+56話『二人で分け合って』
一応の平静は取り戻せたものの、今日は時間が経つのがずいぶんと早く感じる。色々と雑念が入っているせいだというのは雄一自身も重々理解しているのだが、分かったところでどうにかできるわけでもない。授業中の教師の話など右から左へ素通りしていくだけで、まるで知識として定着していないし、もし当てられでもしたらまず間違いなく答えられない。
なら澄乃はどんな様子だろうと、少し前の席替えで離れてしまった彼女の方へと視線を向けてみれば、さすが学年主席と言わんばかりの姿勢で授業に勤しんでいた。真面目な表情で黒板に目を向け、淀みない手付きでノートにシャーペンを走らせている。
朝に見せた可愛らしい笑みとは違った、真剣味を帯びた顔付き。メリハリがはっきりとしているのは人として大いに尊敬できるところであり、自分も見習わねばと、雄一は気を引き締めてシャーペンを握り直す。
――でも、やっぱり身が入らなかった。
そうこうしている内に土曜日の半日授業は終わりを迎え、早くも放課後に。これは後で復習が必須だな、と今日の
「どうしたの? ため息なんてついちゃって」
「ああいや、最後の授業でちょっと分かんないことがあってなー」
「雄くん数学苦手だもんねえ。分からないところなら私が教えてあげるよ」
「助かる澄乃先生」
咄嗟のごまかしは成功したらしく、やわらかく微笑む澄乃に同じように笑顔で返す。雄一も手早く帰り支度を整えると、最後に登校時には持っていなかった手提げの紙袋を手に取った。
中身は友人たちからの誕生日プレゼント。朝のホームルーム前や休み時間に、祝いの言葉と共に渡されたものだ。雅人からは実家のスポーツショップでもオススメのプロテインバーの詰め合わせ、紗菜からは小さなマドレーヌのセットをそれぞれ貰った。ついでに誕生日については特に話したことのなかった空からも、たまたま自販機の前で遭遇した時に缶ジュースを奢ってもらった。たぶん澄乃から情報を得たのだろう。
恵まれた友人関係に感謝しつつ、澄乃と二人で学校を出る。朝に合流した坂の下まで辿り着くと、澄乃は彼女の自宅方面へと足を向けた。
「それじゃ私は一度帰って、準備してからそっち行くね?」
前回のお泊まりは雄一が澄乃の自宅に出向いたので、今回は澄乃が雄一の自宅に泊まりに来ることになっている。
半ば偶発的だった夏休みの日と違い、愛する恋人が自分の意志で泊まりに来てくれる。その事実が改めて今日という日の意味を伝え、性懲りもなく高鳴る胸を宥めながら雄一は「ああ」と頷いた。
「来るのはいつぐらいになりそうだ?」
「えっと、色々準備して、夕食の買い出しでスーパーにも寄るから……夕方ぐらいかな?」
「ならスーパーで合流するか。泊まりの荷物に買い出し分も含めたら結構大荷物だし、俺もいた方がいいだろ」
「ふふ、ありがとう。雄くんのそういうところ、本当に好きだなあ」
穏やかに眉尻を下げて澄乃は微笑む。昼間のやわらかい日差しが照らす彼女の笑顔とストレートな言葉に、雄一は熱くなった頬をかきながら「どういたしまして」と答えた。
帰宅後、雄一はまず部屋の掃除を始めた。普段から基本的な整理整頓は心掛けているつもりだが、他人が一泊していくとなると話は別。しかもその相手が澄乃なのだから、余計に掃除にも力が入ってしまう。
といっても昨日までのうちに粗方は片付けてあるので、残すところは軽い掃き掃除ぐらいだ。一通りのチェックをした後、最後にベッドのシーツや枕カバーなどを洗濯済みの綺麗なものに交換して掃除は終了。しばらく部屋で休んでいると、澄乃から『今から行くね』という連絡がスマホに入った。
すぐに出ると少し早いが、前回の待ち合わせでは澄乃を待たせたことだし、今日は自分が待つ側に回ろう。そう考えた雄一は私服に着替えると、澄乃との待ち合わせ場所であるスーパーへと向かった。
スーパーの店頭で待つこと約十分。すぐ前のバス停に到着したバスから降りてきた澄乃は、雄一の姿を見つけると小走りで駆け寄ってくる。まるで飼い主を見つけた子犬のような仕草からはほんのりとした可愛らしさを感じた。
「お待たせ。待った?」
「いや、今来たところ」
「……とか言って本当は?」
「俺の中じゃ十分は誤差みたいないもんだ」
ちなみにこちらが待つ場合に限る。笑いながら告げれば澄乃は「もうっ」と少し頬を膨らませたので、頭を撫でてその牙を抜かせてもらった。ついでに心地良さそうに目を細める澄乃が持っていたお泊まり用の荷物をそれとなく手に取ると、澄乃はやわらかく眉尻を下げて、「ありがとう」と淡い笑みを浮かべた。
買い物カゴを携えた澄乃の後に続いて、店内へと歩を進める。
「さてと、せっかくの誕生日だし、今日は雄くんの好きなもの何でも作りますよー?」
「お、やった。だったら……ハンバーグは?」
「かしこまりました。上にチーズとかのせる?」
「のせる方向で」
「はーい」
我ながら子供っぽいリクエストをしてしまった気もするが、澄乃お手製の一品ともなれば味の期待値は高い。肉汁たっぷりのハンバーグにチーズが絡む様を想像しただけで、早くも胃袋が空腹を訴えてくるほどだった。
献立さえ決まってしまえば話は早く、澄乃は合い挽き肉や付け合わせ用の野菜などを続々とカゴに入れていき、相変わらずの手際の良さで買い物を進めていく。ほどなくして会計を済ませ、購入した食材を詰めたビニール袋に雄一は手を伸ばしたが、それよりも先に手にしたのは澄乃だった。
「澄乃、そっちも俺が持って帰るぞ?」
二人分の食材を詰め込んだビニール袋は相応に重い。誕生日といえどわざわざ手料理を振る舞ってもらう以上、力仕事は自分の役割だ。
そう思って改めて手を差し出すのだが、澄乃は穏やかな表情で首を振った。
「こっちは私が持つよ。雄くんが力持ちなのは分かってるけど、何でもかんでも持ってもらうのも悪いし。それに――」
ふっ、と笑みを深めた澄乃が差し出されたたままの雄一の手を握る。すぐにお互いの指が絡み合い、手の平と手の平が隙間なく繋がった恋人繋ぎになった。
「私はこっちの方がいいかな」
「――そうだな」
やわらかな笑顔を浮かべる澄乃に、雄一の顔も思わず綻ぶ。一度澄乃の手をぎゅっと握り返し、二人並んでスーパーから外へと出た。
二月の夕方はまだ少し肌寒い。けれど手の平から伝わる相手の体温が、身も心も温かくしてくれた。
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