第35話『打ち上げしよう』

「終わったぁー……」


 教室内に響く、闘争テストの終局を告げる鐘の音。あくまで録音された音声がスピーカーから流れているに過ぎないが、今の雄一にとっては天使が奏でる尊きもののように聴こえてしまう。


 自らの成果を確かめるべく視線を落とすと、机の上にはびっしりと数式が書き込まれた解答用紙が鎮座している。夏休み前の定期テスト最終日、そしてその最終科目である数学。今回における最大最強とも言える敵を前に、雄一は満足げにため息を吐いた。


 落胆ではなく、得も言われぬ達成感からくる疲労感。自分の解答用紙を前の席のクラスメイトに回した後に、長時間シャーペンを握って固まった利き手の筋肉をポキポキと解す。


 これまでの高校生活――いや中学生活を振り返ってみても、ここまで充実した気持ちでテストを終えられたことはない。もちろん採点はこれからなので実際の成果はまだ分からないが、かなりの手応えを感じられた。恐らく自分史上の最高得点を獲得していることだろう。


(それもこれも白取のおかげだな)


 チラリと横合いを見ると、鞄からノートを取り出して問題用紙と見比べている澄乃の姿がある。早くもテストで気になったところでも見直しているのか、その余念のない行動はさすがの一言に尽きる。恐らく今回のテストでも学年主席の地位を掴み取ることだろう。


 ……というかもし掴み取れなかったとしたら、どう考えても勉強を教えてもらったここ最近の自分が負担になったのは間違いないので、全力で地面に額を擦り付けなければならなくなる。その場合は土下座の一つや二ついくらでもするつもりだが、自分の体裁よりも澄乃の努力に水を差したことが悔やんでも悔やみきれなくなりそうだ。


 自分の以上に他者の点数が気になる――これもまた、今まで経験したことのない気持ちであった。


「お疲れー。どうよ結果は?」


 離れた席にいた雅人がこちらに歩み寄ってくる。余裕のサムズアップでそれを迎えると、同じように近付いてきた紗菜が少し驚いた様子で口許を歪めた。


「へえ、数学苦手な雄一にしては珍しいね。何だったら勝負でもする?」


「ほう、受けて立とうじゃないか。悪いが今回の俺は一味違うぜ?」


「大した自信だことで。まあ、ずいぶんと手厚い指導を受けたんだからそれぐらいじゃないとねえ」


 澄乃を一瞥する紗菜の動きに釣られて、雄一も同じ方へ視線を向ける。未だ見直しに集中しているようなので声こそかけないが、代わりに心の中で手を合わせておいた。


 結局、澄乃との放課後勉強会はテスト前日まで続いた。しかも数学以外の科目にも多少なりとレクチャーを受けてしまったので、本当に彼女には頭が上がらない。


「教えることも勉強になるから大丈夫」と澄乃は言ったが、それを差し引いても十分すぎるほどの待遇を受けたと思う。


 何かお礼でもでれきばいいのだが……。


「なあ、今日ってこの後ヒマか?」


 雅人の言葉で没入気味だった思考が現実に引き戻される。問い掛けに「ああ」と頷いて返してみせると、雅人はニカッと笑みを浮かべた。


「打ち上げでもしねえ? 駅の近くに新しいファミレスがオープンしたらしいからよ」


「おっ、そいつは良いな」


 テスト結果の是非はまだ分からないが、手応えから考えても好成績であることは確かなはず。最近は勉強漬けだったわけだし、今日ぐらいは奮発して美味しいものでも食べたい気分だ。


(そうだ、それなら白取も……)


 ちょうどいい機会だ。この二人なら澄乃のことも快く受け入れてくれるだろうし、ファミレスでならお礼としてデザートの一つでも奢ることができる。それぐらいなら大して値も張らないから、澄乃も受け取ってくれるだろう。


「なあ、良かったら白――」


「白取さんもどう? 打ち上げ」


 澄乃を誘おうとすると、それよりも早く紗菜が声をかける。ちょうど見直しを終えて筆記用具をまとめていた澄乃は、こちらを向いて首を傾げた。


「打ち上げ?」


「そそ。テストも終わったことだし、お疲れ様会って感じで」


「あ、いいかも。なら私もお邪魔しようかな。英河くんもいい?」


「え? あ、ああ、そりゃもちろん……」


 出鼻を挫かれたせいでややつっかえ気味な返事をすると、雄一は少し眉を顰めた。


 ……やけに予定調和というか、急に誘われた割には澄乃の返事がスムーズだったような気がする。これまで人と一線を引く傾向にあった彼女にしては珍しい流れだ。


(……ま、いっか)


 それも過去の話。それだけ澄乃が前向きになってきたということだし、雄一としても彼女が参加してくれるなら願ったり叶ったりだ。


 鞄から財布を取り出して、澄乃に奢ることも考慮しながら中身の確認していく。


 その傍ら――虎視眈々と何かのタイミングを探るかのように、澄んだ藍色の瞳からチラッチラッと視線が送られてくるのだが……雄一がそれに気付くことはなかった。

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