第7話

 さて、いよいよお昼休みになるわけだが。母さん手作りの弁当持参の俺は、何とかそれを手にこの教室から逃げ出さねばならない。


 問題はこの熱視線を送るクラスメイト達から無事逃げられるかどうか、そもそもどこでご飯を食べるかなんだが。


 ともかく、昼休みはなんとか1人になるべく逃げる作戦を立てていくことにする。


 もう授業を全く聞いてないけど、それ以上に死活問題が山積みなんだ。勉強は帰ってから頑張るという手段が取れるから、優先順位的にも目の前の問題から取り掛かるのは間違っちゃいない。




 で、午後の授業は体育だから……良かった。幸いどこで着替えるかとかは思い出せる。


 どうも時間と共に今世の記憶が薄れてきていて、正直今のうちに思い出せるだけ記憶を確認したい気持ちも大きい。


 大きいのだが、今はそれどころじゃないから。逃げられる気は一切しないが、大勢に囲まれるより少しでも人数は少ない方が良いに決まっている。




「よし、イメトレはばっちりだ」




 先ずベストプラン。ほぼクラスのど真ん中のこの位置だが、なんとか存在感を消して1人で教室を突破する。


 これは未だ多数のクラスメイトの視線を感じる現状現実味はゼロだな。


 2の矢は、最初に話しかけられた誰かと上手い具合に離脱する。数種類のパターンを脳内シュミレート済みだ。


 ぶっちゃけこれが一番現実的な策だと思っている。


 一応3の矢まで考えてあり、それは体調悪いって言って保健室に逃げる。そして、できればそのまま帰るって技だ。


 これは正直使いたくない。なぜなら前世の頃仕事や心残りを残して逃げても、ろくなことはなかったからだ。


 勿論そのまま不登校や転校って手段まで視野に入れるなら悪くない手段だと思う。


 じゃなきゃ、逃げるが勝ちなんてことわざもないだろうし。前世で無駄に耐えていた頃の俺には、さっさとそこから逃げろと言いたいしな。


 とは言え、それは本当に最終手段だし、下手すりゃ高校中退になるわけで。


 頑張って高校大学と進学し、一流企業に受かっても結婚できなかったら余程の功績を残さなきゃ殺処分って世界だ。そんなリスクの方が大きい博打なんかできるわけない。




 4の矢は、こちらから誰かに話して教室を抜け出すって作戦なんだけど。


 これはすぐに作戦リストから外した。


 ものすごい簡単な話、じゃあ誰に話しかけるってところで誰も思い浮かばなかったからだ。


 男女問わず幼馴染以外ほぼ付き合いが無い、寧ろ記憶にある限りでは嫌われている可能性の方が高い。


 で、頼みの綱の幼馴染からはこの前振られたばかりであり、しかも朝気まずそうにされたばっかりだ。その状態で幼馴染に助けを求められるような強心臓を俺は持ってなんかいるわけがねぇ。




 うん、消極的選択ではあるのだけど、やはり2の矢の作戦が一番マシだと思う。


 勿論それ以上よい作戦があるかもしれないが、凡人の俺にはこの短時間じゃこのくらいしか思い浮かばなかった。




 とは言え、もしかすると俺に話しかけるのを躊躇してくれる可能性もあるわけで。


 それなら可能性は薄くとも1人で抜け出せないか行動しつつ、話しかけられたらそいつと一緒に教室を出る。


 うん、これで行こう。


 1の矢と2の矢のいいとこどり作戦って訳だ。いや、なにがいいとこどりなのかは全然分からんが。




 丁度俺が作戦を決めたところで、いよいよチャイムが鳴り教師から授業の終わりの言葉が発せられる。


 俺は手早く広げていた勉強道具を机の中に片付け、続けて机横の鞄から弁当箱を取り出し――




「うーえーだー君。私達と一緒にお喋りしながらご飯食べようね」




 そう声を掛けられ、俺は顔を上げた。


 予想はしていたのだが、はたして相手は予想と違っていた。


 目の前には近くの席の女子生徒であり、俺は今日接触のあった女子5人か男子に声を掛けられるのを想定したのだ。


 だから、つい余計な事を口走ってしまう。




「あ、いや、俺は赤井さん達とご飯食べるから……」




 口に出てしまってから自分の失言に気が付く。


 ああああ、やっちまった。約束もしてないし、そもそも達ってなんだよ。目の前の子1人の方が――いや待て、この子も私達って言ってたし、どっちが良いか分からんかも。


 笑顔から驚いた表情に変わったその子は、残念そうな表情へとさらに変えていった。




「そっかぁ、じゃあ仕方ないね」




「すまんな」




 残念そうに口にした相手に俺はそう答えた。そこで、自分に異変が起こっていることに気が付く。


 今のクラスメイトの名前、思い出そうとしてもキリがかったように思い出せない。


 その事実にぶわっと冷汗が噴き出る。


 失敗したと思ったが、寧ろ九死に一生を得ていたようだ。


 今まで思い返した今世の記憶はすぐに思い出せるのだが、そうでない記憶は思い出し難くなっている。


 前世の記憶を試しに思い出そうとしてみれば、違和感なく思い出す事が出来た。


 つまり、少なくとも今日は今持っている中途半端な記憶でやり過ごすしかない。そして、勉強だけでなく今世の常識も調べなければならないって事だ。


 いや、今世の常識はまだいい。どうやって今世での自分の立ち位置を思い出せば良いんだ?


 家は良い。幸い仲が良いし、多少おかしくても容認してもらえるのはすでに体感済みだ。だけど、学校生活は? 仮に普通の高校生がどんなものか調べられたとして、今世の僕って普通じゃなくないか? そもそも、普通ってなんだ?




 そう内心で焦りつつ、高速で考えを回していたが。どうやらタイムリミットのようだ。


 恐る恐ると言った様子で赤井さん達4人が俺の方へやってきたので、意図して笑顔を作り気持ちを切り替えて口を開く。




「約束もしてないのにごめんね」




「いや、それは良いけど……その、本当に私達ってか、私大丈夫なの?」




 明らかに困惑している赤井さんが探るように俺に聞いてきた。


 他の3人は無表情と言うか、なんか赤井さんを責めるような感じで見ているな。


 あれ? 仲が良いんじゃねーの?


 不思議に思うものの、質問に答える為に俺は再び口を開いた。




「うん、それは大丈夫だけど。と言うか、2時間目の休み時間はごめん。あんなセクハラ発言するつもりはなかったんだ」




 一応予定していた言葉の1つを紡ぎ、頭を少し下げつつも相手の様子をうかがう。


 相手の目を見て謝罪するって言うのを逆手に取り、真摯さをアピールしつつ違和感なく相手の反応を探る方法だ。


 まあ、こう言うのは社会人になれば大なり小なり学んでいくものだし。勿論相手によっては意図どおりに行かず怒らせる場合もある。


 とかすぐに考えてしまうあたり、もう今世の俺の事は完全になかったものにしよう。


 じゃないと、ただでさえ言動をミスりそうなのに、その可能性がますます上がってしまいそうだ。




「いやいやいや、なんで上田君が謝るのよ。じゃなくて、ごめんなさい。男の子相手にする話じゃなかったね。繰り返すけど、ほんとうにごめんなさい」




 俺がだらだら考える時間を与えるほど固まってしまった赤井さんは、凄く取り乱して喋った。そして、俺とは違い深々と頭を下げる。


 うん、いくつか予想していたパターンの1つで少しほっとしたよ。


 そのおかげで、俺は慌てることなく言葉を喋る事ができた。




「ううん。気にしないで。ほんと今までの俺って本当に酷かったと思ってたし、だからちゃんと答えたかったからさ。なにより俺だって失言することあるし、人間なんて失敗するもんでしょ。だから、とりあえず頭上げような」




 俺が喋っている間中頭を下げ続けていた赤井さんが、俺の言葉を受けて上目遣いにこちらを見てくる。


 いや、めっちゃ可愛いんだけど。


 割と落ち着いて対応できているって思ってたけど、盛大に勘違いしていたようだ。一気に全身熱くなって心臓がバクバク脈打ち始めやがったぞ。


 そう感じるものの、まだテンパるほどではなく。何とかもう一度言葉を赤井さんに掛ける事に成功する。




「ほんと大丈夫だって。だから安心してくれ」




「……うん、ありがと」




 ほっとしたように息をついた後、そう言って赤井さんははにかむような笑顔を見せてくれるのだった。


 どうしよう、可愛すぎて滅茶苦茶恥ずかしいんだが。

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