13謎の男

 次の日の朝、歩武は自分の身体が重たいことで目が覚めた。


「金縛り、ではないみたいだね」


『おはよう、歩武』


「おはよう、セサミ、アル」


 身体が重い原因を探ろうと辺りに視線を向けると、仰向けに寝ていた歩武の腹の上に二匹の動物の姿があった。歩武が起きたと同時に二匹も目覚めたようだ。ぱちりと目を開けた二匹が朝の挨拶をして、歩武から離れる。歩武も同じように挨拶を返す。辺りを見回すが、ミコがいる気配はない。歩武の部屋にいないということは、おそらく、自分の部屋にも戻っていないだろう。なんとなく家に帰っていたのなら、真っ先に歩武の部屋に来ると思っていた。


「結局、ミコは家に帰って来なかったね」


 今日から月曜日で、また一週間の学校生活が始まる。本当に学校に行けば、ミコに会えるのだろうか。心配を胸に、歩武は学校に向かう準備を始めた。




「おはよう!ごめんねえ、お姉ちゃん。いろいろあって家に帰ることができなくて。もうしばらく家に帰れない状況が続きそうなの。不本意だけど、その間はあの二匹で我慢してね」


「お、おはよう、ミコ。ほ、本当にミコ、なんだよね?」


 セサミやアルが言った通り、ミコは普段通りに学校に登校していた。歩武は午前中、ミコの姿を見かけることができず、気分が落ち込んでいた。


しかし、落ち込んでいたのは午前中だけだった。昼休みにミコは土日のことが何でもないかのように歩武の教室に姿を見せた。あまりの軽い口調に戸惑いながらも返事をしたが、徐々にミコに対して怒りが湧いてくる。思わず、教室だということを忘れて叫んでしまった。


「どうして、連絡の一つも入れずに外泊なんてしたの!私がどれだけ心配したのか、わかってる?セサミやアルで我慢って何?ミコは私の大事なたった一人の妹なんだよ。心配して当然でしょう?どうしてそこがわからないの!」


「お、お姉ちゃん……」


 叫んでから、ここが教室だと気づくが、すでに遅い。教室には昼休みで、教室にいない生徒もいたが、それでも半数近くのクラスメイトは教室で過ごしていた。


「ドウシタノ?遠野さんたちが喧嘩なんて珍しい」


「家に帰ってないって、いったいどういうこと?」


「遠野さんたちって、よく見ると姉妹のわりに似てないんだね」



 歩武の声は教室にいたクラスメイトの視線を集めてしまった。そして、こそこそと歩武たち姉妹について述べ始める。歩武たちに聞こえないように話しているつもりなのだろうが、神経が過敏になっている歩武の耳には、彼らの言葉が聞こえてしまう。


「け、喧嘩ってわけでもないし、ミコが家に帰って来ないのは」


「家に帰ってないのは本当だけど、似てないっていうのは……」


 聞き捨てならないわね


 歩武の言葉にかぶせるように、ミコもクラスメイトに言葉をかける。そして、歩武にこれ以上口を開かないように、人差し指を立ててシーっと合図する。


「まったく、今回はお姉ちゃんがいきなり大声出すから注目を浴びたんだからね。仕方ないから、私がどうにかするけど、次からは気を付けてよ」


「ち、近いから。そんなに近づかなくても聞こえるから」


 ミコはそのまま人差し指を立てたまま歩武に近づき、唇に触れるくらいまで指を近づける。そして、耳元でこっそりとつぶやく。恥ずかしくなった歩武がミコから急いで離れると、妹は苦笑するが、歩武から視線をクラスメイトに向けた瞬間、雰囲気が一変する。



「ということだから、私たち姉妹がどうしようとお前らには関係ないことだろ。私たちのことは気にせず、昼休みを楽しめ。金輪際、我ら姉妹に干渉するな」


 急に人が変わったように言葉遣いが乱暴になり、なぜか一人称が我になっていた。普段からどこか人間離れした雰囲気を醸し出している妹だが、今回はさらに度を越した人間離れした芸当を見せた。


『わかりました』


 ミコは大声を出していない。教室全員に届くほどの音量ではなかったにも関わらず、なぜか教室にいたクラスメイト全員が、まるで魔法にかかったかのように、ミコの方に身体を向けた。そして、一斉に頭を下げてミコの言葉に従うかのように、クラスメイトの声が教室にきれいに重なり合う。そんなクラスメイトの様子に、ミコは満足そうに頷く。


「よし、これにてこの問題は解決。それで、お姉ちゃん、何の話をしていたんだっけ?ああ、そうそう、家に帰らなかった理由と、お姉ちゃんが私を心配してくれていたって話だよね」


「ま、まあそうだけど、いったい」


 クラスメイトに何をしたの?


 つい、疑問が口から出そうになったが、無意識に歩武は口を押えて自分の疑問を最後まで口にすることはなかった。クラスメイトに向けていた怖いほどの無表情を自分にも向けてきたらと思うと、うかつなことを言える雰囲気ではなかった。今のところ、ミコは歩武に対して、冷たい態度を取ったり、無理に従わせたりするような強い口調を取られたことはない。



「ううん、話すと長くなるから、昼休みだけでは時間が足らないかな。でもね、これだけは言っておく。この件が終わったらまた、お姉ちゃんと一緒に暮らせるようになるから、それまでは」


 私がいなくても頑張るんだよ


歩武が疑問に思っていることに気付くことなく、ミコは話を再開させる、しかし、無情にもここで予冷のチャイムが教室に鳴り響く。ミコはこれで話は終わりとばかりに、さっさと隣の教室に戻ってしまった。取り残された歩武はしぶしぶ自分の席について、次の授業に使う教科書とノートを机に置くが、内心は授業どころではなかった。



「では、また明日、元気に会いましょう」


 帰りのHRまでずっと、歩武は授業に身が入らず、運が悪く教師に問題を解くよう言われても、すぐに反応ができずにクラスメイトから失笑されてしまう。教師は体調が悪いのかと心配してくれたが、身体面に異常はないので否定するしかなかった。



 頭が回り始めたのは放課後になってからだった。担任の挨拶が終わると同時にカバンを持って教室を出る。ミコはしばらくの間、家に帰らないことを歩武に伝えてきた。家で待っているだけでは、ミコの用事とやらが終わるまで、いつまでたっても家に帰って来ないということだ。


 それなら、自分がミコの用事とやらを確認して、一緒に用事を済ませればいいのではないか


 一人で解決困難なことでも二人いれば、すぐに解決できる問題もあるはずだ。三人寄れば文殊の知恵と言うではないか。手伝えるのは歩武一人だが、その辺は臨機応変という奴だ。


「いや、セサミやアルにも協力してもらえばいいか」


 われながら良い考えだと歩武は少しだけ気分が上昇して隣のクラスに向かって歩き出す。すでに隣のクラスも帰りのHRを終えているはずだ。歩武のクラスと同じくらいの時間に教師が帰りの挨拶をしていたのを自分のクラスで聞いていた。



「あの、ミコ。ミコの用事に私もつきあってあげるか、ら」


「遠野さんなら、午後の授業を欠席してまだ教室に戻っていないけど」


「えっ!」


 せっかく勇気を振り絞ってミコの教室に足を踏み入れたのに、不発に終わった。またミコは性懲りもなく授業を無断欠席していたらしい。ミコがいないことにショックを受けた歩武は、しばらくミコの教室の入り口付近で呆然と立ち尽くしていた。



「ねえねえ、あの人、かっっこいいね。誰の保護者だろう」


「保護者にしては若すぎでしょ。誰かの兄妹とか?学校関係者かな」


「イケメンだねえ」


 歩武ががっくりとうなだれていると、急に教室の窓側が騒がしくなる。何事かと歩武もミコの教室の窓辺に近づいて確認する。歩武たち一年生の教室からは校門付近がよく見える。そこに一人の男性が立っているのが見えた。


 遠目から見てもスラリとした長身で足が長かった。そして、頭髪は白に近い金髪だった。全身黒づくめの恰好で髪の色が目立っている。男は一年生の教室目指して歩き出した。どんどんと近づいてくる男に教室にいた女子たちが、我先にと教室を飛び出していく。おそらく、イケメンの男のことをもっと近くで見るためだろう。


 ぞくり。


 急に歩武は背筋が寒くなる。教室を見渡すが、誰も同じように寒気を感じる人間はいなかった。気味の悪い現象に、歩武は本能的に、今日はもう、さっさと帰宅した方がいいと判断する。ミコのことはあきらめることにして、歩武は家に帰ることにした。



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