第22話 愛される覚悟と言われましても
甘い香りと珈琲の香りがして、ゆっくりと瞼を持ち上げると、俺は店の奥にある3人掛けのカウチソファの上だった。
天然革の深い茶色の背もたれをつかみながら、身体を起こすと、お昼寝用のマイクロファイバーのブランケットが身体の上から滑り落ちた。
「起きたの?」
まったく人の気配などしなかったのに、すぐ近くで声がしたから驚きのあまり小さく声をあげてしまった。
俺の寝かされていたカウチソファから一番近くにある1人掛けのソファで読書していたらしい泰介がひらひらと手を振っていた。
「それにしても……」
何がどうなったらこんなことになるんだろうねと泰介が本をテーブルに置いて近づいてきた。興味深いなとか何とかつぶやくと、俺の顔を撫でまわすように遠慮なく触り始めた。
覚醒したところでまだぼんやりとしていた俺はとりあえずされるがままだ。
「これを見たら、一心が悲鳴をあげそうだねぇ」
泰介の指先は顔だけではとどまらず、俺の腕や指先までを確認し始めた。
俺が何も言えずにじっとしていると、公介がみるにみかねて、その辺りにしておけと口を挟んでくれた。
「新、こっちへおいで。 とりあえず、お前は何か食え」
公介の助け舟に俺はひょいと立ち上がって、カウンターテーブルへ急いだ。
どうしたらよいのだろうと思いながら、丸椅子に座ると、カウンター越しに公介に髪がぐしゃぐしゃになるほど撫でられた。
「卵サンドか? それともフレンチトースト?」
公介の質問に俺が答えようとしたら、コップを片手に現れた美蘭にフレンチトーストだと先に言われてしまった。公介がはいよと俺に意志の確認なしに作り始めた。
「間違いじゃないだろ?」
美蘭に問われて、うんとうなずく。
すると、美蘭にコップをずいっと手渡された。俺は素直にそのコップ一杯の水を一気に喉に流し込んだ。
美蘭はすぐ横の椅子にすわると、俺の顔を凝視した。
「新、言いたいことがある」
美蘭はニカッと笑ってから、俺の伸び切った髪を手にした。
「このままじゃだらしない。 髪をいじって良いか?」
俺は一も二もなく頷くだけだ。
美蘭が櫛で髪をとかしてくれながら、俺に語り掛けるように言葉を紡ぎはじめた。
「新、私はさ、何というかずっと悩んでいたことがあるんだ。 ずっと繰り返し同じ夢をみてるのに、足りない何かがわからない。 自分には本当に何かが欠けているんじゃないか、何かを大切なことを忘れているんじゃないのかってさ、時々おいつめられてみたりしてさ。 でもね、ようやくわかったよ。 だって、どこにいたって、お前の危機はわかってしまうんだ」
俺はえっと振り返ると、美蘭がニカっとまた笑ってくれた。
「お前の心が泣き言を吐き出したい時はどこにいたってわかる。 だから、みつけてやったろう?」
同じ台詞だと思った。
でも、俺の知っている記憶の中の人は美蘭じゃない。でも、美蘭と同じ赤い髪をしていた青年だった。
強くて、明るくて、何よりも温かい手をもっていた。
「私の前にこの役割をしていた人はさ、自分の魂の核をお前に抱かせることで、お前の気配の何もかもを隠しきって護ってくれたのだと思う。 お前が危機に瀕した段階でその人は役割を引き継ぐ準備をはじめていたはずなんだ」
「役割を引き継ぐ準備ってどういう意味?」
「新を『僕たち』の元へ届けるって意味だよ」
今度は真規がほんの少しの苦笑いを浮かべてこちらを見た。
「私らは前任者ほどの技量はないから、一人ではとても新を護りきることはできない。 でもね、二人でトントンにはできるって自覚したところだよ」
託してもらってからには護ってやると美蘭がにひひと笑った。
まるで違う人間なのに、どうしてだろう、彼女のこの笑顔の中には彼がいる気がしてくる。
「私らはさ、きっと前任者の彼とは似ても似つかないし、同じじゃない。 だけどね、果たしたい役割は同じだ。 お前が持っていた彼の核を託してくれたから、やるべきことを理解できたし、靄は晴れた」
「核を託す? 俺がいつそんなことを?」
「まん丸の真珠玉みたいなのを取り出しただろう? それ、僕たちに必要だったものなんだよ」
真規がわざとらしく片眉だけあげてから、にやりと笑んだ。
「新が皆を護るのが役割というのなら、その新だけを護るのが私らの役割だってことだ。 僕と美蘭だけは君のためにいる。 だから、一人きりになるなよ?」
真規が髪を切ろうとさっとバスタオルをかけてくれた。
美蘭がそうだねと俺の伸び切った髪を背の中央あたりでさっと鋏を入れて切り整えた。手早くサイドの髪もなにもかもを編み込んでくれて、最後は背に流れるような三つ編みにしてくれた。
「手前みそだけど、私は天才だなと思う。 新、かわいいよ!」
かわいいという評価に俺ががっくりと肩を落とすのが不思議なのか、真規が軽く首を傾げた。
「なんで、落ち込むのさ。 この銀と黒の艶のある新の髪は見事だよ? こうして編み込みにされちゃうと本当に映える色だから、美しい。 それにしても美蘭、上手だね。 新、見てみたら?」
真規が逆サイドで俺に手鏡を差し出してくる。
髪の色以前に、誰だ、これはと俺は絶句する。
「美少女すぎた?」
泰介が面白そうに手鏡を覗き込んできて、俺はさらにパニックになる。
しかも、瞳の色が緑だというのか。
「俺は外人だったんか?」
それを聞いた公介がフレンチトーストを作りながら爆笑している。
小学生以下の感想だなと俺をちらりと見てはまた爆笑し続けている。
「君以上に君をみて絶句する人間を僕は少なくとも3人知ってるよ」
泰介が意地悪な笑みを浮かべてつぶやくと、公介が俺も同感とぼやいた。
「ねぇ、新、いっそもうこの姿のままで挑んでみないか? そうすると、とっても愉快な光景がみられると思うよ?」
泰介がソファへ戻って珈琲を口にしながらにやりと笑んだ。
「貴一はダメだって言ってたけど、奴に見られた以上、もうどちらでも良いって言い出しそうな気はするなぁ」
公介がフレンチトースト片手に目の前へ戻ってくると、それにしても似てるよなぁと小さなため息を漏らした。
「ワイルドカードになる人間の容姿はこれが基準ってことか? すっごい美少女なのに、下が男なのが惜しいよなぁ」
公介も俺の顔をまじまじとみて、にやっと笑った。
俺はフレンチトーストの皿を奪い取り、知るかよと勢いよく口にした。
真規と美蘭が両サイドからくすくす笑ってくるから、もう知るかと無言だ。
ふと手に目を落とすと、指先までが華奢な仕様になっている。
ついぞこの前までの俺の肉付きはどこへやらだ。
「まさか身長も……」
慌てて、椅子をおりて立ってみると、視線がそうさがらないことに気が付いた。
公介がそれほどチビでもないぞと笑ってくれたが、俺の心はなかなかついていかない。
「何もかもが志貴と同じじゃないよ。 君の方が随分と身長は高いし、肉付きもさすがに性差はある。 リーチは以前とそうかわらないから、これまで通りの動作で大丈夫だと思うよ? ただ、志貴と似通った特徴が出てくるとしたならば気を付けておくべきことが増えるかもしれない。 まぁ、その辺りは貴一に要確認だね」
泰介はにこりと笑んで、再び、珈琲カップを手に取り楽しんでいる。
俺はもう一度、椅子に座りなおしながら、そっとウエストあたりに手を触れてみる。やっぱり何かが違う。格段に細くなったのに、どういうわけか骨と肉がしっくりとくる。
「味覚はかわってないだろう? だから、お前の中身は何にも変わってない」
公介が頬杖をつきながら食えと顎で促してくる。
「肉体のレンタル終了しただけだろう? 貸した方も楽しかったと思うぞ?」
「楽しかったってどうしてわかるのさ……」
「朽ちていくだけだった身体だったのに、お前がレンタルしてくれて、色んなことを経験できた。 去る時に『ありがとう』って聴こえなかったか? すっごく楽しかったって言ってたぞ」
公介の言葉に俺は唇をかんだ。俺には何にも聴こえなかったし、正直、よく覚えていない。
「新、他人の残滓が自分に残っているように思うか?」
俺は首を振った。何も感じない。感じるとすれば、わずかな花の香りくらいだ。
「お前が気づけるとしたら、花の香くらいだろう?」
俺は息を飲んで、公介の顔を凝視した。
公介はその様子ににこりと笑んで、それが彼からのメッセージだと言ってくれた。
死する人が最期に残してくれる言葉が花の香りであったのなら、その人に負の想いはないのだとも教えてくれた。
やばい泣きそうだ。鼻の奥がツンとしてくる。慌てて、顔をそむけて、フレンチトーストを口につっこんだ。
うまいかと公介に聞かれたから、俺はうんとだけうなずいた。
俺にとって宗像の人間達はあたたかすぎる。
うっかり気を抜いてしまいそうになる寸手のところで、気を引き締めた。
夢であった静は暗闇の中に居た。夢の中なのに、冷気を感じたほどに寒々とした場所に居る気がした。
助けに行かねばならない。
静が敵側だとしても、俺は静を助ける。
「貴一さんはまだお休み中なのかな? 昨夜から全然みないけど」
真規の何気ない一言に俺ははっとした。
貴一が刃で肩を貫かれていたことを思い出したのだ。
「怪我してたんだ!」
暢気に食事などしてる場合じゃなかったと、慌てて、椅子を立った俺に皆の目がいっせいにむいた。
貴一さんはどこにいるのかと問うた俺に、公介が2階の奥だと答えてくれた。
「行ってくる!」
俺が駆けだした背後から、公介が慌てて制止するような声を上げた。
やめておけと聞こえた気がしたが、俺は一気に階段をかけあがって、貴一の休んでいる部屋へ飛び込んだ。
「貴一さん! 大丈夫!?」
引き戸をあけて、すぐにその部屋中に甘ったるい香りが漂っていることに気が付いた。
猫足のシンプルなベッドの足元には長い羽織がおちていた。
血がついたままの着物も無造作に脱ぎ散らかされている。
ベッドの上からは寝息がきこえており、貴一がうつぶせで眠っている。
左肩からから胸へと包帯が巻かれており、長い黒髪はゆるく結われたままで背中に流れ落ちている。
彼は何かを抱き枕のようにして眠っているのだ。
「今、眠ったところだから静かに」
目が合ったのは静音だ。
ベッドの頭もとにある大きなクッションに背をあずけている静音の首には貴一の腕が巻き付いていて、彼の顔は静音の首元にある。
「その姿! 新君なのか? なるほど、貴一から聞いていたとおりだね。 志貴さんにそっくりだ。 こりゃ、びびる」
静音は俺のこの姿に多少の驚きをみせたものの、苦笑いどまりだった。
それよりも、俺の視界は何をとらえているのだと混乱気味だ。
「ええっと……」
彼女の首筋には歯形と内出血だらけだ。しかも、血で汚れているような部分もある。それに、静音の髪がほんの少しだけ乱れている気がする。
現状をどうにも理解できていない。俺は今、何を見ているんだろうか。
「ええと……」
静音の上に、貴一の身体がかぶさるようになっている。
しかも、静音の胸元は大きくはたけ、肩まで露出しており、貴一は上半身裸のままで、その肌にべったりと頬をよせたままで眠っている。
静音は貴一の髪をゆったりとした動作でなでながら、彼の身体を抱きしめていた。
「傷の血は止まってるから大丈夫だよ。 さっきまでちょっとイライラしていたけど、今、ちゃんと深く眠ってるから心配しないで」
この状況で、やたらと冷静な静音の言葉に俺はどうしたらよいかわからなくなった。頭に血が上ってきて、頬が熱をもっていく。思考回路が断絶した音がした。
「私の血の匂いに酔う前に部屋を出た方が良いよ。 これは貴一にしか薬にならないものだから。 半日ほど、寝かせたら大丈夫だから、それまでそっとしておいてくれると助かる」
「ええと、すごく、すみませんです」
構わないよと静音は笑ってくれたが、いや、何故、笑えるんだと俺は頭を抱えそうになる。
「私に任せておけば良いから、安心して、もう行ってくれ」
貴一は元から眠りが浅いから、こうでもしないと深く眠れないと静音が柔らかく笑んだ。
現実では貴一の方が圧倒的に身体が大きいはずなのに、静音の腕の中でおだやかに寝息をたてている姿がまるで小さな子供が眠っているようでどこか不思議だった。
この二人の雰囲気はさらりとエロイというべきか。行為そのものを目視するより、煽情的というべきか。
後ずさりしながら、部屋を出て、引き戸をもう一度締めた。
そして、即座にその場で頭を抱えてうずくまった。
「だから、止めたろうが……」
公介が言わんこっちゃないというように、呆然としていた俺の襟首をつかんで、1階へと連行してくれた。
じわじわと冷静になってくる頭の中と心で、俺は眩暈がした。
「見てはいけないものを見た、とか?」
公介が違いないなとため息交じりにつぶやき、俺はさらにがっくりと来た。
「他の連中から教えてもらわなかったか? 貴一を味方にしておきたかったら、静音に何もするなって」
「そういえば、美蘭からきいたことある……」
「知ってたんかい!」
「いや、こういうことだとは思ってなくて……」
「お勉強したねぇ、新君。 大人への第一歩だ」
公介がくすくすと笑って、俺をカウンター前まで引きずってきてくれた。
落ち着いて、続きを喰えと皿を押し出してきた公介の顔を見上げると、面白そうに笑ったままだ。
「笑いすぎだから!」
もう一度、丸椅子へ座り、俺はしぶしぶフレンチトーストを口にする。
「見たこと、貴一さんに言わないでね?」
公介は少し考えてから、どうしようかなと笑った。
真規はどうやら美蘭から説明を受けていたらしく、俺の隣でおとなしくミルクティを口にしていた。
「なぁ、真規。 俺、お子様だったわ……」
真規が俺のつぶやきに飲んでいた物を噴出して、美蘭が汚いなとタオルを真規に投げつけた。
真規がむせならがも濃度がすごかったのかと問うてきたので、俺はげっそりした顔でそれを表現してやった。
『阿呆はなおらんな』
ひょいと膝の上に小次郎がのぼってきたので、舌打ちしながらも俺は片手で背をなでてやる。
「なぁ、小次郎。 愛ってすごいな」
『新、ほんまにその頭、大丈夫か?』
「ちょい、大丈夫じゃないかもしれんわ。 番ってああいうのをいうんやろなってものすごく分かった気がするわ」
『いやいや、形は色々あるやろ。 そうまで感心するんやったら、あんたも恋の一つや二つしてみたらどない?』
「俺が恋!? しーちゃんやあるまいし?」
『静!? あれは女性なら手あたり次第やからな、あれの愛が崇高かはわからんから比較したらあかんで?』
「すっごい言われよう……。 そんなことより、なぁ、小次郎? 玉三郎と何とかつなぎもたれへんか?」
『難しいわ。 玉三郎と私は主人を分けてしもたし、静の居場所まで潜るとなったら目の前の厄介が先に出て来るやろ』
「若宮直人か……」
『それだけでは済まへん。 恒、桂も例外やない。 あのマネージャー君も出てくるやろ』
「真っ向勝負しかないんかな?」
『そのうち、麗しき月が導いてくれはるやろ。 今はひたすらに備えて、余計なことをせんこっちゃ』
余計なことをするな、かと俺は肩を落とした。
俺が何をしようともすべてが余計なことでしかないのは自覚している。
この姿を取り戻したという現実はもうすぐそこに血生臭い戦闘が迫っている意味であることもさすがに自覚した。
敵味方なく、血を流さずに済めば良いなんてことは夢幻だと理解したし、ここから先はもう選択一つ一つが生死に直結する。
「俺にはまだ覚悟がたらんのやろなぁ」
『あんたに覚悟がいるとしたら、そりゃ、愛される覚悟だけとちゃうか?』
俺は思わず、小次郎の目を見た。
今、こいつは愛される覚悟と言わなかったか?
「愛される覚悟ってなんやねん」
『そのまんまや。 皆から愛される己であれって意味や。 あんたがおるから、皆が集まる。 あんたのためやったらと皆が集まる。 あんたはそもそも闘いの道具やない。 小難しい類の覚悟は月の真君にお預けしたら良いんや。 ただ、皆に愛されたらええ。 それでこそ大事を成せるんやから』
小次郎の理屈はどこか抽象的すぎてはっきりと見えてこない。
だけれど、公介はそうそうというようにうなずいているし、美蘭も真規も同じだ。
『敵とか味方とかって、いちいち線を引かへん選定者がおってもええと思うよ?』
敵とか味方とかと線を引くなと言うのか。
でも、こちらはその気でも相手が同じであるとは限らない。
これまでの歴史が残した傷跡達が簡単に赦してくれるとは思えない。
『暁を導く月として生まれ、春をもたらす君子となるであろう。 その名を持つ彼の魂に新は迷いなく従うと決めた。 朱華月魄という最大級の名誉ある名前をくださった真君を信じているんやろう?』
朱華月魄という名の響きは好きだ。
暁春君、貴一の声で発せられた言葉の羅列、音の響きが体の中を駆け巡った瞬間、俺は表現しきれないほどの多幸感を覚えた。
怖いなと正直に言葉が零れ落ちた。
こぼれおちた涙がこぶしに落ちて、自分が泣いていることに気が付いた。
静のそばにいたい。でも、貴一のそばに居ない自分をもう想像できない。
静も貴一も月も護るだなんて息巻いていたけれど、それがいかに難しいかを今頃になってようやく思い知ったのだ。
この先、天に静か貴一のどちらかを選べと突き付られたのなら、俺はたぶんどちらも選ばない。本当に選べないからだ。
貴一に名前をもらって、貴一のそばにいる道を迷わずに選んだのは俺だ。
俺はそれが正しいということも知っているし、それ以外の選択肢など思いもつかないことだ。
でも、静を殺せと言われたのなら、俺にはできない。
逆も同じだ。
貴一を殺せと言われたとしても、俺にはできない。
いっそ、そんなことをさせられるくらいなら、俺が死んでしまった方がマシだ。
「そうか、だから……」
身体が震えだす。恐怖からの震えではない。
己の命の危機に瀕しても『誰彼も』が凪いだ湖面の水のように穏やかであった理由を悟ってしまったからだ。
俺と同じようにコレを役割と引き継いでいた誰彼もが選べなかったのだ。
究極の二択の苦しみからの解放は己の落命しかなかったのだろう。
天は親愛なる主と愛する者の狭間に立たせて、選択を迫り、追い詰めて、まるで自死を寿ぐように舞台から去らせようとしてきたのだろう。
「俺はこれまでの人と同じになりたくない」
小次郎がどこかうれしそうな声をあげて、俺の肩にまで駆け上ってきた。
『そうや、新は同じにはならへん。 あんたが好きなようにしたったらええねん』
好きなようにしろかと俺は苦笑いだ。
ルールブックの存在が不明である以上、どこからふってくるかわからない罰則を恐れ、前例に従ってきたであろうこれまでの前任者達の苦しみは理解したが、俺はどうしてもそれに同調することはできない。
「小次郎、ありがとうな。 なぁ、ずっとお前にきいてみたかったことがあんねん。 それ、今、きいてもええか? お前はさ、しーちゃんの神鬼やったのに、俺についてくれたやろう? なんでや?」
『それはいつか静に直接きいたらええよ。 一つだけ言えるとしたら、神鬼より、神使の方が私は気に入ってるんや』
俺が公介のフレンチトーストの欠片を小次郎に差し出すと、うまいと声を大にして喜んでくれた。
「新、神使っていうのはさ、主を穢さないように護るということが役割なんだぞ? 実はこれが地味に難しい」
公介がほいと小次郎に卵サンドの切れ端を差し出してやると、小次郎がわかってるねとさらに嬉しそうな声をあげて、それを口にしている。
「どんな敵であっても、辱めたり、穢したり、血に染めたりしないで主のすぐそばで護り抜くのが神使の気概だ。 神鬼は手を汚してでも、一切の不浄を請け負い、己自身を遠ざけざるを得なくなったとしても主を護り抜くのが気概。 似ているようで、護り方が違うんだ。 なぁ、そうだろう? 小次郎ちゃん?」
小次郎はぴょいと公介の方へと移動して、今度は彼の肩の上にのって、ほおずりしている。
小次郎がこんなに懐くなんて珍しいけれど、それが公介であるのならあり得ることかもしれないとふっと笑った。
「新、小次郎がお前の名前を最大級の名誉だって言った意味がわかるか?」
俺はいいやと首を振った。
ただ、すごく心地良い響きの名前だなとは思ったけれど。
「貴一がお前にくれた名前って本当にすんごい意味あるんだぞ? まずは『朱華』、これは明け方の一瞬、空一面があかね色に染まる様子から、命の生まれる瞬間を表す縁起の良い色とされていてな、親王様が身に着ける高貴な色でもある。 次に、『月魄』とは月の神の意味がある。 夜明けへと導くすべての月の守り神ってことにもとれるんだぞ?」
そんな壮大な意味があっただなんて知らなかった。
いや、俺はそんなにたいした人間じゃないのになと逆に恐縮してしまう。
「夜明けに向かって闇間を照らすのが月の役割だ。 決して、競い合うためにあるのじゃない。 だから、貴一はお前に『闘え』という意味の名前を与えなかった」
「戦力として期待されてないみたいだ……」
「お前、あの程度のくせして、そもそも戦力になるつもりだったのか?」
「公介さん! ひどいよ! 俺だって、皆を護りたいんだ!」
「護る方法などもうある。 お前のことを景星鳳凰って、貴一が口にした時にわかっちまったんだなぁ、天才だからな、俺様は!」
「え? どういうことなの? 俺、また教えてもらうことできる?」
「貴一が必ず教えてくれる。 俺はいつも通り、お前の基礎体力を伸ばすだけだ」
「公介さん、知ってるんなら教えてよ!」
「今は我慢!」
公介が俺の前にオレンジサイダーを置いて、ストローをぽいと差し込んできた。
俺はしぶしぶそれを口にした。
小次郎は公介の肩の上で、あれが食べたい、これが食べたいと催促している。
公介は仕方がないなあとケーキの切れ端などを小次郎の口へ放り込んでいる。
俺はこの数時間後、粘ってでも公介に聞いておけばよかったと後悔することになる。
そして、宗像貴一という人がどうして常に眠りが浅かったのか、その理由をむざむざとみせつけられることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます