「水の匣」櫛森ゆうき

@Talkstand_bungeibu

水の匣

かつて鉱山産業で栄華を誇った私の村は、私が生まれたころには華やかしき時代も遠い過去のことと成り果て、その当時を知るのは祖父母の代がぎりぎりとなっていた。

そして私が五歳のころ、廃山となった土地からは何やらよくわからないが(今でもよくわからない話だが、あのころの私は子供で、輪をかけてよくわかっていなかった)人の身体によくないものが川に流れ出ているということがわかって、村に国のお役人が訪れるようになった。

その数年後、村一体を水底へと沈めることが決まり、私のような子供たちは、大人たちのそばで難しい話をたくさん聞いていたが、それはどこか他人事のように感じていた。


私が十六歳のとき、村は完全に水底に沈んだ。

学校や役場、馴染みの商店も洗礼を受けた教会も、先祖代々のお墓までも違う土地へと移動させ、そこは空っぽになった建物だけが建ち並ぶ、まるでおもちゃの村のようになってしまった。


最後の日、私は村の図書館へと足を運んだ。

当時、図書館は教会の管理下にあって、そのせいか俗な類いの本はなく、子供向けの教訓めいた童話集が慰み程度に置かれている以外は、代々受け継がれているらしい古い写本が大量に保管されている、人の寄りつかない場所だった。

神父様は大量の写本を、都会から来た商人に売ってしまっていた。

本来の価値よりもはるかに安く買いたたかれていることは、勿論、神父様自身も知っていたが、もうそんなことはどうでもいいことだったのだろう。


私は、棚に放置された、無価値と判断された紙の束を幾つもかき集めて、鉄製の頑丈な箱の中に収めた。

それをしっかりと封をし、床に置くと、私は図書館から立ち去った。


あの当時を思い出すと、水底から声が聞こえる。

長い人生のうちの、私の青春は、すべてあそこに置いてきたのだと、確かに思ったのだ。

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