第11話 月下綺夜羅
月下綺夜羅はバイク屋の娘として生まれた。
1人娘の綺夜羅は両親にとても愛されて育った。
父親は若くしてバイクの修理屋として独立したが、経営状態も大きく上がり下がりすることなく家族3人普通に暮らしていくことができていた。
それは綺夜羅にとってはとても幸せな環境だったが、来る日も来る日もバイクと向き合うだけの夫に母親はいつしか冷めていき、そこから少しずつケンカの絶えない日々がやってきた。
小さい頃から綺夜羅はいつも母親と一緒だった。どこかへ出掛けるのも幼稚園や学校の行事も、いつも一緒にいてくれたのは母親だった。だから母親のことが大好きだったが、父親のことだって同じように思っていた。いつか3人でいられなくなる日が来るなんて、その頃は考えもしなかったが、幼い綺夜羅のそんな気持ちになど関係なく別れの日はやってきてしまう。
小学校4年の時だった。両親の離婚が決まってしまったのだ。
お互いの為、綺夜羅の為と文句を並べ、母親から切り出した答えだった。
父親は一言
『分かった…』
と言って離婚届にサインした。そして
『今まで悪かった』
と言葉を付け足し、話はそれで終わってしまった。
綺夜羅は寝てるフリをしながら話をずっと聞いていて、気づかれないように声を出さないよう必死でこらえて泣いていた。
それから特に話をして決めた訳でもなく、母親はもちろん綺夜羅を連れて出ていくつもりでいた。出ていく日が決まると母親は自分と綺夜羅の荷物をその日に合わせてまとめ始め、それは綺夜羅も分かっていた。
しかし綺夜羅はその日になって突然、自分は行かないと言い出したのである。
『何言ってるの?綺夜羅。お母さんと一緒に行くのよ』
『お母さん。あたし、お母さんのこと大好きだよ。でも…でもね、お父さんのこと1人にできないの』
綺夜羅はそう言って笑顔を見せていた。
それを聞いて母親は泣きながら娘のことを抱きしめることしかできなかった。
『ごめんなさい…ごめんね…綺夜羅…』
だがそれでも綺夜羅は泣かず、綺夜羅も母親を力いっぱい抱きしめた。
なんと強いのだろう、この子は。1番ツラいのはきっと自分のはずなのに。まだ10歳の子供なのに、自分たちがいなくなってしまってからの父親のことを思い、母親との別れを選んでしまったのだ。
『大丈夫。だから行っていいよ?お母さん…』
綺夜羅は最後まで笑顔で母親を見送った。
その日、仕事を終えて父親が家に戻ると、母親と出ていきここにはいないはずの綺夜羅が夕飯を作って待っていた。
今までは母親と2人で作っていた物を、一生懸命1人で2人分立派に用意している。
『あ、お帰り』
父親はビックリして開いた口がふさがらなかった。
『お帰りって…おめぇ、何やってんだ…あいつは?』
『お母さんは出てったよ』
『お母さんはって…おめぇは…なんでここにいんだ?』
明らかに父親はうろたえていた。
『うるさいなぁ、いいんだよ。お腹減ったから早く食べようよ』
そう言った綺夜羅の目は赤く、ほほには乾いていたが何筋もの涙が流れた跡がまだ残っていた。
『綺夜羅…おめぇ、いいんかよ。一緒に行かねぇで…』
『オイくそオヤジ!食べないなら明日からあんたの分作ってやんないからね!』
なんということだ。てっきり母親と出ていくと思っていた娘が、おそらく自分の意思でここに残ることを選んでしまっている。
父親は信じられなかったし、今からでも絶対に母親の元で暮らした方がいいと思ったが、そう思いながらも何故か心の中では嬉しく思ってしまう自分がいた。
こんな風になってしまったこととそんな決断をさせてしまったことが本当に申し訳なかったのだが、言葉にできない程綺夜羅の気持ちが嬉しかった。
綺夜羅は初めて涙をぬぐう父親の姿を見た。
『バーカ。今更何泣いてんだよ、男のくせにみっともない。早く食べなよ、冷めるよ?』
父親は綺夜羅が自分の為に1人で作ってくれたご飯に手をつけた。
それは彼にとって、どんな料理よりも思い出深い味になっている。
CBRの残骸を運んでいく姿を見て、父親は綺夜羅のそんな優しさを思い出してしまった。
こんな自分と一緒に生きることを選んでくれた1人娘を命をかけて育て幸せにすることを心に強く誓った。
反対に綺夜羅はいつしか勉強や遊びよりも父親の手伝いをするようになった。
このCBR400Fは、綺夜羅が家事と手伝いの合間をぬって少しずつ足りないパーツを集め、壊れた箇所を直し自分1人で組み上げた。何度も失敗し何度も調整しやっと仕上げた、まだ母親がいた頃からずっと一緒だった大事な単車なのだ。
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