第59話『緩やかで刺激的な時間を』
「冷たくて気持ちいぃー……」
「そうだなぁー……」
レンタルした浮き輪を着けてぷかぷか浮く澄乃と、軽く浮き輪を掴む形で追随する雄一。さっそく流れるプールに身を沈めた二人は、文字通り流れに身を任せて水の冷たさを満喫していた。
今日も今日とて照り付ける日差しは強く、だからこそ対照的にひんやりとした水の冷たさが際立つ。まさに絶好のプール日和であり、鬱陶しい夏の暑さも今日ばかりは最高のスパイスだった。
澄乃の背後から横へ、バタ足で泳ぎながら位置をずらした雄一は、隣の少女の顔をそっと窺う。
だらしなく頬を緩ませて「ふぁー……」と気の抜けた声を出す澄乃は、普段とはまた違ったゆるゆるな表情で魅力的だ。目を閉じて肌感覚に意識を集中させようとしているあたり、とてもご満悦らしい。浮き輪の穴に身を沈めているのでせっかくの水着姿が見え辛いが、その分表情を楽しませてもらおうと思って視線を注ぐ。
そのうち雄一の視線に気付いたのか、恥ずかしそうに頬を赤らめた澄乃がほんのりと恨めしげに睨んできた。
「むー……あんまりじろじろ見ないでよ……」
「いや、ついな。でも油断してる方が悪いんだぞ?」
「……へぇ、そういうこと言っちゃうんだ。だったら――」
「わぶっ」
突如として顔面に襲い掛かるひやっとした感触。冷水で滲んだ視界で澄乃の方を見ると、挑発的に口の端を吊り上げた彼女の片手が、プールの水を掬い上げた状態のまま固まっていた。
「不意打ちとは卑怯な」
「ふーんだ、油断してる方が悪いって言ったのは英河くんだもん」
「……いい度胸だ。ならこっちも本気でいかせてもらうぞ」
雄一の行動は素早い。宣言と同時に水中に潜ると、そのまま澄乃の背後に移動して浮上、無防備な背中に水飛沫を浴びせる。
「ひゃう!? もうっ、お返し――」
慌てて振り返る澄乃だが、すでにそこに相手の姿は無い。再び水中に身を隠した雄一は、今度は澄乃の右斜め後ろに現れて水撃を繰り出す。
「あ、英河くんずるいっ! 私、浮き輪でうまく動けないのに……!」
「ふははは、不用意な選択をした自分を呪うんだな!」
「も、もう~っ!」
浮き輪である程度動きが制限されている澄乃に対し、完全フリーの雄一は身軽な動きで彼女を翻弄する。潜行と浮上を繰り返して一方的な展開を押し付ける雄一だったが、何度目かの攻防の末、ついに澄乃の水撃が雄一を捉えた。
浮上した瞬間の顔面を狙い撃ち。出現方向を先読みされていたとしか思えない。
「ふっふー、動きがワンパターンだよー」
「さすが学年主席、見事な分析力だことで」
両手をホールドアップして降参の意を示すと、澄乃は勝ち誇ったように笑顔を浮かべる。単純な攻撃回数ならば雄一の方に軍配が上がるのだが、満足気な様子に水を差す気になれなかった。散々水は浴びせたけれど。
「じゃあ勝者として命令、私を引っ張ってください」
「え、今の罰ゲームあり?」
何やら理不尽な追加ルールが後出しされたが、雄一は特に不平を口にせず、澄乃の希望通りに浮き輪の紐を引っ張って軽く泳ぐ。
目に見えてスピードが上がったわけではないのに、澄乃は心底楽しそうに笑う。そんな気配を背で感じながら、前方にちょうど良く人の切れ目ができたのをいいことに、雄一はさらに泳ぐ速度を上げた。
途中で立場を逆にして雄一が浮き輪を使ったりしながら、二人は流れるプールを堪能するのだった。
流れるプールを二周したところでプールサイドに上がった二人は、今度は巨大なウォータスライダーの前に来ていた。
『サマシャン』のウォータースライダーは国内最大級という謡い文句があり、園内に合計で三台も建設されている。現在二人の前にあるのはその中の一つで、遠目から見ても、そして近くで見れば見るほど壮観な造りをしている。幾多ものコースが複雑怪奇に絡み合い、パッと見ではどのコースがどういったルートを通るかの予想が付きづらい。スライダーの出口では派手な水飛沫を上げて人が放り出され、中々のスピードを誇っていることも窺えた。
「あ、あっちに説明の看板あるよ」
スライダーを見上げていた澄乃が、少し離れたところにあるコース説明の看板を指差す。ウキウキとした足取りで踏み出す澄乃に続いて看板に近付くと、そこにはコースの簡単な概略が載っていた。
A~Jまでの全十コースから成り、後ろにいくほどより長く、よりスリリングなものになるらしい。
「どのコースにする?」
「んー……全コース制覇してみたいって言ったら、ダメ?」
「むしろ望むところだ」
可愛らしく小首を傾げる澄乃に、雄一はサムズアップで応じる。絶叫系が好きな二人にとって、国内最大級というフレーズには否応なしに惹かれるものがある。
「なら順当にAコースからにするか?」
「それもいいけど……どちらかと言うと早くJコースを滑ってみたい気も……」
「Jコースって言うと――……なるほど、確かに」
看板から目を離し、スタート地点がある頂上付近を見上げてみる。恐らくJコースであろうパイプ部分からは、断続的に黄色い&野太い歓声が聞こえてきた。一体如何ほどのものなのか、確かに早く体験してみたいに衝動に駆られる。
「じゃあJコースからいっちゃいますか」
「うんっ!」
邪魔になりそうな浮き輪は一旦返却して、嬉しそうに頷く澄乃と共に『G~J』と書かれた階段を上っていく。一番長いコースなだけあって少し待ち時間はあったが、澄乃と適当な話をしているだけでも良い暇潰しになり、気付いた頃には二人の順番が来ていた。
Gコース以降は専用のゴムボートに乗って滑るらしく、一人用か二人用かを選ぶ形になっているのだが……雄一と澄乃の様子を見た係員の女性は、躊躇いもせずに二人用のゴムボートをコースに置いた。
とても生暖かい視線をこちらに向けて「お待たせしましたー」と手で促しているあたり、確信犯なのは間違いない。
一応、一言訂正すれば変えてくれるのだろうけど……雄一がそれを口にするよりも早く、澄乃はささっとゴムボートに腰を下ろした。
「どうしたの英河くん? 早く座ったら?」
「……ああ、そうだな」
それでいいのか、と思いはすれど口にはしない。雄一としてはもちろん悪い気はしないし、澄乃本人が気にしないのならお言葉に甘えさせてもらおう。
と思ってゴムボートに座る雄一だが、数秒も経たないうちにその判断が短慮だったことを思い知らされる。
何故ならこの二人用ゴムボート、まさかの向かい合って座るタイプなのだ。外から見る分には気にならなかったが、実際に座ってみると意外と距離が近く感じる。軽く膝を曲げてもお互いの脛が交差してしまう形になり、触れ合った部分からすべすべとした感触が伝わってきてどうにも落ち着かない。
しかも向かい合うという形式状、どうあがいたって澄乃のことを正面から捉える形になる。時間が経ってある程度慣れたとはいえ、魅力的な水着姿は未だ健在。正直長時間の直視にはキツいものがある。
水着姿を見るわけにもいかず、かといって露骨に目を逸らせばそれはそれで不自然なので、結局視線の先は澄乃の顔に落ち着く。
そうしてふとした瞬間に視線が交わると――澄乃は柔らかい笑顔をこちらに向けてきた。頬をほんのりと赤くしているあたり、彼女の方もこの距離感に気恥ずかしさを感じているはずなのだが、それを感じさせないぐらいの落ち着いた笑みだった。
「ふふふ」
「……何で笑うんだよ」
「何だか楽しいなぁって」
あくまでも余裕といった様子の澄乃をジト目で睨んでも効果は無く、余計に笑みが深くなるだけだ。
――いいだろう、そんなに楽しいと言うのなら、もっと存分に楽しませてやろう。
雄一が一つの策を思い付くと同時に、コース入口上部のランプが緑に変わる。それを合図に係員に押し出され、二人の乗るゴムボートはまず緩やかな下り坂を滑り出した。最初のカーブに差し掛かった瞬間、雄一はわざと片側に体重をかけてゴムボートを回転させる。
ちょうど、
「え……? あの、英河くん……? これだと私、前が見えないんだけど……」
「そうか、偶然って怖いな」
「いやわざとだよねっ!? 今わざとそうなるように身体動かしたよねっ!?」
「何のことだ? 言いがかりはやめてくれよ」
「だ、だったら私も……!」
「残念、もう手遅れだ」
「え、ちょ、ちょっと待っ――あ、ああああああぁぁぁぁぁぁ――!?」
恐らく今日一番の悲鳴が、ウォータスライダー一帯に響き渡った。
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