第4話 動きだす
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「顔を貸してもらうわよ」
眉間にしわを寄せた彼女に、再会したのはそのすぐ後のことだ。
部活終わり。射形を見てくれた先輩方に、三立目の最後の一射は惜しかったな、と労いを貰う。
矢取りの時に確認しても、誠二の的周辺には三本の矢しかなく、射た本人も見ていた部員たちもしきりに首を傾げたが、結局四本目の矢はどこを探しても見つからなかった。
白昼夢のような出来事は本当だったのかもしれない。
ハザマの世界。
誠二が一度迷い込んで出てきた世界。そこには先輩がいて、『魔物』とよばれる怪物が、度々姿をあらわす。
誠二の矢は一瞬、世界を超えた。
道着から着替え終わって駐輪場から自転車を転がしていると、校門を出たところで、ここ最近姿すら見なかった彼女に華麗に連行された。
時刻は夕刻を過ぎ夜、十一月末の空は真っ暗だが星は見えない。周囲が明るすぎるからだ。
誰もいない校門を出てすぐに制服姿の藤間先輩が仁王立ちしていたのには驚いた。偶然誰もいないが、生徒が通りかかったら何事かと三度見くらいはしそうである。そして彼女は美人だ。すっと伸びた背筋に、黒く艶のある髪をポニーテールに結んでいる。二重のきりっとした鼻梁は彼女の芯の強さを表しているようで目を引いた。
つまりどういうことかというと、そんな彼女に仁王立ちしてまで待たれていた誠二にも、注目が集まるということである。
周囲を無意識に見渡しながら、もしかして自分に用があるのではないかもと現実逃避も交えつつ周囲の視線を探る。幸いにも真っ暗になったこの時間、校門には人がおらず、誠二は安堵のため息をはいた。
心底誰もいなくてよかったと思う。誠二は小心者で、注目が集まるのは好きではない。
まあ、のちに簡単な人払いの呪をかけてあったと聞くのだが。
彼女は「ついてきなさい」と強めの語調でくるりと踵を返す。校門から出てくるのは待っていたのに、追いつくのは待ってくれないらしい。
足元がフローリングだったのならドンドンと音が立ちそうな足運びで、状況が読めずにぽかんとする誠二を置いていこうとする。いや、置いておかれまいとついてはいくのだが。
学校から道を二、三本離れて川沿いの休憩所。川の方にはひらけているが、道路側からは建屋に隠れて人がいることは見えない。学校の生徒が通ってもわからない所まできて、やっと足を止めた。
先輩は大きなため息をついて振り返ったかと思うと、腕を組んだ。
「あなたにそんな意図はないというのはわかっているのだけれど」
そう前置きしておきはするが、さざ波だったその心を隠そうともしない。
「前回から数えて二度、あなたはハザマの世界に関わった事になる。ハザマの世界に偶然関わってしまう人間は確かにあなたを含めているけれど、こう立て続けに関わってくる人はめずらしいわ」
今回の一件は、前回のようにはっきりとした関わりではないけれど、白昼夢のような景色の向こう側は、やはりハザマの世界で、こちらを見ていた先輩は、あのときまさにあの場所で魔物と戦っていたのだろう。
「あの、もしかして今日のあの一射って……」
つまり、あの一矢はハザマの世界に届いていたというわけで。
「もしかしなくても、境界を飛び越えてハザマの世界に来たわ。びっくりよ。魔物と戦っていたら、矢が飛んでくるんだから。それも現世からね」
「なんだか……、すみません」
そう認識したとき、誠二がまず思ったのは、人に当たらなくてよかったということだ。下手をすると、その矢は先輩に当たってしまっていたかもしれない。弓道部に入って一番に教わるのは、人に向かって弓を引いてはいけないと言うことだ。誤った運用をして、凄惨な事故に繋がってしまった事例を、別の先輩から聞いた覚えがある。想像するだに恐ろしい。閃いた想像に鳥肌が立つ。
それを見とがめた先輩が、うろたえた。
「そこまで怒ってないわよ? こっちも混乱してるの」
「すみません、これはちょっとちがくて」
「え?」
「いや、ごめんなさい、続けてください」
「私こそ、ごめんなさい。困惑しているのはあなたもよね」
「いえ、大丈夫です。あの……、矢はどうなりましたか?」
「端的に言うと、魔物に刺さってそのままね。魔物は結局逃げてしまったし」
先輩は肩から力を抜いて組んでいた腕も解いた。
「あなたの所為じゃないわよ? 私の力量が足りなかっただけ」
表情で的確に誠二の思考を読んだのか、先輩がフォローを入れた。
「あの魔物は強い個体なの。むしろあなたの使ってる普通の矢が刺さったことに驚いているわ。私じゃかすり傷程度。それに攻撃に対する反応速度も発達していて、不意を突いたからそこ……ってごめんなさい。これはあなたに聞かせる事じゃなかったわね」
寧ろ興味深かったからもう少し話してほしい、と言ったら先輩は変な顔をするだろうか。するだろうな。なぜって、先輩はあまり誠二にハザマの世界には関わってほしくなさそうだから。
前回別れるとき、先輩は『忘れなさい』と言った。それは、こちらの興味を抱かせないようにした上で、質問も受け付けない雰囲気があった。境界を跨ぐ前に見えた、痛いほどの真剣な瞳を今だって完全に覚えている。
ハザマに暮らす人間と、現世に暮らす人間の間にある溝、それ以上に何か確執を持っているようなそんな眼差しだったように思う。
先輩は咳払いをすると仕切り直す。
「とにかく少し調べてみたけれど、あのとき、あの場所に世界を超えて干渉し合えるほどの境界の穴はできていなかった。その条件の上であなたの矢がこちらに飛んできて、あまつさえあなたがこちらを視認できたって事は、とても特異な事なの。他の部員たちは、何か言ってなかった?」
「いえ、得には……。何かを見たという話もなかったですし……。ほら、魔物を見たら誰かが騒ぐと思うんです」
「それもそうね。まあ、大事にならなかったのは救いだわ」
前で組んだ腕をほどくと、少し肩から力を抜いたように見えた。
「見ても信じる人の方が稀だけど、部員全員が見たってなると、信じざるを得ないだろうし。そんな状況にならなくてよかったわ」
それに、もし誠二と同じ光景が見えた人が居たのなら、魔物と同時に先輩の戦っている姿も見られただろう。次の部活の時に先輩が他の部員から質問攻めにされる姿が目に浮かぶ。なんとなく、その手の追求は苦手そうだなと思った。彼女の表情はあまり嘘を付かないから。
「今回の事を偶然と思う方が難しいわ。何かの力が働いて、今回の現象が起こってしまった。それを調べないことには、同じような事がまた発生してしまう可能性がある、ということで」
両手をパチンと合わせた先輩は真剣な表情で言った。
「私たちの拠点に来てもらいます」
どうやら誠二の運命は、ハザマに関わる方向に動き出したらしい。
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