第5話 お嬢様と執事はすべての謎を解く

「さてお嬢様。

 若社長さんがどうして突然帰ってしまったのか。

 今からその理由をお話します。

 しかし、あまり気分のいい話ではありません。

 それでもお聞きになりますか?」


「ええ。聞かせてちょうだい」


 お嬢様は両手を膝の上に置いた状態でイスに座っている。

 その姿には一言一句聞き逃さないという強い意志のようなものを感じる。


「承知しました」


 私は頭を深々と下げてから話を始める。


「若社長さんがお見合いの席から突然出ていったのは、あるメッセージを受け取ったからです」


「ちょっと待って。スマホの電源は切っていたと言ったでしょう。それなのにどうやって連絡を受け取ることができるっていうの? そんなの絶対にできないわ」


「いいえ。お嬢様。電話やメール以外にも方法はあります」


「電話やメール以外の方法……それって手紙? でも、若社長さんはずっと目の前にいたのよ。そんなものをもらったり読んだりしたら気づかないわけがないわ」


「お嬢様が気づかなくても無理はありません。メッセージはプリンの中に隠されていたのですから」


「プリンの中?」


 まったく予想していなかったらしいお嬢様は大きくのけぞった。


「若社長さんが召し上がったプリンにだけ……なにか入っていたということ?」


「いいえ。お二人が食べたプリンはおそらく同じものでしょう。ただし、若社長さんにだけ伝わるメッセージがプリンの中に隠されていたのです」


 お嬢様は腕を組んで考え込む。それからゆっくりと顔を上げて聞いてくる。


「もしかして、隠し味の洋酒のこと?」


「さすがです。よくお気づきになりましたね」


「でも、お菓子に洋酒を入れるのは珍しくないでしょう。そんなのメッセージなんて言えるのかしら」


「お嬢様。いつも家で食べているものが外の食事で出されたら驚きませんか?」


「突然なあに? どういうこと?」


「例えばそうですね。ポテトサラダはいかがでしょう」


 この屋敷で作られるポテトサラダは一般的なものとは少し違う。

 つぶしたじゃがいもに薄く切られたにんじんやきゅうりといっしょにマヨネーズで混ぜ合わせるところまでは同じ。ただし、食べる時に特製ソースをかけて食べるのだ。


 お嬢様にとっては幼少の頃から慣れ親しんだ味だが、私の家ではドレッシングやソースをかけて食べないので初めて見た時は少し驚いた。


 逆にお嬢様は、大学の食堂で注文したポテトサラダにソースがかかっていないことに驚いた、とおっしゃっていた。


「特製ソースの作り方は屋敷の料理長しか知りません。しかし、もし大学の食堂で特製ソースのポテトサラダが出てきたら驚きませんか?」


「それは、そうね。ビックリすると思う。料理長がいるのかと探してしまうかも」


「若社長さんは料亭でそれと似たようなことを体験なさったのです。家でしか食べられないはずの洋酒の入ったプリンが出てきて驚いた。だからすぐ帰ってしまったのです」


「つまり若社長さんのことを知っている人が料亭にいたということね。それはいったい誰? どうしてそんなことをしたの?」


 お嬢様はイスから身を乗り出して聞いてくる。


 その瞳は好奇心に満ちたように輝いている。

 まるで親におもしろい話を聞かせてくれとせがむ子どものようだった。


 しかしこの話はおもしろくない。

 むしろ不快な気持ちになる。


 それでも私は職務を遂行する。

 それがお嬢様の命令だから。



「目的は若社長さんに自分がここにいると伝えるためです。先ほどお嬢様の言った通り、慣れ親しんだ味の料理が出てきたら作った人が近くにいると考えるのが自然です。しかし若社長さんにとっては、その人が料亭にいることが不都合だったのです。いえ、お嬢様といっしょにいるところを見られるのは不都合と言うべきでしょうか」


「私がいっしょにいたらダメってどういうこと?」


「もし泥棒が盗みを働いた後に警察官の姿を見たら逃げたくなるでしょう。若社長さんは若い女性と楽しく食事している姿を見られたくない人がいたということです」


「それって恋人? え? 誰かしら」


 お嬢様は突如わいてきた恋バナに興奮した様子だが、その意味を理解しているのだろうか。


 若社長は恋人がいながら年下の女子大生とお見合いするバカ社長だということに。


「仲居さんのだれか? それとも厨房ちゅうぼうの料理人かしら」


「お嬢様もよくご存じの方ですよ」


 お酒が好きな若社長の嗜好に合ったお菓子を作ることができる気の利いた女性。


 そこまで言わなくてもお嬢様は気づいたようだ。

 いや、気づいてしまったようだ。


 目は大きく開き、顔から血の気が引いていく。

 かすかに開いた口から、そんな、でも、といった声がもれてくる。



 お嬢様にとっては辛く悲しいことだと知りつつも私は真実を告げる。


 バーで知り合ってからお付き合いを始めたのでしょう。手作りプリンを食べさせるくらいですからそこそこ長い付き合いなのかもしれません。急用でいなかったというのは嘘です。若女将はプリンを作る必要がありますし、クッキーも用意しなければなりませんからね。おそらく料亭の関係者たちも協力していたのでしょう」

 老舗料亭なら若女将が子どもの頃から働いている人も多いだろう。中には自分の娘のように思っている人もいるかもしれない。そんな人たちが若女将を不幸にする存在を許すはずがない。


 もしお嬢様を不幸にする奴が現れたら私だって似たようなことをするだろう。


「プリン以外にもメッセージはありました。それは活け花です。一見するとウエディングドレスや白無垢しろむくを着た花嫁を連想して縁起が良さそうに見えます。でも実際は逆なんです。白いゼラニウムは、お見合いの席には合いません。なぜなら白いゼラニウムの花言葉は……」


 これ以上の真実は必要だろうか。

 辛いことや悲しいことをお嬢様には知ってもらいたくない。

 彼女にはいつまでも楽しいことやうれしいことだけ知っていてほしい。

 子どものように目を輝かせて笑っていてほしい。



 しかしお嬢様は真っすぐに私を見つめていた。

 どんな真実からも目を背けないといった風に。

 いつまでも子どものような人だと思ってはいけないのかもしれない。


「白いゼラニウムの花言葉は……『』」


 おそらく若女将は結婚も真剣に考えていた。

 けれど老舗料亭の一人娘だという事実は、隠していたのではないか。

 勢いよく成長を続けているⅠT企業の経営者に料亭の跡を継いでくれとお願いするのは難しかっただろう。彼女は思いやりがあって気配りのできる人だから。


 しかし若女将は知ってしまった。

 自分の彼氏が大企業の令嬢とお見合いすることを。


 その時の若女将の心中は想像したくない。

 彼氏に対しては憎悪や殺意、お嬢様に対しては嫉妬や敵意を向けただろうか。


 それからどんな感情の変化や葛藤があったかわからない。

 だがおそらく、悩みに悩んだ末に決断を下したのだろう。


 若女将は今日の見合いを台無しにする計画を立てた。

 若社長にだけ伝わるメッセージをプリンの中に仕込み、白いゼラニウムの活け花で別れを演出した。


 彼はプリンを食べてすぐに帰ったそうだから、活け花の存在に気づいたかどうかわからないけれど、若女将と今まで通りの関係でいられないことくらいわかるだろう。


 すべてを話し終えた私は、うつむいているお嬢様の頭を優しくなでた。


「真さん……」


 彼女はイスから立ち上がって私の胸に顔をうずめて泣き始めた。

 まったく、もう大学生だというのに。

 少しは大人になったかと思ったら、相変わらず子どものように感情のまま生きている。


「だから言ったではありませんか。気分の良い話ではないと」


 けれど私は、あなたのそういうところが――たまらなく愛おしい。

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