第9話

 ぷつんと弾けた弦に、ひやりとした。練習に持ち込んだ最後の射で弦が切れたのだ。思わず「うわ」と声を上げてしまった。周りで見ていた先輩は、暢気に「切れたねー」と笑っている。


 弓道をしていれば必ず起こることとはいえ、誠二にとって初めてのそれに、胃の辺りがきゅっとなった。

 近場に落ちた弦を、先輩たちに教えてもらいながら回収し、最後に礼をする。この礼が弦音の代わりなのだそうだ。左手に巻いた弦を後から確認すると、きっちり真ん中で切れていた。


「綺麗に切れたわんw」


 覗き込んだ藤間先輩がそう言った。


「切れるのに綺麗とかあるんですか?」

「ん? なんとなくね。ここで切れるってことは、ちゃんと力がここにかかっている証拠よ。弦をよくいじりすぎると、下とか上で切れるの」


 切れた弦をまじまじと見過ぎたのか、綾香が笑った。


「そんなに見ても変わらないわよ?」


 刃の切っ先のようなよく知る彼女の雰囲気が一転、穏やかにほほえむものだから、少しどきりとした。


「予備の弦はある?」

「は、はい」

「ならいいわ」


 購入したときのままだから、使えるように準備するのは少し時間がかかるけれど、もう今日の練習は終わりだし、それほど支障はない。


「あら、同じ弦ね」

「本当ですね」


 先輩の使っている弦を確認してから購入したことは黙っておこうと思った。丁寧を心がけて手を動かしていると、綾香の視線がずっと誠二の手元を覗き込んでいることに気がついた。


「どうしたんですか?」

「ああ、ごめんなさい。こうして誰かが手仕事をしているのを見るのが癖になっているの。面白いじゃない? 少しずつ完成に近づいていくの。見てて飽きないから」

「少しわかります。うちの兄の趣味が機械いじりとか、小物作りとかだったんですけど、それを見てるのがとても好きだったんですよね」

「そう」


 少しだけトーンの下がった声音には気付かず、誠二は兄のことを考えた。年の離れた兄は、何かを分解したり組み立てたりするのが好きで、よく暇なときに集中して何かをしていた覚えがある。その時々で壊れた小さめの機械を分解していたり、糸と針と布で何かを作っていたり、プラモデルを組み立てていたり、やっていることは違ったが、一度集中すると長時間その作業にべったりだった。兄の丸まった背中を見ると、誠二はおもちゃを横に置いて、その手元を覗き込んだものだ。


 弓の上端に掛けるための弦輪を作り終わって、矢を番えるための中仕掛けは、次の部活の時に作ろうと片付けを始める。先輩は自分の片付けを終えて、着替えに行ったらしい。


「最近藤間と仲よさそうだね」


 そこに近づいてきたのは須賀先輩だ。


「だなあ、どうしたどうした。先輩に話してもいいんだぞ?」


 そう言ったのは道場のシャッターを閉め終えた安田先輩。彼らはいつも一緒にいる気がする。前に何かの拍子に幼なじみだと教えてもらった。家が近く、小学校の時は同じ学校に通っていたらしい。中学の時、須賀先輩は受験して少し遠いところに通ったから、学校こそ違ったらしいが、その交流はずっと続いていたようだ。


「ヤスは野次馬根性だよね?」

「うん? だめか?」

「ううん? ほどほどにね?」

「わかった」

「おっけー」


 そんなやりとりも昔からの信頼関係の上に成り立っているのだろう。誠二にはそういう関係の友人は居ないから、少しうらやましい。


「突然ごめんね。藤間さんとは中学の時に同じクラスだったんだけど、あんまり人と関わるタイプじゃないから、ちょっと珍しかったんだ」


 須賀先輩は苦笑しながらそう言う。どこか心配した風に。

確かに、誠二の藤間綾香に対する第一印象は、静かで意思の強そうな人、だった。弓を引いているときは特に顕著で、研がれた刃のような雰囲気を持つ。最近になってそれは、小さい頃からの研鑽によるものか、と納得したのだけれど。あのように笑う人だったのだ。と、先ほどの笑顔を思い出す。


「中学の頃からそうだったけど、部活もあんまり顔を出さない時期があるし、人付き合いもいいとは言えない方だったしね」

「先輩は、藤間先輩とは親しいんですか?」

「ううん、あんまり。でも中学校の頃から、何回かクラスも同じだったし、部活も一緒だったから、他の人よりは話す機会も多かったかもね。試合の時に彼女のお父さんと少しだけ話した事もあったし」


「ん? 俺はお兄さんには会ったことあるけど、お父さんにはないなあ」

「そっか、ヤスは知らないよね。中学の途中から見なくなったから」

「だったら知ってるはずないか」


 そりゃそうだと、安田先輩が腕を組む。


「でも、藤間さん今でこそ取っ付きにくさがあるけど、中学の最初の頃はもう少し話しやすかったと思うんだよね」

「そうなんですか?」

「そうそう、懐かしいな」


 須賀はそう言って、中学の頃の藤間先輩のことを思い出しているようだ。


「今より友達と話しているところもよく見たし、彼女からも積極的に関わっているように見えたな。でも中学の途中からちょっとずつ学校を休みがちになって、少しするとそれも収まったけど……」

「けど、どうした」

「うん、あの頃から藤間さんのお父さん、見なくなったなってずっと気になってたんだよね」


 少しの沈黙の後、先輩は切り替えるように、着替えに行こうかと言った。片付けは、話している間に終わっていたから、三人で連れ立って道場の階段を降りる。たわいのない話をしながら制服に着替えて、再び道場の鍵を締めに戻る。藤間先輩とは校門で近くのコンビニで待ち合わせと言うことになっているから、ここには居ない。職員室に鍵を返しに行くという先輩たちと分かれたところで、誠二はクラスメイトに遭遇した。どうやら誠二を探していたらしい。


 あまり話したことのない、生徒だった。先生が呼んでいると、誠二を呼びに来てくれたらしいが、用件がわからない。

 ついて行くと、そこには和服の男性が居て、生徒は一枚の紙になって消えた。

 術者の命令を実行する、式。人型をしているのを初めて見たと、頭の中の冷静な部分が考えた。


 帯で締めた背筋はすっと伸びて、年齢を感じさせない。白髪が交じる頭髪も、老いでなく、彼の経験と知性を表している。


「こうして直接言葉を交わすのは初めてか」


 藤間紋一郎。相談役として同じ部屋にいた事は何度かあるが、一対一で相対するのは初めてだった。校内に異様な和服の男がいるというのに、周りには生徒も先生も誰も居ないことに今気付く。誠二の怪訝な目に気がついたのか、鷹揚に口を開いた。


「人払いはしてある」

「そう、ですか」

「そう緊張する事もあるまい。同じ人間なのだからな」


 彼の表情に笑みはない。緊張するなと言われても、体が勝手に彼という人物を警戒していた。気を抜いていると一気に食われてしまう。蛇を前にした小動物とはまさに今の自分のことだと思う。


「どういった用件でしょうか」

「そう急くものでもない。だが、そうだな。世間話をするような仲でもない。簡潔に用件を述べると、私は君に協力を頼みたいのだよ」

「協力ですか?」


 紙になった式を、男は袖に戻す。


「そう、協力だ。我々の目的は、君を狙う魔物を討伐すること。その魔物が居なくなれば、君がこれ以上命を狙われることもなくなる」

「協力と言うことは、俺に何かして欲しいと言うことですよね」


 たぶんそれは、危険なことだと直感が言っている。


「君の予想は正しい。君にはその魔物をおびき出すための囮になって欲しいのだよ」


 何を言われたのか頭の中でかみ砕くのに、少々時間がかかった。囮、魔物をおびき出すための。

 これ以上命を狙われ続けないために、一時魔物の前に出て罠の中の餌としての役割をしろと言っている。


「迷うか。そうだろうな。現世にいて、護衛をしてもらう方が遙かに安全だ。しかし、それも確実ではないと、言っておこう。現世に魔物は現れなくても、君が再びハザマに落ちてしまうことはある。その一瞬を狙って、魔物が現れないとは限らない」

「その時のために護衛がついているのではないんですか?」

「そうだ」


 彼は断言する。しかしこうも続ける。


「君は最近顔を合わせただけの人物を信用しすぎているのではないかね?」

「どういう意味ですか」

「そのままの意味だ。確かに現世の人間を守ることは我々の使命だが、君一人に割ける人も、時間も限られる。それに、君には告げていない秘密があると言ったら? 必ず守ると言う口で、必要なことを黙っている人間を、果たして信用してもいいものか?」


 秘密?

 藤間薫は、先の魔物の襲撃の際、誠二の命を助けてくれた。命の恩人とも言える。先輩である綾香だって、初めてハザマに迷い込んで立ち往生していた自分のことを導き、現世に返してくれた。それは彼らの仕事で、当たり前の事だったのかもしれないが、誠二にとっては返しきれない恩だ。


 だけど、誠二を囮にして魔物を倒そうとする藤間紋一郎もまた、バランサーとしての仕事を全うしようとしている。たぶん彼は、どんな手を使ってもいいと思っている。その方法をとることで、魔物を倒せるのなら。


「あの人たちが何か隠していたとしても、信頼しないという事にはなりません」

「ふむ、言い切ったか。では、知らない方がいいのかもしれんが、教えておこう。その隠し事と言うのは、君の兄、木原真一についての事だ」

「……兄さん?」

「それ以上は薫に聞いてみたまえ。私が木原真一の名前を出したと言えば、必要な答えを、知りたい答えを知ることができるだろう。それを聞いた上で、もう一度、私の提案について考えるといい」


 彼はそれ以上しゃべる気がないようだった。聞きたければ藤間薫に聞いてみろと。信用しているのならそれぐらい容易いはずだと、言外に告げているようだった。

 紋一郎がするりと左手を振ると、彼の姿が目の前から消える。何かの術を使ったのか、そこには暗い廊下が続いているだけだ。


 その後はどうやって家に帰ったのか、覚えていない。兄の事が、ぐるぐると頭の中を回っていた。校門で合流した綾香が、心配そうにこちらを見ていたことにも気付かないほどに。


 *


 それからしばらく、ハザマの世界に招かれることはなかった。薫や、綾香には、誠二をハザマに関わらせたくないという考えがあることはなんとなくわかっている。どこかのタイミングで兄の事を聞きたい。しかし同時に、十年以上行方不明の兄の存在に、戸惑っている自分がいることも自覚していた。


 家族に相談するべきだろうか。それとも、先に詳細を聞いてからにするべきか。

 紋一郎は「兄ついての隠し事」を示唆したが、それがどのような内容なのかは言わなかった。その生死もなにも。悪い方の情報だったら、変な期待を持たせてしまって、反って落ち込ませてしまうかもしれない。


 気付けば頭の容量が一杯になるまで考えていて、寝ることにも苦心する状態だ。そんな状況で授業や部活に集中できるはずもなく、よく話すクラスメイトや、先輩には心配されてしまった。


 下校中に珍しく「少し寄り道しない?」と提案した藤間先輩にも、不審に思われているのがわかる。というよりこれは心配させてしまっているのか。

 人に心配されるのは苦手である。

 困ったような顔も、悲しんだ顔も、できれば見たくない。


 藤間先輩の下がった眉を見て、心を決めた。悩んでいるのはなんだか自分らしくないし、悩み事も自分だけで抱え込んでは解決しない。とりあえず聞いてみないことには始まらないと腹をくくる。


 気分転換にと連れてきてもらった喫茶店は、夕方の遅い時間と言うこともあって、人はまばらだった。一歩入って珈琲の香りが鼻をくすぐる。ちょうどいい音量でかかったスイング調の音楽。先輩はよくここに訪れるのか、店員に案内されるまでもなく、奥の席に誠二を案内してくれる。カウンターの中でマグカップを拭いているお兄さんに軽く会釈をすると、彼も柔らかな笑みと共に返してくれた。


「珈琲と紅茶どっちがいい?」

「紅茶でお願いします」

「ミルクと砂糖は?」

「では、ミルクだけ」

「わかったわ」


 先輩は店員を呼ぶのではなく、座っていた席を立つと、注文を直接カウンターで頼んでいる。どうやら店員とは知り合いのようで、少しだけ話をすると、戻ってきた。

 磨かれた木のテーブルには、頭上のライトが光を落としている。オレンジの強い、暖かい色味。


 最近日が落ちるのが早くて、部活の終わったこの時間はほとんど夜といってもいい。帰宅は少し遅れると思うが、部活だと言い訳すればいいかと頭の隅で考えて、長引くようなら連絡を入れようと決めた。誠二の両親は兄の事もあって心配性で、時々過保護だと思うこともあるが、連絡をしておけばある程度は寛容だ。男の子だし、そういうこともあるよねと思ってくれるようだ。


「お待たせ」

「いえ、ありがとうございます。いいお店ですね」

「ええ、私も気に入ってて、よく来るの。お昼はサンドイッチがおすすめよ」


 テーブルに置かれたメニューの表紙には、いくつかのサンドイッチの写真が載っている。昼限定メニューではないが、昼ならドリンクとセットで安くなるらしい。学生にはありがたい。

 どう話を切り出そうかと考えている間に、飲み物が運ばれてくる。小さな容器に入ったミルクを注いで、混ざっていく中身を見つめる。


「話を、聞いてくれますか?」


 ホットコーヒーにミルクを注いでいる先輩が、どうぞと促す。砂糖を少し入れて、少しだけ口に含むとカップを置いた。細い指が持ち手の部分をなぞっている。


「まずは、ここしばらく心配をおかけしてすみませんでした」


 先輩の前で、小さく頭を下げる。決意を固めれば言葉を重ねることは難しくない。先輩の方が口数は少ない方だ。もっとも元々そうおしゃべりな人ではないけれど。

 話をするには、一度自分の兄の事を思い出すこと必要で、最近よく思い出すようになった肉親のことだが、言葉にするのはとても久しぶりだった。ましてや、家族以外でこういう話をする人もいない。伝えたいことは伝わるだろうか。


 ここしばらく問いたいことばかりだった頭の中は、自然と兄との思い出をなぞっていた。


「俺には八つ年の離れた兄が居ます。木原真一という名前で、十年前に俺たち家族の前から突然居なくなってしまいました」


 夏の暑い日だった。唐突に消えてしまったあの光景は、今でもまぶたの裏に焼き付いて、時々夢にまで出てくる。


「あの日、俺たちは両親とは少し離れた河原で遊んでいて、俺は川の中の魚が気になったんです。でも、兄は危ないと思ったんでしょうね。あっちに虫がいるからと、俺の興味を引いて、川から遠ざけようとしたんです」


 先輩はカップに手を当てて、静かに聞いている。話が最後まで終わるのを待ってくれているかのようだ。

 誠二は言葉を続ける。


「俺は兄の方を振り向きました。迷ったのはほんの少しだったと思います。でも、声のした方に兄は居なくて、俺はしばらく何が起こったのかと唖然としました」


 真一はいつだって、誠二の前では兄の顔をしていた。優しく手を引いてくれる存在で、ひやりとするような驚かせ方をするような人物じゃない。


「どこを探しても、兄は見つかりませんでした。それから十年が経ちます」


 両親が河原周辺を探し、警察が下流を捜索して、それでも見つからず長い時が経った。兄がいつ見つかってもいいように、葬式もあげず、死亡届も出さず、当時の兄の持ち物は、兄の部屋ごと封印するかのようにおいてある。最近になってようやくリビングに写真が飾られるようになったが、その中の兄は十年前のあの頃のままだ。話題に出すようになったのも本当に最近。抱えていた家族の傷が癒えるのに、それだけの時間が必要だったのだ。


「今でも兄が死んだとは到底思えませんが、先日、そちらの相談役の方が、俺に接触してきました」


 先輩の指がぴくりと動いた。彼女は学校に現れた藤間紋一郎のことに気がついていなかったらしい。それだけ、彼に実力があると言うことだろう。身内にすら気付かせずに、懐に入り込むその技術。一朝一夕には身につかない経験と知識。


「おじいさまが?」

「そうです」


 怪訝な顔をする彼女に同意する。難しい表情で、眉根を寄せている。


「俺に協力を頼み、木原真一について隠し事をしているから、気になるなら藤間薫に聞いてみろと」


 聞いたのは直球。下手にごまかすのは苦手だ。誠二にはうまい話術などない。伝えたいことを言葉にして、相手を信頼して待つことしかできない。

 先輩は細く息を吐き出す。少し悩んで、うつむいたかと思うと、顔を上げた。彼女の心に何の葛藤があったのかはわからない。祖父に対する疑問と、隠し事を暴かれた気まずさと、話すか話さないかの判断と、誠二の立場への同情と。


「あなたに謝らなければいけないわ」


 そう話し始めたけれど、まだ迷っているような感情は見て取れた。


「ごめんなさい、あなたのお兄さん、木原真一のこと、よく知っているわ」


 覚悟していたのに、その言葉は、誠二の胸を詰まらせる。隠されていた事への悲しみではなく、諦めかけていた兄の気配に、心がざわついている。どれだけ手を伸ばしても掴めなかったその情報に。


「たぶん、そちらにも事情があったんだと、理解はしています」

「理解していたとしても、感情はそうはいかないでしょう? 私が言うのもおかしな話だけど……。隠していた上でおこがましいけれど、悪意があって秘密にしていた訳ではないの」

「わかっています」


 正確にいうなら、わかっている『つもり』だ。彼らには彼らの事情がある。違う世界で、違う理と使命で行動する先輩たちの事情は誠二には推し量ることができない。

 紅茶から立ち上る湯気を見つめる。

 誠二の前で、先輩が珈琲を口に含む。


「木原真一と私が出会ったのは十年前の事よ。私はまだ七歳で、結界の外には出してもらえなかったけれど、母と薫兄さんが外から連れ帰ってきたのが真一さんだった。最初は現世の人間だと知って驚いたわ。でも、一緒に過ごすうちにそういう事はどうでも良くなった」


 昔を懐かしむような目。遠い過去を覗き見るような。


「最初は私たちに対して警戒していて、多くのことを話してくれなかったけど、自分の状況が理解できるにつれて、こちらの世界に必死に馴染もうとするようになった」

「兄さんの状況?」


「現世には帰れないということよ」

「どうして……」

「彼の体質の話になるわ。当時頭領だったおじいさまは真一さんを現世に帰すことは危険だと判断したの」

「それは、なぜ?」


 その質問に、先輩は首を横に振った。


「どこまで話していいものか、判断がつかないわ。これ以上は頭領の薫兄さんにきいてちょうだい」

「……わかりました」

「ごめんなさい。ここで話せることは少ないの」

「いえ、謝るようなことでは……」


 困ったような顔をする先輩は、誠二のその返答に頭(かぶり)を振った。


「知りたいという心は、止められるものではないわ。私からもできるだけ早く、話をしてもらえるように、兄さんに話してみる」

「ありがとうございます。それから、兄はどうなったんです?」

「現世に戻れないと知った真一さんは、次第にハザマに馴染んでいったわ。頭領の館で過ごすうちに、私も段々ともう一人の兄のように思うようになった。薫兄さんにとっては友人として」


 十年という時間は長い。誠二の知らない時間がそこにある。先輩は、ゆっくりと兄との思い出を語る。そこには、真一の知らない兄がいる。

 それからは、ハザマの世界とは関係のないとりとめのない話をして、おごるという先輩にお礼を言うと、解散することになった。

 彼女は約束を守ってくれ、再びハザマの世界に行くのは、二日後のことであった。

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