11(準備室と台本)

 演劇部の人間であと話を聞いてないのは、一年の沢樹くんがいるだけだった。けど、この子のことは最初から除外しているので、特に質問はしていない。

 何しろ、野球でもやっていたほうが似あいそうな健康優良児なのだ、彼は。ギリシア悲劇と化合物の違いもわからないほどの。脚本を書くなんて感性は持ちあわせていないし、企画発表の時にまっさきに疑問を口にしたのもこの子だった。

 というわけで、わたしはいまだに犯人(?)の発見にはいたっていなかった。そのあいだも舞台準備は着々と進んでいて、それから夏休みの終わりも着々と迫りつつある。

 ちなみに、発表当日のキャスト・スタッフをあらためて示すとこんな感じ。


・クリュタイメストラ(阿久津椛)

・アガメムノン・見張り番・布告使・アイギストス(久瀬丞一郎)

・カッサンドラ(鹿賀真穂)

・コロス長(宮坂孝太)

・コロス(清橋誠司、沢樹靖さわきやすし

・侍女(榛つくし)

※音響(乙島祈子)

※照明(小森咲槻)


 久瀬先輩が四役なのは、人数の関係もあるにしろ、一つの舞台には三人の役者という当時の形式を踏襲したものでもある。同じ場面で登場することはないので、仮面をつけかえれば簡単に別人ということになるのだ。

 コロスの人数は本来、合計で十二人なのだけど、そんな人数をうちで用意できるはずもなく、白菜みたいに四分の一にカットされてしまった。ちなみに、つくしちゃんの侍女にセリフはついていない。

 舞台が完成と発表に近づく一方、わたしの捜査は停滞と迷妄に沈んでいた。

 この『アガメムノン』を望んだのは、一体誰なんだろう――?



 前にも言ったとおり、演劇部に専用の部室はなくて、活動には視聴覚室を使わせてもらっている。さらにその準備室の一部を間借りして、一種の事務室として利用していた。

 ――わたしは今、その準備室に一人で立っている。

 部屋のすみっこに古いキャビネットが置かれていて、そこに演劇部の活動記録だとか、昔の台本だとかいった資料が収められていた。死んで皮だけ残していった虎みたいなものかもしれない。ほかには共用で使っているパソコンや、複合プリンターといったものが置かれている。

 わたしはそこに収められた台本のいくつかを、手にとってみた。大体のものはパソコンにも保存されているのだけど、古いものは紙媒体でしか存在しない。それに、今回の『アガメムノン』も。

 原本には当然、書き込みはなくて、白紙のままの舞台がそこにあるみたいだった。ここから、すべての劇はできあがっていったのだ。そう考えると、音のない不思議なざわめきが聞こえたり、関わった人たちの形にならない想いが両手に伝わってくるような気もした。

 最近の台本を見ると、久瀬先輩のものが多い。あの人の趣味なのだそうだ。中には上演されることもなく、そのままお蔵入りしたものもある。大体、『走れメロン』なんて題名の劇、誰が見たいと思うのだろう――いや、そうでもないかな?

 まあともかく、ここには演劇部の魂みたいなものが安置されているのだった。そのうちの一番新しいものが、『アガメムノン』である。

 原作者であるアイスキュロス以外に、作者名はない。

「…………」

 わたしはぱらぱらと、そのページをめくってみた。

 当然だけど、それは部員みんなに配られたのと同じものだった。ただ何の書き込みもないだけで、作者を示すヒントになりそうなものもない。わたしが何度も繰り返し読んだのと、まったく同じものだ。

 けれど――

 不意に、わたしは違和感を覚えた。それはほんのかすかな、知らないうちに隕石が地球をかすめていった程度のものでしかなかったけれど、それでも違和感には違いない。

 はて、と思いながら、わたしはその違和感について考えてみた。どこからか空中を飛んできた、風船の紐をつかもうするみたいに。

「――!」

 そうして突然、あることに気づく。

 わたしは慌てて、ほかの台本を選んで確認してみた。そしてそこには、思ったとおりの結果が現れている。

「……でも、じゃあ?」

 その事実を、けどわたしはどう考えていいのかわからなかった。もし、あの人が事の首謀者だとすれば、一体何故、何のためにこんなことをしたんだろう――

 それに第一、こんなのはせいぜい証拠にもならない言いがかりにすぎなかった。ただの偶然で片づけてしまうことだって、十分に可能なのだ。

 わたしはまとまらない考えを抱いたまま、長いことそのままでいた。

 ――窓の外では蝉の声と夏の陽ざしだけが、変わることなく世界を満たしていた。

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