第15話『迷子の男の子』
アパレルショップを後にして、残りの用事も手早く終わらせる。これでオリエンテーションの事前準備は終わり。時間の方もお開きにするにちょうどいい頃合いだった。
モール内なので正確には分からないが、外はそろそろ暗くなっているはずだ。恐らく断られるだろうけど、一応「家まで送っていこうか?」と雄一が口にしようとした瞬間、澄乃がふと何かに気付いたように目を走らせる。
「どうかしたか?」
「あそこにいるちっちゃい男の子、大丈夫かな……? 見た感じ、ご両親は近くにいない感じなんだけど……」
そう言って澄乃が促す先には、柱の陰に隠れるように縮こまっている一人の男の子がいた。遠目なので定かではないが、小学校低学年――いや、もしかしたら幼稚園児かもしれない。身体の小ささはもちろんのこと、たった一人でぽつんとその場に佇んでいる光景にはとても心細いものを感じる。
雄一もざっと辺りを見回してみるが、澄乃の言う通り、確かに男の子の両親らしき人は見当たらない。
「もしかしたら親を待ってるだけかもしれないけど……一応声かけてみるか?」
「うん、そうだね。迷子じゃなかったら、それで安心できるし」
二人の結論は早かった。
澄乃を先頭にゆっくりと近付いていく。こういう時は女性が相手をした方が都合が良いだろうし、雄一の身長はそれなりに高めなので、下手をしたら変な威圧感を与えてしまうかもしれないからだ。
こちらの存在に気付いた男の子はビクリと顔を向けてくる。肩から掛けているショルダーバッグの紐をぎゅっと握り込む様からは、何かに怯えるような気配が読み取れた。それを察した澄乃は膝を折ってしゃがみ込み、男の子と目線を合わせてふんわりとした穏やかな笑みを浮かべる。
「こんにちは。あ、もうこんばんは、かな?」
「……こんばんは」
「うん、ちゃんと挨拶できてえらいねー」
ぱちぱちと、澄乃は小さな拍手で男の子を称える。男の子はいきなりの誉め言葉に戸惑いながらも、少し照れ臭そうに頬を赤らめた。ファーストコンタクトとしては上々の滑り出しだ。
「おねえちゃんたち、だれ……?」
「私は澄乃。澄乃お姉ちゃん。それで、こっちの人は雄一お兄ちゃん」
澄乃が後ろに控えていた雄一に平手を向ける。
不意打ちで名前を呼ばれてドキリとした雄一だったが、不安がっている男の子手前焦るわけにもいかなので、平静を保って笑顔を浮かべた。
「雄一兄ちゃんだ、よろしくな」
「うん……」
澄乃ほどの笑顔とは言えないだろうけど、少なくとも相手に警戒されずに済んだようだ。か細いながらも返事を返してくれた男の子を見て、雄一は心の中で胸を撫で下ろす。
「ボク、お名前は?」
「……りゅうき」
「おー、リュウキくんかあ。カッコいいお名前だね」
「うん……」
「急に声かけちゃってごめんね? お父さんかお母さんは? 一緒に来てるのかな?」
出来るだけ優しく、そしてゆっくりと。迷子かどうかを探る以上どうしても質問が多くなってしまうが、澄乃は男の子――リュウキの様子を逐一観察しながら、しっかり間隔を置いて問い掛けていく。
「おかあさんといっしょ……。でも……ボクがおもちゃ見てたら、おかあさんがいなくなってて……見つからなくて……それで……それで……」
リュウキの目元にじわりと涙が浮かぶ。二人が声をかけたことでずっと張っていた気が緩んでしまったのか、今にも声を上げて泣きそうだった。
「あっ、あー、そっかっ。お母さんとはぐれちゃったんだねっ。なら大丈夫、お姉ちゃんとお兄ちゃんが一緒に探してあげるからすぐ見つかるよ! だからほら、泣かなくて大丈夫だよー」
今にも溢れ出しそうな涙を見て、澄乃が狼狽えた。必死に頭を撫でてあやそうとするが、リュウキから漏れる嗚咽は次第にその大きさを増していく。
かくいう雄一もだいぶ焦っていた。大泣きする子供をあやした経験なんて無いし、これ以上ともなると確実に二人の手に余る。
確か近くに子供用品店があったはずだ。そこの店員だったら、自分達よりは迷子の扱い方を心得ているかもしれない。そう思って澄乃に急いで探してくる旨を伝えようとした時、雄一はリュウキの持つバッグにある物を見つけた。
「なあ、そのキーホルダーってゴースターだろ?」
雄一が指差すのは、バッグからぶら下がったアクリル製のキーホルダー。毎週日曜の朝に放送しているヒーロー番組の、それに登場するキャラクターをSD調に描いた商品だった。
「え……? うん、おにいちゃん知ってるの……?」
「おう、兄ちゃんも大好きでいつも見てるんだよ。この前の映画でもカッコ良かったなー」
「うん、うん……! ボクもすき、すごく、カッコよかった……!」
リュウキの涙が止まった。まだ言葉はたどたどしいが、不安から意識を逸らすことには成功したようだ。
雄一は澄乃と位置を変わって、リュウキの目前にしゃがみ込む。
「なあ、リュウキ。どうして、さっきまでは泣いてなかったんだ?」
「え……?」
「リュウキはさ、一人でずっと、頑張ってたんじゃないのか?」
「――――!」
思い返せばそうだ。雄一達がリュウキに気付いたのは、たまたま澄乃の目に留まったからであって、別に泣き声が聞こえたわけじゃない。そもそもこの場所は、リュウキが親とはぐれたであろうおもちゃ屋から少し外れたところにある。
きっとこの子は、はぐれたのが分かってから自力で親を探そうとしていたんだ。一人で心細いはずなのに、それを必死で押し殺し、泣くのを堪えてずっと。
その果てに辿り着いたのが、不安から身を守るために無意識に選んだのが、この柱の陰だったのだろう。
「偉いぞ、一人で頑張って。兄ちゃんな、そういうのすごいカッコ良いと思う。リュウキの大好きなゴースターと同じくらいカッコ良い」
今までの小さな戦いを称えるように、雄一はぽんぽんとリュウキの頭を叩く。
「せっかくここまで来たんだからさ、もうちょっとだけカッコ良く頑張ってみないか? 兄ちゃんも姉ちゃんも一緒に頑張るから。な?」
「……うん……うんっ! ボク、がんばる……!」
「おう、その意気だ。それじゃ、一緒にお母さん探すか!」
「うん!」
そう元気良く返事を返すリュウキの目に、もう不安は欠片も残っていなかった。雄一が手を差し伸べると、リュウキがその手を握り返す。幼い子供の、とても頼りない小さな手。けれどそこには、確かな力強さが宿っていた。
振り返ると、澄乃がまた小さな拍手を送っている。
ギリギリで立ち直ったリュウキの勇気を褒めてのものかと思っていたら、澄乃が口に手の平を当てて「お見事」と囁いた。どうやら雄一の手腕を褒める意味合いもあったらしい。
気恥ずかしさを感じつつも、雄一は澄乃に小さなサムズアップを返すのだった。
ほどなくして、リュウキの母親は見つかった。
下手に歩き回るより、館内放送なりで迷子のお知らせをしてもらった方が手っ取り早い。そう考えた雄一達はモール内の案内所に向かったのだが、ちょうど良くリュウキの母親もそこを訪れていた。なぜ気付いたかというと、案内所で話し込んでいる人物を見た瞬間、リュウキの表情が一気に明るくなったからだ。
「おかあさんっ!」
雄一達から離れて、勢い良く母親の下へ駆け出すリュウキ。弾かれたように顔を向けた母親は駆け寄る息子の姿を認めて、その目に安堵の光を灯した。
「リュウキっ! 一体どこに行ってたの!? 人が多いからお母さんから離れちゃダメってあれほど言ったでしょ……!?」
「ご、ごめんなさい……。おもちゃ見てたら、それで……」
「もう……! 大丈夫、怪我してない……?」
「うん、だいじょーぶ。あのおにいちゃんとおねえちゃんが、いっしょにいてくれたから」
リュウキはそう言うと、少し離れた位置で控えていた雄一達を指差す。しっかりとリュウキの手を握り締めた母親は雄一達の側まで近寄ると、腰を深く折って一礼をした。
「本当にありがとうございます……! 私が目を離したばかりに……なんとお礼を言えばいいのか……」
「気にしないで下さい。それにリュウキくんを見つけたのは彼女の方ですから」
雄一は隣の澄乃を平手で示す。最初にリュウキに気付いたのは澄乃であり、その行動が無かったら自分は通り過ぎていただけかもしれない。
「そうだったんですか。本当にありがとうございます……!」
「いえ、私は当然のことをしただけですから。それに……私一人じゃたぶんダメでした」
澄乃が雄一にチラリと視線を向ける。
「彼、リュウキくんが泣きそうになった時、上手にあやしてあげたんです。私はどうしたらいいか分からなくて、オロオロしてただけですから」
「お、おい、ちょっと待て。それを言ったら、最初に話しかけて安心させたのは白取の方だろ? 俺だったらあんなスムーズにいけないぞ」
澄乃の柔らかい陽だまりのような笑顔を思い出す。持ち前の人柄の良さが十全に発揮されたあの表情には、言葉で言い表せない以上の安心感が感じられたはずだ。あんなの雄一には到底真似できない。
そもそもリュウキが泣き出したのも、澄乃のその温かな態度で緊張の糸が途切れたからだと思う。それほどまでに、心を許してしまうほどの笑顔だったということだ。
「そうかなあ。英河くんの方がよっぽどリュウキくんの支えになってたと思うけど」
「いーや、絶対白取の方が――あー、やめだやめだ。埒が明かない」
気付けば、リュウキと母親は少し呆けたような表情で雄一達のやり取りを眺めていた。
こんな時まで謙遜合戦を繰り広げても仕方がない。
「とにかく、お二人ともありがとうございました。ほら、リュウキも」
「おにいちゃん、おねえちゃん、ありがとう!」
「おう、お母さん見つかって良かったな」
「最後までちゃんと泣かなかったもんね。リュウキくん、カッコ良かったよー」
澄乃が頭を撫でると、リュウキは照れ臭そうに「えへへ」と笑った。
これで自分達の役目は終わりだ。雄一は母親に「それじゃこれで」と告げて立ち去ろうとする。
「おにいちゃん!」
と、そんな背中に呼びかかる元気な声。
雄一が振り返ると、リュウキがゴースターのキーホルダーを掲げていた。
「いのち、もやしつくすぜ!」
ポーズと共に大きな声で唱えたのは、そのキャラクターの決め台詞だった。
本当に好きなんだなと、雄一は笑みを深める。
同じようにポーズを返してみると、リュウキもまた満面の笑みを浮かべた。そして最後にまた頭を下げた母親に連れられて、雑踏の中へと消えていく。その姿が見えなくなる最後の瞬間まで、リュウキは雄一達に手を振っていた。
感謝してくれるのは嬉しいが、ちゃんと前を向いて歩いて欲しいものだ。
微笑ましい気持ちを感じつつ、雄一はふと隣の澄乃に目を向ける。恐らくそこには、自分と似たり寄ったりの顔をしている彼女がいると思った。
――けど、違った。
そこにいたのは、何かを堪えるように唇を噛みしめる一人の少女だった。顔は俯きがちで、まるで見たくないものから目を背けるように視線は足元に。きゅっと握られた手は少しだけ震えている。
こんな澄乃を見たことがなかった。
笑ったり、焦ったり、怒ったり、澄乃は感情表現が豊かな方であったが、ここまで如実に辛さを露わにしてるのは初めてだった。
「白……取……?」
理由なんて分からない。けれど、もうこれ以上澄乃にそんな顔をして欲しくなくて、雄一は絞り出すように声をかける。
ビクリと一瞬震える澄乃の体。そして――
「ごめん、どうかした?」
いつもの彼女が戻ってきた。
「いや、なんていうか……大丈夫か……?」
「うん? 大丈夫だけど……でもあれかな、色々あったから少し疲れちゃったかも」
そう言って「あはは」と笑う澄乃からは、もう先程までの辛さは感じられない。
いや、違う。笑顔の裏に隠しただけだ。あの短い時間の中にも感じられた強い負の感情――あんなものがそう簡単に消え去るわけがない。
それは分かっているのに……今の雄一には、そこから先へ踏み込む術を見出すことができなかった。
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