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 タクシーが着いた先は杏菜の部屋だった。

 夜中でも三十度近い真夏だというのに、私の身体は芯まで冷え切っていた。明け方の四時だったが、杏菜はお風呂にお湯を張って、温かいミルクを出してくれた。ブランケットにくるまりミルクを飲む私に、杏菜はなにが起きたのかを話し始めた。


 私は、溺れかけていたのだそうだ。

 周りに水なんかない、ベッドの上で。


 ガタガタという音で杏菜は目を覚ました。その音は隣のベッドからで、見ると、私が痙攣していたらしい。

 身体は大きく震えているのに、顔はまるで固定されているかのように上を向いている。

 ごぽ、という音がして顔を覗き込むと、


 目一杯開いた口の中に、なみなみと水が溜まっていた。


 慌てて起こそうと声をかけたが気付かず、顔を横に向けようとしてもダメで、力いっぱい胸元を引っ張ったら身体が動いて、私は水を吐き出すことができたのだった。



 さすがにもう眠ることはできず、日が昇るまで二人でベッドの上に座っていた。杏菜はずっと私の背中をさすっていてくれた。

 朝になったら、杏菜が私の部屋の様子を見に行ってくれるという。ここで待っていてと言われたが、一人になる方が怖かった。

 それでまた、自分の家の前に立っている。建物には入っていない。あれだけの水が流れたら他の部屋まで浸水して大変なことになっているのではないかと思ったが、外から見る限りは何事もなさそうだ。

 いつもとなにも変わらない、私の住むアパート。

「中は私一人で行きます。マリさんはここで待ってて」

 言われるままに杏菜の背中を見送る。階段を登って三階の共同廊下へ。私の部屋の前に立って、杏菜はこちらを見た。

 そしてドアに向き直り、ノブに手をかける。ゆっくりと開かれた扉から、水は溢れ出してこない。

 杏菜の姿が部屋の中に消えて、ドアが閉まった。

 五分もせず杏菜は戻ってきた。

「水、なかったです。濡れてもなかった。あとすいません、勝手に着替えとか適当に持ってきちゃいました、バッグも」

 そういって、部屋に置いてあったショッパーとバッグを手渡される。

「とりあえず、手がかりは残像の二人だけですね……マリさんの前にあの部屋に住んでた人って、誰かわからないですか?」

「入居するときはしばらく空き部屋だったって聞いたけど……とりあえず不動産屋さんに聞いてみようか」

 まだ不動産屋の営業時間ではなかったから、近くのファーストフード店に入って待つことにした。

 ハンバーガーのジャンクな味は、私をすこしだけ日常に引き戻してくれる気がした。


 不動産屋での収穫はなかった。予想はしていたが、個人情報だから教えられないの一点張り。こっちは危険な目に遭ったのだ、と主張したくても、うまく説明できる気はしなかった。

 ただ、事故物件でないとは断言していた。私の部屋でも、他の部屋でも人死には出ていないと。

「どうしましょう……」

 一縷いちるの望みがあっさり絶たれて、杏菜はあからさまに肩を落としていた。

「他の部屋の人とか、ご近所さんに聞いてみる」

 一方の私は、なぜか奮起しはじめていた。確かに死にかけたし恐ろしかったが、なぜこんな目に遭わなければならないのか、その理不尽さに怒りも感じていた。

 私は前世で一度死んでいる。それをまざまざと思い出したというのもある。一度経験したことはそこまで恐ろしくはないのだ。

 せっかく杏菜と――私のアンと再会できたのに、よくわからない怪異なんかにやられっぱなしではいられない。

 部屋の中以外で怪異は起きてない。アパートの他の部屋を訪れるくらいは大丈夫だろう。

「行こう、杏菜」

 そう言って手を取ると、杏菜は不思議そうに私を見つめた。


「あなたが入るまで何年も空き部屋だったの、あの部屋」

 教えてくれたのは、アパートの隣の部屋の女性だった。

「前に住んでた人が亡くなってね」

 え、と杏菜と私は同時に声を出した。

「でも不動産屋さんは事故物件じゃないって」

「ああ、亡くなったって、この部屋でじゃなくて。自殺だったらしいの。車で海に」

 ドボン、とほとんど声に出さずに女性は言った。

「でも一緒に乗ってた子は無事だったらしいから、それは不幸中の幸いね」

「一緒に乗ってた……って、あの部屋で一緒に暮らしてた人ですか?」

「そうそう、私はてっきり姉妹なのかと思ってたけど違ったみたい」

 私は訊いた。

「その人の名前ってわかりますか?」

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