わたしの女
ナツメ
1
困ったことが三つある。
ひとつ、ここのところ怪奇現象に悩まされている。
ふたつ、私は生まれてこの方、前世の恋人を探し続けている。
みっつ、その四半世紀求めた女が、今、こちらに銃口を突きつけている。
「……アン?」
ぷしゅ。
銃口――もとい噴射口から、ほんのりとした良い香りのミストが噴出されて、私のゆるく巻いた髪とレモンイエローのリネンシャツを湿らせた。
「
ドアを開けるなり消臭剤を吹きかけてきたその女は、くるりと背を向けてそっけなくそう言った。
私よりわずかに低い身長。短く切りそろえた黒髪。オーバーサイズのシャツを羽織って、歩くとその裾からちらちらとショートパンツが覗く。むき出しの脚は存外に肉付きがいい。そして。
「どうぞ、上がってください」
廊下の先で振り返ったその顔。記憶よりもやや大人びているが、それは紛れもなく、前世で私が愛した女の顔だった。
杏菜の部屋は、雑然としているのに妙に殺風景だった。
家具らしい家具はベッドとローテーブルだけ。あとは無機質なスチールラックに、本やDVD、雑多な小物が規則性なく積まれている。
「すいません、ベッドしかないんでそこに座ってください」
言われるがままにベッドの縁に腰かけると、杏菜はローテーブルを挟んで向かい側にクッションを敷いて座った。
「
充電器につないだままのスマホを片手に、私を見上げる。頷くと、手元に目を落として言った。
「私のことって誰から聞きました?」
「えっと、大学時代の同期から紹介されて」
「名前は?」
「佐藤
さとうさとうさとうたくま……と呟きながら杏菜はスマホ画面をスクロールする。そして「あー、あのお地蔵さんの人かあ」と独り言を言って、
「佐藤さん、私のことなんて言ってました?」
と訊く。
「すごい霊能者がいるから見てもらえって……」
「それ、違うんです」
「え?」
「私べつに除霊とかできないです」
「でも、佐藤は杏菜……さんに見てもらって解決したって」
「それは除霊したわけじゃなくて、肝試しに行ったときにお地蔵さんを倒しちゃってるから直したほうがいいですよって教えてあげただけです」
どういうこと? と質問しようとしたが、自分で説明したほうが早いと思ったのか、杏菜が間を置かずに口を開いた。
「私は人とか物の記憶というか、残像? みたいなものが、たまに見えるだけです。それを見て、原因を推測して伝えてるだけで」
私には杏菜の言っていることが、あまりよくわからなかった。ただ、この子が私に向かって敬語を使ってるのは変な感じだな、と思いながら懐かしいその顔を見つめていた。
「だから、マリさんが困ってることを解決できるかどうかはわかりませんけど、とりあえず見てみるだけならできますよ」
長い睫毛が瞬いて、私を見つめ返す。黒々とした瞳は私の姿を映している。
「……ところで、会ったことありましたっけ」
杏菜に言われてハッと我に返った。
「玄関で、アン、って。そう呼ぶ友達もいるので」
二十五年間、この子に、アンに会うことを考えていたくせに、実際に会ってどうするかを考えていなかったことに初めて気付いた。向こうも覚えているだろうと期待していた。それは半ば確信に近くて、だから、再会したらすぐに抱き合って、今度こそ一緒に幸せになろうね……なんて。
どうしよう。言ってしまおうか、「私には前世の記憶があるの。あなたは私の恋人の生まれ変わり」って?
――そんなの、頭がおかしいと思われるのが関の山だ。
「あ、ううん。子供の頃の友達にちょっと似てたの。名前まで似てるなんて偶然」
そう取り繕うと、杏菜は視線を逸らした。その横顔はホッとしているようにも、がっかりしているようにも見えた。
話題を変えなければ、と思って今度は私が聞いた。
「そういえば、玄関で消臭スプレーしたの、あれ何?」
「ああ、除霊です」
「でもさっきできないって」
「できないですよ。でも相談に来る人に本当に何か憑いてたら怖いじゃないですか。私、おばけは見えないし。ああいうスプレーは除霊できるって何かで見たので。まあ気休めですけど」
真面目な顔でそんなことを言うので、私は思わず笑った。
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