2 仕事はいらんかね
ここは自由都市なのであの幽霊みたいなドラゴンの孫は本物の領主様ではないらしい。のだがバーテン曰く「この辺にお城を持っていてこの辺で一番にらみが効く」ので実質領主のような扱いを受けていてでかい面倒ごとはぜんぶ行くそうだ。ついでに「武力がすごい」とも言っていたが、軍勢を抱えているのか単騎でいかんのかは怖いので聞かないでおいたテオデリヒである。そんな人物が来るということはあんななりでも由緒ある酒場なのかと思いきや「そんなことはない」らしい。謎だ。
ちなみにあの酒場の名前は「毒杯」という。店長(テオデリヒ来店時不在)が身内を毒殺したとからだとか毒殺に失敗して家を追われからだとかアレな由来があるらしい。正直飲食店の店名にするのはどうかと思う。安心して杯を傾けにくい。
そんなことを思い返しながら起き抜けのテオデリヒがぼさっとしていると、宿の扉を叩く者がいた。
「仕事はいらんかね!? おのぼりのテオデリヒっておまえさんだろ? 金は払う! 手伝ってくれ!」
超弩級の無礼者である。
まだ寝こけているモニカを寝台に残し、テオデリヒは仕方なく無礼者の応対をすることにした。
扉を開けると麦わら色の髪を垂らして片目を隠したあごひげの、まあ要するにごろつき然とした男が肩で息をして立っていた。
「モニカちゃんは!?」
「だ、誰」
「申し遅れたな! おれはエーリオ、まぁちょっとした便利屋だ。おまえさんたちのことは毒杯のサイモンから聞いた。まだ仕事が決まってないんだろう? 今日だけでも手伝ってくれねえか? 重労働だが危険は少ない。金はこのくらい出す」
「サイモン……?」
「尖り耳のお兄ちゃんだよ」
少ししてあのバーテンのことだと理解する。もう少しして、提示された金額が一日の労働にしてはそこそこいい金額であることを確認する。
「……何の仕事なんですか」
それだけでもう手伝ってもらえると思ったのか、エーリオは満面の笑みを顔に乗っけて元気よく言った。
「パン屋さん!」
***
エーリオが2人を連れて行った先は商店街のパン屋だった。昨日の出来事や、エーリオの身なりからすると信じられないようなまっとうなパン屋だ。「ここだ」と言われるまで、テオデリヒは「パン屋」がなにか冒険者の符牒か、悪くしたら後ろ暗い隠語だと思っていた。看板にはこの辺の共通語で「パンとお菓子の店 フリッチェ」とある。店内からはいい匂いが漂ってきて、朝食もまだの2人はぐうっと腹を鳴らした。横でエーリオの腹もなっていたような気がしたが、テオデリヒは何も言うまいと思った。
「奴隷連れてきたぞ!」
奴隷て。
こんな商店街のど真ん中にふさわしい言葉ではない。テオデリヒの脳裏に「ならず者の酒場」の風景がよみがえる。
「奴隷か! 待ってたぞ!」
店内から出てきたのはエーリオとテオデリヒの間くらいの年の青年だった。長めの黒髪にやっぱりあごひげをちょろっと伸ばしており、「ドラ息子」感が否めない。いかにもエーリオの仲間という雰囲気である。少なくともこのかわいらしいパン屋さんには似合わない第一印象の男である。
青年は2人をじろっと見て、腕を組んだ。
「よし。なかなかいい面構えの奴隷だな。中に入れ。おれはヨハン。まずはパンを食え」
要するに奴隷というのは臨時の従業員のことを言っているらしかった。朝から晩まで馬車馬も音を上げるほど働かせるから通称奴隷。そんな話を焼きたてのパンをほおばりながらヨハンがしてくれた。白パン。黒パン。バタークリームを塗った甘いパン。たまごサンド。焦げ目がつきすぎたのとか形がいまいちなのを籠に積み上げ、朝食として供された。奴隷にしてはいい境遇である。加えてミルクも飲める。
どうもこの店の主たるヨハンの母親が風邪をひいてしまったらしい。折悪しく、雇っていた従業員も最近辞めてしまったとかで、少しの間はヨハンのみで店を回す必要があった。あったがそんなのは無茶な相談で、ヨハンがエーリオに愚痴り、エーリオが昨夜遅くサイモンに相談し、テオデリヒとモニカに白羽の矢が立った次第であるらしい。
「給金のほかに、うちのパンでよければ3食食わせてやる。母さんの風邪が治るまででいいんだ。……エーリオは今日だけって言った? いちいち教えるのめんどくさいんだよな……あさって以降は別の仕事あるのか? ない? じゃあいてくれよ。パンと給金。悪い話じゃないだろう」
「……テオデリヒがしなくても、わたし、したい」
「僕もするよ。仕事ないし。あの、よろしくお願いします。ヨハンさん」
「よし、決まりだな。しっかり頼むぜ。で」
ヨハンの不審そうな目線が、ある1点に据えられる。
「なんでエーリオまでちゃっかり飯食ってるんだ」
「おれの分も椅子があるじゃん?」
「そういう意図じゃねーよ。別にいいけどさ」
「じゃ、おれ、帰って寝るわ。頑張ってな」
コップのミルクを飲み干すと挨拶もそこそこに、エーリオは伸びをしてさっさといなくなった。ズボンの尻から下がった矢印尻尾がぷらぷら揺れている。どうやら悪魔の類だったらしい。
「相変わらず自由な奴だな……」
苦笑しながら片づけを始めるヨハンを、テオデリヒとモニカも手伝う。そうしながら金勘定はできるかとか、細かい話をして役割を詰めていく。話の結果モニカが会計、テオデリヒが陳列と相成った。ヨハンは「モニカちゃんかわいいから前面に出したかった」とのことだが、モニカは抜けているようで、金の話になると他人の金でもうるさい。適材適所だ。
「じゃあ適当なところで交代で休憩な。よし、開店!」
テオデリヒによれば、この日のことは「あまり覚えていないし思い出したくもない」らしい。
ここにきて日が浅い彼は、今日が祝日であることをまだ知らなかったのだ。
なぜかモニカは知っていた。
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