6放課後
「……わかった。本当は私と一緒にずっといて欲しいけど、でもそれじゃあ、この子のためにならないってことだよね。だから」
「それがあなたの答えということね。あなたが愚かな人間ではなかったことを評価してあげる」
「あ、あの。真剣な話の途中で申し訳ないけど、もうすぐ昼休みが」
同級生の高木は、自分のペットとの別れを決断したようだ。話の内容や表情から読み取ることができた。ずっと一緒にいるという選択肢を取った人間の嬉しそうな表情ではなく、別れを決めた悲しそうな、それでも前に進むという、決意のこもったりりしい表情をしていた。
そんな会話に水を差すのはためらいがあったが、それでも午後の授業に遅れて先生に怒られたくはなかった。歩武は話を折ることを承知でミコたちに話しかける。
「ああ、もうそんな時間か。ごめんね。高木さん?だっけ。自分のペットとの別れは放課後に持ち越しだね」
「大丈夫です。午後の授業中に覚悟を決める時間ができて、むしろ好都合です」
歩武の言葉にミコも同級生も機嫌を損ねることはなく、そのままその場で解散となった。ミコはもう少し花壇に残って考えたいことがあるらしい。歩武たち二人だけが教室に向かって歩き始めた。高木は自分のことで頭がいっぱいなのか、どんどんと先に進んでしまい、あっという間に中庭から姿を消した。
同級生を追いかける気にはならなかった歩武だが、歩みを止めることはなかったので、少しずつ中庭から離れていく。その背中にミコが声をかける。
「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんの足下にいる白い物体は何かな?もしかして、今夜の夕食にでもするつもり?私はいいけど、お姉ちゃんは大丈夫なの?ウサギの肉なんて食べて」
「ええと、これは」
ミコの言葉に歩武は慌てて自分の足元を確認する。そういえば、ミコたちが話している間に見つけた白い半透明のウサギの存在をすっかり忘れていた。
「まったく、お姉ちゃんは昔からお人好しだよね。まあ、だからこそ、私がお姉ちゃんと一緒に居られるんだけど。そいつについては、あの女のことが解決次第、どうにかすることにするわ。午後の授業は邪魔だけど、我慢してくれる?」
「う、うん。それは大丈夫」
これで会話は終わったとばかりにミコはその場であごに手をついて何か違うことを考え始めていた。とりあえず、自分だけでも遅刻を避けたかった歩武は、そのまま妹のミコを中庭において、教室に向けて走り出した。ミコなら遅刻してもどうにかなるだろう。
「あれ、ウサギがいない?」
何とか昼休み終了のチャイムの前に教室に戻ることができた歩武は、急いで自分の席について、午後の授業の準備を始める。慌てていたため、教科書を床に落としてしまう。床に手を伸ばして教科書を拾おうとしてあることに気付く。
昼休みに見かけた、半透明の白いウサギが自分の足下からいつの間にかいなくなっていた。
「まったく、お姉ちゃんの同級生とかいう女のせいで、面倒なことをしなくちゃいけなくなった。お姉ちゃんと一緒じゃなかったら、こんなことしなくていいのに……。お姉ちゃんに感謝しなさいよ。後は、お姉ちゃんの足下に居たウサギについては……。ああもう、猫といい、ウサギと言い、なんでこうも私の周りは!」
先に中庭から教室に戻った歩武の同級生はもちろん、歩武も午後の授業に間に合う時間に教室にたどりつくことができた。しかし、隣のクラスのミコはとうとう、午後の授業が始まるチャイムが鳴っても、教室に姿を見せることはなかった。
○
放課後はあっという間にやってきた。同級生の高木は部活があるようだったが、ミコとの約束を守るため、部活を休むことにしたようだ。部活の顧問に休むことを伝えに、帰りのHRが終わり次第、すぐに教室を出ていった。彼女は吹奏楽部に入部することを決めたらしい。
「とりあえず、ミコのところにでも行くか」
歩武も帰りの支度をして教室を出た。GWも終わり、一年生も部活を決めて本格的に始動する時期であるが、歩武にとっては関係のない話だった。部活で青春をしたいと思ったことはないし、仲間と汗水流して頑張る気力もなかった。クラスメイトが新たに始まる部活動の話で盛り上がる中、隣の教室に足を運ぶ。
「遠野さんはまた、授業を無断で欠席しているのか」
「まったく、嫌になりますよね。まだ中学一年生なのに、こうも休まれては困りますね」
廊下を出ると、一年生の学年主任とミコのクラス担任がなにやら深刻そうに話しているのを見かけた。
「あの、遠野って、遠野ミコのことですか?」
遠野という苗字はそこそこ珍しい苗字である。自分以外に考えられるのは妹のミコである。思わず歩武は教師二人の会話に割り込んでいた。
「あら、あなたは遠野さんのお姉さんね。あのね、家でミコさんが授業を休んでいると聞いたことはない?入学して一カ月近くですでに数回、授業を無断で休んでいるの。次の日にはまたきちんと学校に来ているのだけど……」
困ったような顔で話すミコのクラス担任である若い女性教師に、歩武は苦笑いを浮かべるしかない。そんな話は初めて聞いた。家で学校でのことを話すことはあるが、授業を休んだとの報告を妹のミコから一言も聞いていなかった。
「あの、もしかして今日の午後の授業も」
「そうそう、よくわかったわね。5、6時間目も授業に出ていないの。こんなことが続くようなら、保護者の方に連絡を入れなくちゃいけないのだけど」
「わかりました。私が今日、家に帰ったら、ミコに聞いてみます。それで、無断で休むことがないように伝えておきます」
「そうしてくれると助かる。あまり、大事にしたくはないからな」
歩武たち一年生の学年主任の男性教師が、あからさまにほっとした様子で歩武の言葉に返事する。家に帰って、ミコにしっかりと言い聞かせよう。両親にいらぬ迷惑をかけたくはなかった。しかし、ここでふと、ミコがいないことの問題が浮上する。
○
「昼休みの件、どうしたら」
「お姉ちゃん!」
教師の二人は、ミコの件が何とかなりそうだとわかると、そそくさと歩武のそばを離れていった。歩武が一人になると、後ろから教師たちの悩みの種となる妹が階段付近から姿を現した。歩武が一人になった途端に現れたことについ、きつい口調で問い詰めてしまう。
「先生たちに会うのが気まずくて、さっきの会話を聞いていたけど、姿を見せなかったんだよね?私の前に姿を見せるタイミングが良すぎるんだけど」
「いったい、何の話かな?私はただ、お姉ちゃんの姿を見つけたから、すぐに駆け付けただけだよ。先生たちがどうかした?」
どうやら、ミコは先生たちに目をつけられていることを知らないふりをしてごまかすことにしたようだ。そんなミコに先ほど言われた教師二人の話を正直に伝えることにする。
「あのね、さっきミコの担任と学年主任を廊下で見かけて、それでミコが授業に出ていな」
「ああ、あのうざい教師たちのこと?どうせ、私が無断で授業を休んでいることに文句つけていたんでしょ。お姉ちゃんが気にしなくていいよ。もう、中学生になるんだし、自分の学校生活は自分で責任持つよ。それより」
せっかく歩武がミコのためを思って話しているのに、それを途中で遮ったミコは、無理やり話題を変えてくる。やはり、歩武の予想通り、ミコは教師二人と歩武の会話を聞いていた。歩武が話そうとしていた内容をしっかりと網羅していた。しかし、ここで話題を変えるわけにはいかない。このままでは両親にミコの素行不良の話が伝わってしまう。
「自分の授業の無断欠席よりも大事な話が、今の状況であると思う?昔からミコってそういうところあるよね。自分のことをないがしろにして、他のことばっかり!今度こそ、その悪い習慣を失くさないと、この先」
「別に私は学校何てどうでもいいし。この先の人生だって、お姉ちゃんさえいればどうでもいいの。それに、私が本気を出せば、先生たちをどうにか懐柔できるし、学校だって簡単に卒業できる。お姉ちゃんが願いさえすれば、嫌な奴全てをこの世から消すこともできるし」
話が変な方向に進んでしまっている。これでは、ミコの思うつぼである。最終的に口でミコに勝利したことのない歩武は焦ってしまい、結局、妹の思惑通りに話題をそらしてしまった。
「今はそんなことを言っている場合じゃないでしょ。まあ、授業の無断欠席については家でじっくりと話をしましょう。それより、放課後はどうするの?そろそろ、高木さんが部活の欠席連絡を終えて、教室に戻ってくる頃だと」
○
「ごめんねえ。部活の顧問を探すのに苦労して、結構時間かかっちゃって」
「大丈夫ですよ。私たちの話しも一段落したところですから。ねえ、お姉ちゃん」
廊下で話している途中で、放課後に歩武たちと約束していた高木が小走りで歩武たちのもとにやってきた。それにいち早く答えたのは歩武ではなく、妹のミコだった。
「う、うん。そんなところかな」
そして、なぜか急に敬語で話し始めたミコに違和感を覚えたが、そんな些細なことを考えている場合ではないと思い出す。放課後と言っても、部活が終わる時間までには帰宅する必要がある。そうでなくても、美術部でほとんど活動をしていない歩武やミコ、部活の欠席連絡を入れた同級生の高木が放課後に学校に残っているのは危険だ。先生にばれたら面倒くさいことになる。
「それで、ミコ。また昼休みのように中庭に行けばいいの?そこで高木さんのペットさんとお別れを」
「やめた」
『えっ!』
「やめたと言っている。急用ができた。本来なら、約束は守るべきだったが」
なぜか、取引を持ち掛けたミコの方から断りの言葉が口から飛び出した。放課後までに何があったのだろうか。授業を無断欠席したことと関係あるのだろうか。ミコの話は淡々と続いていく。
「とはえ、面白い奴を見つけた。そいつが私の代わりを担ってくれる。紹介しよう。私の新しくできた彼氏だ」
「彼氏じゃないけどな。安倍清春(あべきよはる)だ。お前たちの先輩に当たる二年生だ」
歩武たちの周りにはすでに誰もいないと思っていたのに、突然、ミコの後ろから歩武たちの学校の制服を身に着けた男性が現れた。いや、現れたように見えた。いつからそこにいたのだろうか。歩武は男の存在に全く気付くことができなかった。隣の高木も驚いた表情で男を見つめていた。
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