藤達に気付いたニコラスは、壁に付いた「突起」のようなものを掴んだ。それはドアノブだった。ニコラスは木製の扉の前にいるようだ。

「っ! いかん!」定藤が叫ぶ。「よせ若造! 今外に出るのはまずい!」

 ニコラスが鼻で笑う。

「は! 知ったことか! やる気ある奴らだけで好きなだけ探検してろよ! じゃあな!」

「ちょっと待って! その子どうするの!?」

 林がγを指差す。ニコラスは無視し、ドアノブを回した。


 甲冑を着た一人の兵士が、木製のドアを突き破って室内に飛び込んできた。


「おおう!?」

 ニコラスが寸前で躱す。兵士は木片と共に、背中から床に叩きつけられた。

 破られた扉の隙間から、陽光が差し込む。巻き上がった砂埃がそれに照らされる。

 ぐうぅっ、と唸りながら、兵士が苦しげに叫んだ。

「なんてことだ……! まで近付けてしまった……!」

 兵士は右手に持った長い剣を杖代わりに、フラフラと立ち上がる。

 その時、兵士はニコラスと目が合い、驚いた顔をした。

「……なんだ、おまえは……」

「えっ……いやっ……」

 ニコラスが返事に窮していると、兵士の表情が変わった。

「その見たこともない格好……! もしや! そなたは勇──」


 飛んできた一本の矢が、兵士の喉元に突き刺さった。

 兵士は目を見開きながら、後ろ向きに倒れた。

「──う」

 右手から放された剣が、カランカラァンと大きな音を立てて床に落ちた。

「うわぁあああああああああああっ!?」


 ニコラスが絶叫し、腰をついた。

 破れた扉の隙間から、さらに二本目、三本目の矢が飛び込んでくる。

「ちぃ!」

 定藤が舌を打ち、ニコラスの下へ走る。

 ウォールは咄嗟に林を抱え、折れた石柱の影へ駆け込む。硬直していた林はハッとして、目線を横に向けた。

「ウォ……ウォール・マインさん! あの子も!」

「! そうか!」

 ウォールは石柱に林を置くと、倒れている少女のところへ戻ろうと振り返った。

 その瞬間だった。

 まるで重機のような唸り声が聞こえたかと思うと、建物全体を大きな振動が襲い、壁が内側に押し込まれるように崩れた。


 屋根が落ち、建物が完全に崩壊する寸前、ニコラスは扉の隙間から、はっきりと「それ」を見た。

 子供のような身長で、緑色の肌を持った化け物の軍団が、先程の兵士と同じ甲冑姿の男達を、壁に押し付ける様を。

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