第15話

 目を覚ますとそこは誠二の家だった。でも覚えている風景よりなんだか目線が低い。そして暑い。外からは蝉の合唱が聞こえてきて、季節を夏だと伝えてくる。不思議に思って手を上げると、視界に入るのは小さく丸い幼な子の手だった。成長していないまろい手だ。


「誠二ー?」

「はーい!」


 声変わりしていない声のトーン。玄関先の鏡を見ると、まだ小学校に上がる前の小さな自分がいた。玄関に山になった荷物。バーベキュー用品と、食品を詰めた大きめの保冷庫。アニメキャラクターの形があしらわれた小さな鞄は、幼稚園の時に誠二が好きだったものだ。

 半袖の裾からのぞく細い手足。薄着なのにじんわりと滲んでくる汗。季節は夏らしい。


「誠二いくよー?」

「兄ちゃん待って!」


 兄ちゃん。そう口にして気付いた。ぱたぱたと軽い足音がして、なかなか家から出てこない誠二を探しに、玄関の扉が開いた。

 そこには不思議そうな顔をした真一がいた。もうずいぶん前に忘れてしまった姿で。懐かしい出で立ち。


「いたいた。どうしたんだよ」


 ぐっと息が詰まる。


「待ってっていった!」

「どうした大きな声出して。誠二が行くって言ったんだろ? 置いてかないって」


 小さな手を兄に伸ばすと、真一は笑ってその手を取ってくれた。零れそうになる緩い涙腺にぐっと蓋をして、誠二も笑った。仕方ないなというように笑った兄の顔に、また泣きそうになった。

 これは夢だ。まだ兄が居た頃の、幸せな夢。やり直したいと思うほどの後悔を、まだ経験していない幼い自分の夢だ。


「ほら、積み込み手伝わないと。父さんも母さんも待ってるぞ」

「うん」


 苦笑する兄に返事をして、必要な荷物を父親の車に積み込む。大きな荷物は兄と父があらかた運んでしまったので、誠二でも持てる小さな荷物を、母と分担して運び込む。自分のリュックを肩に掛けて、準備は終了。


 行く道の車の中では、興奮してずっと横に座る兄にしゃべりかけていた。

 車が目的地に着く。そこは見覚えのある河原で、到着してすぐにみんなでバーベキューキットを組み立てたのを覚えている。幼児の小さな手に、子供用の軍手をして、父親に部品を渡すだけの作業。今思えば部品は近くにあって、父にとってはすぐに取れる位置にあったのに。たぶん、楽しそうに手伝いをする誠二の事を微笑ましげに見ていたに違いない。


「少し遊んでくるといいよ。真一、誠二の事見ててあげて」

「わかった!」

「目の届くところに居てね。川には入っちゃだめよ」

「うん」


 準備が一段落して、一旦休憩しようと言う話になった。誠二は初めて来たところに好奇心が刺激されて、休憩する気分ではなく、兄の手を引いてこっちだよと遊びに誘う。真一は仕方ないなあという顔をしながらも着いてきてくれた。好奇心の赴くままにあっちにこっちにふらふらと動く弟はさぞ危なっかしかっただろう。

 石をひっくり返し、草の葉をかき分け、川に近付いて行こうとする誠二を時たま制止する。


「みて、兄ちゃん! おさかながいる!」


 この後の事はよく覚えている。何度夢で見たかもわからない。

透明な川の中に魚を見つけて、そちらに行こうとする誠二を、真一はトンボが居るからあっちに行こうと川からは遠い草の茂みを指さすのだ。

こっちの方が面白いよ、と。川に近付くなという母の言いつけを守って。

そして兄は居なくなる。


 自分ではどうにもできない過去の話だ。夢の中だけでも、自由に動いて、兄の手を取れたら救われたのだろうか。いや、そんな事はない。目が覚めたときの虚無感がひどくなるだけだ。

 そう思って振り返ると、そこには『兄が立っていた』。


「え……」


 優しい笑顔を浮かべて、手招きしている。


「こっちだよ、誠二」

「兄さん?」

「どうしたんだよ。こっちで遊ぼ」


 これは夢だとわかっているけれど、心がぎゅっと絞られるみたいに痛くなる。

 あんなに何度も見た夢だけれど、こんな展開は初めてだ。この手を伸ばせば兄に届く。でも、何度も見たからこそ知っている。自分を戒めるかのように何度も何度も繰り返した世界だ。


「こんな都合のいい夢、あるわけない」


 見ないようにしていた傷がずっとその痛みを訴える度、誠二は身をもって思い出すのだ。兄はいない、いなくなってしまったのだと。

『招かれてもその手を取ってはいけないよ』

 不意にその言葉を思い出した。


 ぐっと握った手が、小さな子供のものではなく、今の高校一年生のそれに変化しているのに気がつく。それと同時に兄に対する不信感を覚えてしまった。

 その姿形はあの時の兄のものに間違いないが、外見だけ同じの『何か』なんじゃないかって。


「あるわけないんだよ。こんなに都合のいい夢なんて」


 伸ばされた手を振り払う。乾いた音がして、兄は唖然とした表情で誠二の事を見ていた。


「い、つまで! そうやってるつもりだ!」


 ひどい侮辱だ。腹の奥から湧いてくる熱いものが、のどの奥に詰まってひどく声が出しにくい。あふれそうな激流がぐるぐると胸の内にわだかまっている。


「兄さんの顔で! 表情で! こんな、お粗末な舞台まで演出して!」


 それで、兄も誠二も手に入れたと思ったのなら大間違いだ。

 ついにその熱は目の端からこぼれ落ちだ。


「誰が、そんな手を取るものか!」


 取りたい手はそんな手じゃない。掴みたい手はそれじゃない。

 兄の皮を被っていた何者かが、初めて素の表情を見せた。それはひどく醜悪で歪んだものだった。


 夢の景色が遠ざかる。どんどん小さくなる景色の奥で、赤い目が最後までこちらを覗いていたけれど、それすらも遠く黒い闇に飲み込まれて見えなくなる。

 意識が水の中を浮上するような不思議な感覚の後、ざわざわした周りの音が戻ってくる。


 詰めていた息を吐き出し、誠二が目を開けると、そこには心配そうな表情をした綾香と薫がいた。


「何があった?」


 薫の声は真剣で、でも心配も滲んでいる。


「夢の中で……。兄さんが、こっちだよって。でも本物の兄さんじゃなかった、から……」

「そっか、よく頑張った。よく戻ってきたな」


 頬を伝う冷たい感触に、自分が泣いている事を悟る。偽物だとわかっていたのに、その手を取れないことが、これほど悔しいとは思わなかった。瘡蓋の剥がれた傷みたいに、じくじくと痛みを訴え続けている。でもそれだけではない熱が、誠二の心を前に向ける。

 誠二の言葉で察するところがあったのか、薫は思案顔だ。


「取り返します、絶対に」

「うん。そうだね」

「はい」


 薫が手を伸ばしてくれて、その手に応える。力強く引っ張られた手と、その熱さに決意を固めた。


「俺にできること、ありますか?」

「あるよ。これ以上ないくらいの適役がね」


 薫は少し疲労の見える顔に、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

 改めて周りを確認してみると、少しだけ状況が変わっていた。魔物の表面がなんだか堅い質感になっているような気がするし、術師たちや薫、綾香に少し傷が増えているような。

 そういえば、誠二は魔物の攻撃にあったのではなかったのだろうか。疲労した彼らをみると、どうやら助け出されたらしい。


 命が脅かされるのも、こうして助けられるのも、もう何度目だ。でも彼らは目的達成のために邁進する。どれだけ自分が傷ついても、魔物を倒し、兄を取り戻すことを切望する。

 だけど、誠二を囮に使うことには躊躇を示すし、現世の人間を危険に晒すことを謝りすらする。


 誠二は、そんな扱いを受けて、どこかお客様気分だった。自分が今ここにいるのは、兄を取り戻すためでもあるけれど、彼らの手伝いをしているのだと、そう言う心づもりでいた。おかしな話だ。当事者のくせに、危機感が足りない。たぶん彼らよりも決意も覚悟も足りない。所詮少し不思議な事象に慣れただけの一般人。


 だけど、今は違う。


「たぶん俺は今怒っているんだと思います。魔物にも、兄さんにも」


 目を丸くした綾香がこちらを見ていた。こうして人前で怒るのは初めてだ。反対に薫は面白いものを見たような顔をしていた。


「自分で殴らないと気が済まないくらいには」

「いいね! さて、状況をきちんと説明しておこう。魔物は真一を取り込んで、さらに自らに『強化』を施し始めた。あれを見てごらん」


 さっき感じた違和感が、もう一度頭をもたげる。


「気がついただろう? そうだ、『強化』よって堅い外郭がさらに堅牢な鎧に変化した。こうなると真一と魔物を引きはがす事は難しい。だけど、魔物はここで一つミスを犯した。それは、誠二くんと物理的な接触を図ってしまった事だね。さっきの接触で、君を招いたことで、君の攻撃が魔物にとって防げない一撃になってしまった」


 招く、という行為は諸刃の剣。招いた対象からの攻撃は通りやすくなるという。


「弓の扱いはお手の物だろう?」


 そう言って差し出してきたのは、さっきまで薫が使っていた弓だった。おずおずと握ると、その弓は変形を始め、誠二が使っているそれに変化する。傷のつき方から弦の癖まで再現され、握りの部分など掌に吸い付くようだ。


「これ……!」

「こういうのは得意なんだよ」

「ではワタシも微力ながらお力添えいたします」


 傍にいて支えてくれたぽん太は、大きくなった姿で一つ頷いた。その獣は小さな光となって誠二の右手を包む弽となった。


「私からはこれを」


 綾香はその手に一本の矢を持っていた。見た目はよく見るカーボン矢。しかしその内側に強い力が宿っているのを、今の誠二は感じ取ることができた。それは、ハザマに深く関わったことが原因か、先ほど魔物に触れてしまったことが原因かはわからない。それでも、綾香の握る刀と同じよく練られた力の気配が確かにあった。


「私の一閃あと一回分。そこに込めといたから」

「はい」


 何よりも重たい矢だと思った。でも、その道はただ一つ、兄に繋がる確実な道だと、綾香も薫も信じている。だったら誠二も信じる。彼らが押してくれた背中が温かい。

 昔届かなかった手を、今度こそ掴むために。後悔しないように。


「ありがとうございます」

「大丈夫。必要な手助けはする。道は君の中にある。その縁が導いてくれる」


 地面に着いていた膝を立てる。できる限りのことはやる。自分にできることは少ないけれど、できることなら力を尽くそうと思う。

 彼らの力のこもった目線が、誠二の背中を押してくれているような気がした。

 矢を番える。


 魔物が攻撃の気配を察知して、その影を伸ばしてくるが、そのことごとくを綾香の刀が振り払った。打ちもらしたものは誠二に届く前に薫の結界が弾く。部分的に作り出された結界は、役目を終えると花のように散っていく。幾度も。

 体の軸をまっすぐにして、均等に引き絞る。


 魔物の赤い目がこちらを見ていた。闇を煮詰めて詰め込んだみたいなそれに、誠二は心の中だけでつぶやいた。


 返してもらう――。


 離れ。


 左右に伸びた糸がぷつんと切れるようにまっすぐに伸び、弦音とともに矢を送り出す。中るのは必然。矢の走るその延長線上に、狙いはある。

 空を切る矢は込められた力を燐光のように纏い、一線を描く。


 矢は着地する。魔物の堅い外郭に覆われたところ、誠二の一本目の矢が刺さったままになっているそこに、寸分の互いもなく。そして、魔物の抵抗すらはねのけて、肉に食い込むと、勢いを殺すことなく、背面に抜けていった。矢の通った道には大きな穴が空き、自己修復能力で再生しようとする力を弱めていた。その内側から、何かがこぼれ落ちる。


 それに一番はじめに反応したのはぽん太だった。

 誠二の右手を覆っていた弽が形を解かれ、その形も整わぬまま素早くその何かに向かって近づくと、それを咥えて戻ってきた。動きの機敏さに反して、その扱いは優しい。そっと地面に下ろすと、体を小さく変化させて、力なく動かない手のひらをぺろぺろとなめた。

 一人の成人男性。この人が、兄さん。


「真一!」

「真一さん!」


 思わずといったふうに声をかける綾香と薫を見て、改めて目の前の人物が自分の兄なのかと実感した。

 肩に触れるくらいの髪。柔らかい髪質は父によく似ている。閉じている目元は母の方に似ているかもしれない。覚えているのより大人になった姿に、自分も同じ事とはいえ十年離れていた事を実感した。


「兄さん」


 放りだした弓は、形を解いて消えていった。薫の力によって作り出されたそれは、役目を終えると消滅するようにできていたらしい。

 誠二は力の抜けた足で、兄の元ににじり寄った。伸ばそうと思った手が、震えている事を自覚する。どうしてここに来て、こんなに躊躇してしまうのだろう。


 それはきっと、兄との間に長い時間という隔たりが横たわっているからだ。自分を奮い立たせるように手のひらをきつく握りこむと、誠二は再度その手を伸ばした。

 最初に感じたのはその温かさだった。柔らかく触れた手は、生きている人間の体温があって、それだけで心の奥がぎゅっと縮んだように感じた。


 握った指先が少し動く。手ばかり見ていた視線をあげると、兄がうっすら目を開いているのが見えた。虚空を見つめる目は、赤い色をしている。

 傍らで見守っている薫と綾香が息をのんだ音が聞こえる。


 ぼんやりと視線を合わせていると、その赤色は消えていき、見覚えのある黒い瞳に戻って、また瞼によって見えなくなった。

 二人の安心したような吐息が零れる。


 何だったんだろう。でも、二人の様子を見ていると、今の状況が悪いものではないらしいことがわかって、誠二も知らずに肩の力を抜いた。


「さてと、真一も安定したみたいだし、後片付けの時間だね」


 何かを判断した薫が、屈伸してぐっと伸びをしたと思うとそう言った。綾香も地面に着いていた膝をあげて、スカートの砂埃を払う。右手に握ったままだった刀の状態を確認するように一振りすると、鞘に収めることなく感触を確かめるように握り直した。

 彼らの晴れやかな顔の向こうに、大きな穴のようなものが見えてぎょっとする。


「先輩、あれ……」

「大丈夫よ」

「うんうん、真一の『夜呼者』としての特性に惹かれて出てきたみたいだけど、ちょっと遅かったかな? 後は俺たちの仕事だよ」


 一歩踏み出してぶんと振ったその手には、脇差し程度の長さの刃物が握られている。手遊びをするように逆手に持ち替えると、大穴に向けて投げた。重力を感じないぐらいまっすぐに飛んだ先には、穴から出てこようとする魔物がいる。

 穴は結界の綻びだった。


「結界の簡易的な修復は父さんに任せるとして、俺たちは小物の掃討に勤しみますかね!」

「ここではしゃぐのは、叔父さんの悪い癖だと思います」

「まあまあ、そう言うなって」

「猫も剥がれかけてますよ」

「他人行儀よくないよ?」


 生き生きとした薫とは対照的に、綾香は冷静に、ややうんざりとした様子でため息をついた。

 遠くの方で、部隊を指揮していた紋一郎は、淡々と物事の鎮圧に動き、弓隊が魔物を弱らせる中、術師を集めて結界の修復に取りかかり始めた。


 そういえば、あの魔物はどうなったんだろう。

 誠二はそう思って視線を巡らせる。広場の中央に、その巨体は横たわっていた。胸に大穴が空いたままの状態で、体の修復は成っていないようだった。


「藤間家の力は、魔物に対して毒です」


 小さくなったぽん太が、誠二の膝に手をのせた。


「しかしながら強力な魔物には効果が薄く、ましてやあるじ様の強化の術を使った、かの魔物には歯が立たなかったでしょう。あの魔物に、あそこまでの致命傷を負わせたのは、誠二様がいたからです」


 ぽん太がこちらを振り仰ぐ。


「ありがとうございます」


 そう言って、眉を下げた。その中にある、純粋な感謝の念に居心地が悪くなる。不快感はないけれど、感謝されるほど大きな事をした覚えもない。最初から自分のためにここまで来から。これは人助けではなく、自分が納得するための戦いだったのだ。

 視界の端で、形を保てなくなった魔物が、まるで波に攫われる砂の城のように崩れて消えていった。


「うん」


 なんて応えていいかわからずに、そんな応答だけが口から漏れた。

 魔物の消えた地面には、一本の矢が残っている。なんの変哲もないその矢が、この結果を導いてくれたように思えて、胸が熱くなった。


 自分が感謝するとしたら、この世界を知ったきっかけの日に、だ。関わるなと言った先輩にも、囮になるように持ちかけてきた紋一郎にも、誠二の決断を許容してくれた薫にも感謝している。

 そんな誠二を、ぽん太はにこにこしながら見ていた。


 結界は修復される。夜呼者の気配に寄ってきた魔物は、バランサーたちによって一掃される。負傷者は出たが、結果的にこの戦いは人間の勝利となった。

 ぎゅっと握る兄の手が、自分と同じ体温になったころ、戦闘は終わった。時刻は夕方になろうかとしている。現世の方は空があかね色に染められている時間かもしれない。


 兄は目を覚まさないけれど、漏れ聞こえる呼吸は規則正しく、彼の式も大丈夫だとお墨付きをくれたから、命に関わるような問題はないのだろうとうかがえた。無用な嘘はつかないと信頼している。


「終わったみたいですね」


 近寄ってきた藤間先輩に、誠二はそう声をかけた。制服のほこりを払い、刀を鞘に収める綾香の表情に険はなく、多少の疲労は見えど大きな怪我はないように見える。


「そうね」

「お疲れ様です」

「あなたもね」


 ふっと笑う表情は先輩にしては珍しい。


「藤間先輩」

「あ、それ、今更だけど綾香でいいわ。薫兄さんとややこしいでしょ?」

「え、あ、はい。綾香先輩」

「なに?」

「いや」


 話しかけたものの、どう話していいものか。


「兄さん、取り戻せましたね」

「そうね。それが一番嬉しい。たぶんおじいさまは魔物を倒すことを第一目標にしていたんでしょうけど、私と薫兄さんに取っては、真一さんを取り戻すための戦いだったから」

「そうですね。これから、兄さんはどうなるんですか?」


 綾香が誠二を見下ろす。意識のない真一のことも視界に入っているはずだ。


「一旦は体調の観察ね。常夜の影響をどれくらい受けているかわからないから。あ、でもそこまで心配はいらないと思う。さっきの目の色、黒く戻ったでしょう?」

「赤いのが駄目なんですね?」

「そう。魔物と一緒。常夜に侵食されると目に特徴として出てくるの。真一さんは戻ったから大丈夫」

「よかったです」


「でも、ちゃんと話をする時間が取れるのはもう少し後の事になると思う」

「どうしてですか?」

「結界の本格的な修復を行うと、しばらく現世との行き来は絶たないといけないからよ。あなたには現世にかえってもらわないといけない」

「それは、どれくらい掛かりますか」


「点検と精密修復に二週間ぐらいかな。点検が終わった段階で状態がよければ、少し外に出られる時間もあると思うけれど」


 申し訳なさそうに眉を下げる綾香。彼らのルールに反抗するつもりはない。必要な事だと思う。

魔物を常夜に食い止めるための拠点。魔物の侵攻があれば、彼らは命を掛けて戦うことになる。常夜は人が気軽にいけるところではなく、その環境下では特殊な体質を持たない限り、その命が脅かされる。


 気を失った兄と、きちんと話ができるのは、もう少し後になりそうだ。でも、会えたことが、一番の喜びだ。十年待った。数週間ぐらいなら待つ時間には入らない。


「俺が言うことではないかもしれませんが、兄さんをよろしくお願いします」

「……任されたわ」


 真面目な先輩は律儀にそう言った。

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