第66話『もはや自然体』

 神社に辿り着いた四人。花火までまだ時間があるということで、まずは腹ごしらえをすることに決めた。


 祭り定番の焼きそばやたこ焼きなど、各々好きなものを買い込み、運良く空いていた近くのベンチに腰を落ち着けて舌鼓を打つ。特別どうということはない味なのに、祭りの雰囲気が合わさると不思議と美味く感じてしまう。


 焼きそばを頬張る雅人も、りんご飴に噛り付く紗菜も似たり寄ったりの気分を味わっているようで、それぞれの満足気な表情を見れば分かる。そして自分も同じような表情を浮かべているだろうなと、たこ焼きを口に放り込みながら雄一は思った。


「ただいまー」


 今しがた、すぐそこの屋台に行ってくると席を外していた澄乃が戻って来た。目で追えるだったので付き添いこそしなかったが、どうやらナンパに引っかかることなく無事に目当ての物を買えたようだ。


「おか――」


 えり、と続けようとした雄一の言葉が止まる。何故なら視線を向けた先にいたのが澄乃ではなく、巨大な白いもこもこふわふわとした何かだったからだ。澄乃の声を発する謎の生命体(?)との邂逅に驚くのも束の間、その後ろから本来の可愛らしい顔がひょいっと現れる。


「買っちゃいました」


 ちょとしたイタズラを成功させたように笑う澄乃。まんまと度肝を抜かれた雄一は苦笑を零すと、彼女が手にした物体――巨大なわたあめに目を向けて今度はやや引き攣った笑いを浮かべた。


 実はこのお祭りでは例年、ちょっとしたわたあめ抗争が勃発するのだ。数年前にとある屋台が始めたカラフルわたあめがヒットしたらしく、それを真似て他の屋台も変わり種を投入。やれギネスだやれイ○スタ映えだを意識した結果、それぞれ特色に分かれたわたあめたちが生まれたのである。


 その中で澄乃が目を付けたのは、とにかく大きさを追求したジャンボわたあめということらしい。


 大きければ良いもんでもないだろとツッコミたくなるが、型崩れせずにしっかり一本の割り箸で支えられているあたり、これはこれで匠の技と言えるのかもしれない。


 しかし、それにしたって。


「デカくね……?」


 思わず漏らした雄一の感想に雅人が頷く。


「俺去年買ったけど、ここまではデカくなかったぞ……。加減ってもんを知らねぇのか、あそこのオヤジは……」


 そう言って雅人が指先で宙に描いた大きさは、澄乃が手に持つものより一回りは小さい。よもや去年のでは飽き足らず、さらにパワーアップを重ねたということなのだろうか。


 雄一たちがもはや恐怖に近いものを感じていると、澄乃はバツの悪い笑みを浮かべながら雄一の隣に腰を下ろす。


「あはは、美人だからオマケだーって言われちゃって……」


 ……なるほど、それならまだ納得のいく理由だ。


 今度は張り切りすぎだと言いたくなるが、まぁ澄乃ぐらいの美少女でなおかつ浴衣ボーナスもプラスすれば、それぐらいサービスしたくなるのは男の性なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、澄乃はさっそくわたあめを口いっぱいに頬張り、幸せそうに表情を緩ませている。さながらエサを頬張るリスのようでちょっと面白く、そしてやはり可愛らしい。雄一は心の中で、この一品を作り上げた店主にサムズアップを送っておいた。


 そうしてしばらく食事を続けていたのだが、不意に澄乃の眉が困ったように顰められる。


「ねぇ英河くん、わたあめちょっと食べない? さすがにこれ全部だと、口の中甘ったるくなっちゃいそう」


 物量の弊害がここで来たらしい。甘い物好きでも限度はあるようだ。


 雄一の方へ半分程度に減ったわたあめを差し出す澄乃だが、「あっ」と何かを思い出したように声を上げた。


「ごめん、あんまり甘いのって好きじゃないんだっけ?」


「どっちかと言えばってぐらいだから大丈夫。いただきます」


 遊園地で遊んだ日の発言を覚えていてくれたことに嬉しさを感じつつ、澄乃が口を付けた反対側から白い塊に噛り付く。咀嚼には及ばないほどの力加減で口内を動かすと、わたあめはたちまちに溶けてその甘さを広げていった。


「甘いのばっかで飽きたんなら、たこ焼き食べるか?」


 お返しで爪楊枝に刺したたこ焼きを差し出すと、「うんっ」と元気良く返事をした澄乃が顔を近付ける。


 食べるのに邪魔な髪を耳にかける仕草には少しドキッとするが、プールでの一件で慣れた分、以前ほどの羞恥は感じない。「まだ少し熱いかもだから気を付けろよ」とだけ忠告し、慎重に澄乃の口の中へたこ焼きを運ぶ。


 おずおずといった感じで口に入れた澄乃だが、咀嚼していく内に笑顔の花が咲いていく。たこ焼きの味にもご満悦のようだ。


 そんな澄乃の表情に愛らしさを感じていると、こちらをじーっと見つめている友人二人の視線に気付く。


「どうした?」


『いや、別に』


 ただそれだけを答え、何事もないように視線を逸らす雅人と紗菜。その二人の反応でようやく自らの行動の意味を理解した雄一は、羞恥をこらえるようにぐっと唇を噛み締めた。


 慣れとは、時として恐ろしい。












 数分後。


「さて、これからどうする?」


 買い込んだものを食べ終えたところで、花火の開始まであと一時間程度。残りの時間をどう潰すかを雄一が切り出すと、まず手を挙げたのは澄乃だ。


「私、屋台で遊んでみたいかな。あんまりこういうお祭りって来たことないから」


「そっか。じゃあ腹ごしらえも済んだことだし、時間までそこら辺で遊ぶか」


 金魚掬いや射的などの定番所は揃っているので、適当にぶらついていれば一時間ぐらいすぐに潰れるだろう。特に異論もないと思い雄一が腰を上げようとすると、紗菜の「待った」という声がその動きを止めた。


「私はもう少し食べ歩きしたい気分かな」


「食べ歩きって……今食べたばっかりだろ?」


「いやー、澄乃のわたあめ見てたらなんか余計に食欲湧いてきちゃってさ」


「ならそうする? 私は別に紗菜ちゃんの案でも――」


「いや! 澄乃を付き合わせるのも悪いから、ここからは別行動にしよう。花火の直前に合流ってことで。雅人はどうする?」


「んじゃ、俺は食べ歩き側で。雄一、俺は紗菜に付き添うから、お前は白取さんを頼んだ」


「え? おう。……ん?」


 なんだか矢継ぎ早に話が進んでいく。口を挟む間もなく早々に腰を上げてしまった雅人と紗菜は、「じゃあまた後で」と残して雑踏の中へ消えていった。


 何やら露骨に置き去りにされた感があるが……深く追求するのは止めておこう。


「あの……なんかごめんね。私に付き合わせちゃったみたいで……」


「まぁ、気にすんな。俺も腹ごなしに遊びたい気分だったし」


 安心させるように笑いかけると、澄乃も小さく笑う。彼女にとってあまり経験の無い場所なのだし、エスコートの意味でも付き添うのは悪くない。


「どこから行きたい? 大体の場所は分かるから案内するぞ」


「んー……まずは金魚掬いやってみたいかな」


「ほいきた。ならもうちょい奥の方だな」


 去年までの経験で場所の見当は大体つくので、そこへ向けて澄乃を連れ立って歩く。しかし花火の開始が近付いて人も増えてきたのか、思ったよりもスムーズに進めない。


 そんな中、ふとした瞬間に近くの人と肩でもぶつけたのか、よろめいた澄乃が雄一の方へと寄りかかる。咄嗟にその身体を受け止めると、どこか花のような香りが雄一の鼻梁を掠めた。


「――っと、大丈夫か?」


「ごめんっ。ありがとう」


 人が多い。それに澄乃は慣れない下駄履き。雅人の『はぐれないように気を付けないとな』という台詞も頭をよぎった結果、雄一の手は自然と行動を起こした。


「――え?」


 澄乃がぽかんと口を開けてこちらを見る頃には、雄一の手はしっかりと澄乃の手を握り締めていた。


「あ、いや、この方が良いかなと思って……」


 捲し立てるように言葉を並べる雄一。澄乃のことを気遣っての行動とはいえ、さすがに一言断るべきだったろうか。一度放そうと思い力を緩めると、今度は澄乃の方が力を込めて握り返してくる。


 そのままにぎにぎと、まるで感触を確かめるように。


「私も……この方が安心できるかな」


 頬を朱色に染めた澄乃の口許が、柔らかく弛む。その表情を見ていると途端に気恥ずかしさが込み上げてきて、「なら良かった」とだけ返して再び歩き出す。


 けれど一瞬でも焼き付いてしまった笑顔と、手の平から伝わってくる温かい感触のせいで、いつまで経っても気恥ずかしさが治まってくれない。


(ああ、もう――)


 この際だ。かける恥は、いっそ全部かいてしまおう。


「はぐれないようにな――――澄乃」


 ぴくんと、握り合った手から確かな反応が返ってくる。恐る恐る澄乃の方へ顔を向けると、そこには呆けたように瞬く藍色の瞳があって。


 やがてその瞳は輝きと共に細まり、唇は緩やかな弧を描いた。


 浮かぶのはとても嬉しそうな、本当に嬉しそうな、満面の笑み。


「うん――――雄くん」


 予想していなかった呼び名に、雄一は思わず目を見開く。


「ゆ、雄くん……?」


「うん、なんだかそんな風に呼びたいなぁって。……ダメかな?」


「いや、まぁ、好きに呼んでくれていいけど……」


 そもそも、そんな屈託のない笑顔を向けられては断れるはずもない。本人が満足そうなら、それでいい。


 今まで経験したことのない、彼女からだけのトクベツな呼び名は、雄一の心に深く沁み込んでいくようだった。

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