第68話『男のプライド(後編)』

「何……だと……!?」


 勝負の結果、泣きを見たのはまさかの雄一だった。


 ビギナーズラックか、それとも隠れた才能とでもいうべきか。一発目から景品を撃ち落とすという快調な滑り出しを見せた澄乃は、最終的に三つもの景品を手に入れる結果に。どれも小さな箱の菓子類なので難易度的にはさほどでもないが、それでも完全初心者であることを考えれば快挙と言っていいだろう。


 一方、曲がりなりにも経験者である雄一のスコアはゼロ。たったの一つも景品を手に入れることなく終了である。それ以前にそもそも当たってすらない。最初の一発がギリギリ掠ったと言えなくもないぐらいで、残りは全て景品の横なり上なりを空しく通り過ぎていっただけだ。


 それとなく澄乃にカッコいいところでも見せようという下心はあっさりと打ち砕かれ、雄一は愕然とした表情で首を垂れる。


 勝負開始直前の余裕綽々の態度とはうってかわって、ひどくみすぼらしいその背中。その悲惨さたるや、念願の雪辱を果たした澄乃ですら素直に喜べず、気遣わしげにその背をさすってしまうほどである。


「ゆ、雄くん、ほら元気出して! こんな時もあるよ! 二、三年のブランクがあったわけだし……私は、ほら、雄くんの教え方が上手かったから……!」


 澄乃はそっと、景品の一つであるキャラメルの箱を雄一の前に置く。落ち込む人間に慰めの言葉と甘い物をプレゼントするというたいへん健気な対応をするが、雄一にとっては逆効果だった。傷口に優しさという名の塩を塗り込むが如く、雄一のプライドをさらにズタズタにしていく。


 ……勝手だが、勝手なのは重々承知しているが、このままでは到底引き下がれなかった。


 キャラメルは澄乃に返し、雄一は立てた人差し指を店主に向ける。その目に宿るは決死の覚悟。


「すいません、もう一回……!」


「雄くん!?」


 戸惑いの声を上げる澄乃をよそに、小銭と引き換えに新たなコルクを受け取る。


「え、これ二回戦やる感じなの……?」


「いや、勝負は澄乃の勝ちでいい。結果は甘んじて受け入れるさ。ここから先は……自分との戦いだ……!」


「えー……」


 ちょっと呆れたように眉尻を下げる澄乃。自分がムキになっているだけなのは雄一も分かっているが、せめて一つぐらいは成果を上げないと引き下がれなかった。


 浅い呼吸を一回、そこで息を止めて、ちょうど真っ正面に位置する景品に狙いを絞る。そしてここだと思った瞬間に発砲。


 撃ち出されたコルクは――射的台に当たってポトンと落ちた。


 重ね重ねの失敗に雄一は目を見開く。先ほどの結果を自分なりに分析して狙いを調整してみたというのに、それでも当たらない。


 改善の糸口が掴めない閉塞状況に雄一が呻いていると、他の客の対応を終えた店主が一発のコルクを差し出してくる。なぜか雄一でなく、その横に立つ澄乃に。


「え?」


「ほれ、サービスしてやるから兄ちゃんにレクチャーしてやりな。これじゃさっきの二の舞だ」


 そうして渡されたコルクを見つめ、澄乃は何とも言えない表情で雄一を見る。教えていいものかどうかを迷う、そんな感じ。


 初心者が経験者に教えるという本来ならありえない構図ではあるが、雄一としても背に腹は代えられない。このまま何の成果を出せないよりはマシだろう。


「澄乃先生、お願いします」


 そう言って雄一が頭を下げると、澄乃は少し困ったように、けれど楽しそうに「うん」と笑った。


「と言っても、あまり教えることはないと思うけどね。横から見てた感じでも、銃の構え方とかは特におかしくないし、そもそも雄くんに教えてもらった私ができてるわけだしね。だから原因は――」


 澄乃はするりと雄一の後ろに回り、


「はい、リラックスリラックスー」


「うおうおおうわあああ……!?」


 背後からその両肩を掴んで、ぐにんぐにんと勢い良く揉み解していく。思ったよりも強く激しく、けれど浴衣越しでも伝わる柔らかな手の感触は心地良い。


「肩に力が入りすぎてるだけだと思うんだよね。だからー、こうしてー、解(ほぐ)してー――はい、オッケー!」


 最後に背中を軽く叩き、澄乃からの突発的マッサージは終了した。消えた温もりに一抹の寂しさを感じるが、肩はもちろん、心もどこか軽くなったような気がする。


 心機一転。澄乃からコルクを受け取り、改めて銃を構え、先ほどからずっと外している箱のラムネ菓子に狙いを定める。


「あとは、撃つ時も力は入れすぎないようにね」


 不意に身体を寄せてきた澄乃が、引き金を握る手にそっと片手を重ねた。


 すべすべの、男の自分とは明確に違う柔らかい澄乃の手。その感触が先ほどのマッサージ以上にダイレクトに伝わってきて、雄一の鼓動は自然と早くなる。


「撃つ時に力んじゃうと銃の先がぶれると思うから、引き金はゆーっくり引いて……」


 先を促すように、澄乃の指がやんわりと押し込んでくる。それに従うように指先に力を込めると、ポンッと軽い音と共にコルクが撃ち出され――ラムネ菓子のど真ん中を捉えた。


 衝撃に押され、落ちるラムネ菓子。それを見届けたところで、すぐ隣で喜びの声が上がった。


「当たった! 当たったよ雄くんっ!」


 まるで自分のことのように喜んでくれる澄乃。間近で見れるその笑顔がとても可愛らしくて、返事もそこそこに意識を注いでしまう。ややあって、視線に気付いて顔を赤くした澄乃はそそくさと距離を取った。教えることに意識が偏っていたのだろうけど、さすがにこの距離感は恥ずかしかったらしい。無論、それは雄一も同じなのだが。


「ま、まぁ、そんな感じということで。……大丈夫そう?」


「あ、ああ……さんきゅ。やっぱり澄乃は教えるのが上手いな」


「えへへ、それほどでも」


 軽く二人で笑い合ったところで、雄一の撃ち落としたラムネ菓子を片手に店主が近付く。


「どうだい兄ちゃん、調子が出てきたところで、今度は嬢ちゃんの好きなもんでも取ってあげたらどうだ?」


 そうだ、そもそも最初はそのつもりだったわけで、光明が見えたら俄然とそんな想いが蘇ってくる。


 そう思って射的台に視線を巡らせると、他の客が撃ち落として空いたスペースに新たに陳列されたのか、先ほどは見受けられなかった一つの景品が目に付いた。


「澄乃、あのパンダのぬいぐるみ、どうだ?」


 雄一が指差すのは、ぺたんと座り込むように鎮座する白黒のぬいぐるみ。ぬいぐるみのサイズとしては小さい方だが、それこそ今手に持っているラムネ菓子よりは一回りも二回りも大きい。


「可愛いとは思うけど……さすがに難しいんじゃない? お菓子よりは重さもあるだろうし……」


「……そんな風に言われたら、取るしかないな」


 目標は決まった。


 ぬいぐるみが正面に来る位置に移動し、雄一はコルクを込めた銃を構える。他の客もはけて手が空いたのか、パイプ椅子に腰を下ろした観戦モードの店主が、眉間の辺りをトントンと指で叩いていた。


 ……なるほど、狙うなら“そこ”らしい。


 アドバイス通り、ぬいぐるみの眉間に照準を合わせる。


 澄乃や店主はもちろん、気付けば周囲の客からもそれなりに注目を集めているようで、複数の視線をひしひしと感じる。


 少し緊張を覚えてしまうが、そこで一度深呼吸。澄乃の教えを思い出す。


(肩の力は抜いて……撃つ時も力まないように……)


 実際のところ、澄乃の指摘はドンピシャだったのだろう。


 カッコいいところを見せようなんていう妙な功名心が働き、そんな気持ちだけが空回りして、気付かない内に無駄に力が入っていた。


 正直、今もそういった気持ちは少なからず残っているのだが、心を大きく占めるのはもっと別の感情だ。


 ――澄乃が好きなものを取って、そして喜んで欲しい。


 そんな想いを胸に秘め、雄一は引き金を引いた。


 一発目――外れ。少しだけ右側に逸れた。


 二発目――今度は左側に。だが掠めた。


 三発目――胸に命中。少しだけ奥に押し込んだが、まだ足りない。


 ラスト、四発目。三発目の射線を可能な限りトレースし、そしてほんの少しだけ銃口を上げ――撃つ。


 発射されたコルクは真っ直ぐ突き進み――ぬいぐるみの眉間に命中。白黒の小さな身体はぐらりと仰向けに傾くと、射的台の奥に、姿を消した。


 微かに感じる周囲のどよめきを背景に、ぬいぐるみを拾ってきた店主は雄一へそれを差し出す。


「Congratulations! 男を見せたな、兄ちゃん」


 景品を取られたのに嬉しそうに、彼はネイティブな発音で雄一を褒め称えた。雄一も一言礼を述べ、戦利品を受け取る。そして振り返り、呆けたように立ちすくむ澄乃へと歩み寄った。


「はい、どうぞ」


「あ、あの……本当に、貰っていいの?」


「いいのって言うか、むしろ貰ってくれないと困る。そのために取ったんだしな」


 それにこう言ってはなんだが、こんな可愛らしいぬいぐるみは自分には似合わない。似合うのはきっと、目の前にいるような女の子に他ならないはずだ。


 雄一が笑顔で「ほら」と催促すると、澄乃はおずおずと手を伸ばし、やがてぎゅっと胸に抱き寄せた。豊かな膨らみと両腕に包み込まれ、ぬいぐるみはちょっと苦しそうに首を傾ける。


「ありがとう雄くん。この子……大事にするね」


「ああ。是非そうしてくれ」


 色々と無様な姿も見せてしまったが、終わり良ければ何とやらだ。


 頬を桜色に染め、心底嬉しそうにパンダのぬいぐるみをいじる澄乃を眺める。


 綺麗だと思う。


 可愛いと思う。


 こんな笑顔を見れることを、とても嬉しく思う。


 そして。


 おいパンダちょっとそこ代われ――とも思ってしまう雄一だった。

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