第10話 二人で歩く朝の道
鳥の声がどこからか聞こえてくる穏やかな朝。私はレイさんと並んでコンビニへと歩いていた。
「それでコンビニに行くだけなのに、侑香さんはどうしてそんなに楽しそうなの?」
「顔に出てました? なんというかこうやって誰かと一緒に買い物というのが――」
素直に心境を
一方的に名前を知られているということに戸惑ってしまう。
「どうかした?」
「いえ、えっと……なんで名前知ってるのかなって」
「ああ。そういうこと。えっと、いちおう確認だけど、お姉さんは
「はい。合ってます」
「よかった。違う名前だったら、どうしようかと思ったよ。あっ、そうそう、名前の件ね。バーで酔いつぶれた侑香さんをどうしようかって思って、置いていくわけにもどこかホテルだとか私の部屋に連れていくってのも違うかなって、思ったのよね」
レイさんの言葉に、無言で相槌を打つ。たしかに知らない部屋で目覚めていたらと思うと、不安や恐怖という感情が先にあったかもしれない。
「それで侑香さんには悪いと思いながら、何か住所が分かるものないかって鞄の中を見させてもらったのよ。それで郵便に住所があったから、それを頼りにタクシーで送ったんだよ」
「そうだったんですか……あの、そのあたりの記憶が全くと言っていいほどないので聞きたいんですけど……」
「何が聞きたいの?」
私の不安げな声とは対照的にレイさんは楽しそうな声と表情をこちらに向ける。
「バーやタクシーのお金は……」
「バーはとりあえず私の名前でツケってことにしてもらってるよ。タクシー代はもちろん私が出したよ。私もマスターも酔いつぶれた相手の財布からお金を抜き取ろうだなんてゲスなことはしないよ」
レイさんはケラケラと楽しそうに笑う。しかし、私はというと背中がすっと冷たくなった気がした。人に迷惑をかけたという実感に押しつぶされそうになる。
「本当にごめんなさい。どれだけ私は迷惑をかけたのか……」
「気にしなくていいよ。タクシー代は泊めてもらったことでチャラでいいし、なんだったらバーも私がそのまま払ってもいいんだよ」
「いえいえいえ。払います、払います。払わせてください」
私の必死な姿にレイさんはいっそう楽しそうに声をあげて笑う。
「とりあえず、バーの方はマスターに言えば、大丈夫だと思うよ。きっとマスターも侑香さんのこと覚えてると思うから。タクシー代はまあ、さっきも言ったけど宿代ってことで」
「分かりました」
レイさんは笑ってくれるが、私は失態しか見せていないので肩を落としてしまう。それからすぐにコンビニに辿り着いた。
店内に入り、カゴを手にまずは飲み物があるスペースへ。そこでレイさんは五〇〇ミリリットルのミネラルウォーターを手に取る。その横で、飲料水用の買い置きがもうないことを思いだし、二リットル入りのミネラルウォーターをカゴに入れる。
「そんなに飲むの?」
「違わないけど、違います」
「なにそれ?」
レイさんは隣で楽しそうに笑みを浮かべるので、私もふっとつられて笑ってしまう。それからパンが売っている棚へ。私は軽い二日酔いのせいかあまり食欲がないので四個入りの蒸しパンを買って、ひとつふたつ食べるくらいでいいかなと思った。蒸しパンをカゴに入れ、レイさんはどうするのかなと顔を上げると同時にレイさんがすっと隣にやって来た。
レイさんが隣に立つとふわりと煙草の匂いが漂ってきて、懐かしいような、だけど新鮮なような不思議な気持ちになった。私はレイさんの横顔から目が離せなくなる。レイさんはミニクロワッサンの入った商品を手にして、ふいに私の視線に気づいたのか、そのまま私の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?」
レイさんの心配そうな声でふっと我に返り、「大丈夫です」ととっさに返事をする。レイさんは「本当かなあ?」とさらに顔を寄せ、こちらの表情をうかがっているようで、至近距離でレイさんの顔を見るとやっぱり綺麗な顔立ちだなとドキリとしてしまう。
そして、レイさんにドキリとした自分に驚いてしまい、思わずレイさんから顔を
レイさんはレジの方に顔を向け、
「あとはコーヒーでも買っていく?」
と、レジの脇にあるコーヒーマシンを指差した。私は「そうしましょうか」と肯定の言葉を言いかけて、それをぐっと飲み込んだ。レイさんは返事がないことに対して、どうしたのと言わんばかりにこちらに顔を向け直す。
「家にコーヒーメーカーがあるので、よかったらいかがですか?」
そんな私の提案に、レイさんは「いいの?」とあっさりとした調子で返してくるので、「迷惑をかけたお詫びにはならないかもしれませんけど、これくらいはさせてください」と前のめりに答えると、必死過ぎると思われたか、一瞬変な間が生まれる。しかし、レイさんは「じゃあ、お願いしようかな」と笑うのをこらえたような表情で口にしていた。
それから会計を済ませると、先に会計をすませたレイさんが隣から重たいミネラルウォーターの入った袋にそっと手を伸ばして持ってくれた。
レイさんのさりげない気遣いに「ありがとうございます」とお礼を言いながら、コンビニから外に出た。
そして、また並んでマンションに向かって帰り道を歩き始める。聞こえるのは靴の音とビニール袋の音だけじゃないかというほどに、レイさんのことを意識してしまっている。
「それで、コーヒーはいつの元カレが好きだったの?」
しばらく歩いたところでふいにレイさんが聞いてきた。
驚きのあまり私は足を止めてしまう。妙なことを尋ねられたからというわけでなく、図星だったからだ。本当にレイさんは私のことを見透かしているみたいだ。
レイさんも足を止め、小首を傾げながら私を見つめてくる。その視線に急かされるように隣まで急いで行き、また並んで歩き始める。
「どうしてわかったんですか? 元々の私の好みじゃないってこと」
「昨日一晩しか見てないけれど、お酒の好みからなんとなくコーヒーを家で淹れてまで飲むタイプに見えなくてね」
私は思わず噴き出してしまう。見透かされてると思ったけれど、実のところは当てずっぽうの推測で、だけど私の本質は理解してくれてるようで嬉しくて――なんとも言い表しがたい感情を私は笑うことでしか表現できなかった。
「直近の元彼の好みですよ」
「真面目に答えなくてもいいのに」
今度はレイさんが笑い始めるので、私も隣で一緒になって笑う。そのまましばらく笑っていたら、笑いすぎて涙が出そうになった。深く息を吸うと、朝の空気はとても気持ちよくて、何に悩んで落ち込んでいたのか分からなくなりそうだった。
全ては過去のことで、今のこの時間こそを大事にしたい。
「だいぶ吹っ切れたみたいだね。ベッドの中でも泣いてたから、心配してたんだよ」
レイさんはいつの間にか優しい柔らかな表情で私を見つめていた。
「私、泣いてました? だけど、いい夢を見ていたことだけは覚えています」
「そっか」
レイさんはそれ以上は深入りせずにただ隣を同じペースで歩いてくれる。そんな距離感と優しさが今はとても心地よかった――。
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