レシーバーズ 晶の章

風鳥水月

第一節 アフターウィンド

 夢か現か、水に溶けるような感覚。暗闇に手を伸ばす。あの風に届けたくて。けれど風はすり抜ける。掴みたいのに掴めない。どれだけ歩幅を詰めたなら、この手を届けられるだろう?どれだけ時を刻んだら、あの笑顔にまた会えるだろう?

 祈るような気持ちで、走って、走って、それからまた、手を伸ばす。やっと掴めると思った矢先、その景色は泡(あぶく)と化す。消えていく。まるで、氷が溶けるように──


 信号音が意識を肉体へ引き戻す。人工の明かりが照りつける機械的な部屋。モニターが何台も作動しており、様々な画面を映し出す。正面モニターにはリアルタイムで映される夜の街並み。側面モニターは関連情報。B区域におよそ2メートルのレシーバーズが出現、数は三体、種類も共通してクマ型、いずれも凶暴な状態。現場にはアマカゼが急行している。

 以上の映像から、仁は全てを思い出した。そうだ、自分は対レシーバーズ組織アマカゼの指揮官として現在、危険と判断されたレシーバーズを掃討する作戦に参加していたのだった。

 この7年、ミストゲイルが消えてからというもの、レシーバーズ事件は増加の一途を辿っていた。だが同時に、困難は人を強くした。かつて百獣村の戦いにて保護観察の身となった架純達から得た詳細なデータや、数々の事件による経験を基に、自衛隊の装備も充実していったのだ。おかげで解決に至った件数の割合も増加の一途を辿るようになった。

 とはいえ、『アマカゼの奇跡』──都心部で発生した大規模旋風が花園を作り出した現象──の衝撃は、大衆の喉を渇かす一方だった。風を噴き出す少女とミストゲイルを結びつけ、その少女がアマカゼの奇跡を起こしたのだと信じて疑わない人々が多数存在する。実際、かろうじて生きていた監視カメラが捉えた画像の中に、同一人物が映っていたことは否めない。

 レシーバーズの死体の上に立っていた旋風の少女、奇跡を起こした少女、そうした『幻想』が人々を英雄思想へ駆り立てた。つまり、レシーバーズで構成された組織を求めたのである。こうして紆余曲折すること7年、出来上がったのが対レシーバーズ組織、通称アマカゼ、というわけだ。

 仁に指揮官のオファーが来たのは、ひとえにミストゲイルをはじめとする数体のレシーバーズとの接点が政府によって確認されているからだ。慣れているから、と表現した方が早いだろう。ともあれ、仁が今どのような場に立っているのか、なぜ立っているのか、それはこうした事情によるのである。

「指揮官。視認可能範囲まで到達。目標、三体ともいます」

 額から角を生やし、全身に小型のアンテナを張り巡らせる藍色の男。『マージナルセンス』こと叶野(かのう)リッキー──『ミストゲイル』とは異なり、こちらは登録名として公式に名付けられたものである。なお、名付け親は本人──が、繁華街の中華料理店屋上に立つ三つの影を、遠方120メートルから視認した。二本の角が空気の流れから相手の動きを捉え、鼻がヘモグロビンを伴う鉄の臭いを嗅ぎつける。

「指揮官、オレ達、どうすればいいんです?」

 小声で伺いを立てる。仁はいつものように返した。

「これから言うよ」

 リッキーは優秀な人物だが、こういう所が玉に瑕である。

「マッスルが唸るぜ、ダンナ!ブッ飛ばしていいか?ゴーカイに!」

 宵闇の静けさに浮く、砲身の腕を持つ黒い男。『アイアンバスター』こと甲斐剛(かい たけし)はマージナルセンスの背後につき、大砲を構える。

「お前が警察のお世話になりたいならな」

 仁が釘を刺すと、アイアンバスターは気まずそうに砲身を引っ込めた。そんな彼を小突く黄色い影一つ。

「バカだねぇータケさん」

「オメーに言われたかねぇよ!」

 アイアンバスターが反論する先に、指揮棒に似た長物を手の甲から生やす少女がいた。『シャッフルタクト』こと駒沢乙(こまざわ おと)。アマカゼにおける最年少レシーバーズである。

 シャッフルタクトは伸びをしてから、スカートを揺らして語り出す。

「仁さーん、こんな時は『あれ』聴きたくならなーい?それでは参りましょー。ベートーベンのピアノソナタ、月光ー」

「参らねぇしお前はそこの配置じゃねぇだろ。早く戻れ」

「はーい」

 間延びした返事をして、シャッフルタクトは指揮棒を振る。刹那、その場からシャッフルタクトは消え、代わりに古いポストが置かれた。先刻までポストのあった場所から、シャッフルタクトが仁に通信をする。

「あいつら、全然気づいてない。多分動物変異型じゃないよ」

 数年の調査でいくつかわかったことがある。レシーバーズにも、大きく分けて二つの種類がある。一つは動物がレシーバーズとなった事例、動物変異型。特徴として、動物の本来持つ身体機能が極度に発達し、人間並の知能を発揮する点が挙げられる。もう一つは人間がレシーバーズとなった事例、人間変異型。こちらは身体機能発達より、超常的な能力を得る傾向にある。

 人間の何倍も鋭い五感を持つ動物が基礎にあるなら、100数メートル程度の距離に勘づかない方がおかしい。人間変異型で同等以上のことができるのは、少なくともこの7年、マージナルセンスの他に類を見ない。

 しめた。仁は思った。動物変異型はその性質から、接近して戦うのが困難な種である。しかし、人間変異型は余程でもなければ不意打ちが通じる程度の身体能力──当然ながらレシーバーズ基準──しか持たない。それに、三体揃って動いているのだ、作戦か何かを立てている可能性が高い。

「なら、計画の足場を崩してやろう」

 つまり、こちらから『闇討ち』してしまえば、一方的に勝負を決められる。

「オペレーション、開始だ!」

 仁が宣言してから事件解決まで、そう時間はかからなかった。まず、マージナルセンスの指示通りに気配を悟られないよう移動したシャッフルタクトが、三体のレシーバーズとアイアンバスターの砲口の前に置いたカラーコーンとの配置を入れ替える。それからアイアンバスターが鉄球を撃って、三つの巨体は気絶。そしてマージナルセンスがコア抑制機能付きの手錠を装着させて終結。案の定、相手は不意打ちに対処できず脆く崩れた形となった。

 三体のクマ型レシーバーズを、凶悪レシーバーズ用に建てられた特殊刑務所へ収容した後、三人のアマカゼ隊員は本部へ帰投した。司令室で仁が迎える。

「お疲れ、皆。今回もよく頑張ってくれた」

「ありがとうございます。怖かったですけど」

 リッキーが胸に手を当てて震える。

「にしてもマジ狭いなここ!何とかなんねぇかな!」

 剛はモニター付近の壁に手をつけて文句を垂れる。

「我慢してくれ。俺だって息苦しい」

 元々そこまで小さな部屋ではなかったのだが、必要な機材を運び込み設置した結果、司令室がほとんど個室と化してしまったのだ。かといって、アマカゼ自体機密の塊みたいなものなので、他の部屋で集合する訳にもいかない。

「まー、わたし小さいから関係ないですけどねー」

 剛の肩より下から、乙が表情一つ変えずに自虐する。仁は苦笑するしかなかった。

 実際、乙は13歳にしては幼すぎる部類の肉体をしている。正直なところ、最初にアマカゼの一員に加える話を聞かされた時は彼女で大丈夫かと疑念を抱いた。百獣村で見た巨大なレシーバーズのような相手と戦えるのか不安だった。

 しかし、自身を中心に100平方メートルと範囲が限定的ではある分、配置転換の能力は凄まじい威力を誇った。この力のおかげで解決できた事件も少なくない。今ではすっかり頼れるアマカゼの一員だ。

「ところでなんですけど」

 そんなことを考えていた仁に、リッキーが話を切り出す。

「あいつら、オレ達のことをランク1以上がどうこうって言っていたんですけど、あれってどんな意味なんですかね?指揮官、心当たりあります?」

 仁は唸った。

「…懐かしい響きだな」

 架純はレシーバーズの強さを表すものじゃないかと踏んでいたが、零から聞いた話によると、どうやら単なる強さで決められるものではないらしい。ゾアへの覚醒がどれだけ近いか、つまり単に強ければいいというものではなく、そこに明確な基準がある指標なのだと言う。

 いずれにせよ、それはオーダー──海央日向(かおう ひなた)がかつて使用していた言葉である。普通に考えれば、彼女のシンパのようなものが活動していると見るべきだろう。

「オーダー関係の情報を洗い出せば、そいつらから色々聞けるはずだ。リッキー、調べてくれるか?」

「わかりました」

 リッキーが外に出るのと同時に、剛が言った。

「オーダーかぁ。久しぶりに聞いたぜ」

 その言葉に乙も頷く。仁は薄く笑いながら、機材の詰め込まれた狭い司令室の中で、時の流れを感じずにはいられなかった。


 翌日、仁はアマカゼ記念公園に足を運んでいた。廃墟の上に咲き誇る花園を見るために、わざわざ生まれて初めての有休を消化した。

 花園を囲む柵にもたれ、風に揺れる花を眺める。それから『聖地巡礼』に訪れた人々や、彼らの住む街で流行っている娯楽作品のことを考えた。悪い敵をカッコよく倒すヒーロー、ミストゲイル。彼女が去り際に残した花園という平和の象徴。

 きっと彼らにとって、この公園は自分達の享受する空想の延長線の産物なのだろう。悪いとは言わない。しかし、既に忘れられかけている、百獣村の戦いの後のバッシング含め、実際に様々な物事を見てきた仁には少し、簡単に解釈しすぎるように思えた。

「架純…」

 無限樹の生える空間で、何年も独りで世界を支え続ける少女に想いを馳せ、仁は呟いた。柵に寄りかかった両腕に、顔をうずめる。会いたい、なんて、少しセンチメンタルだろうか。あんな啖呵切っておいて。

「293年か…」

 架純に会うまでのタイムリミットを口にする。改めて、途方もない数だ。冷凍睡眠の理論が確立され、実用段階にまで取りつけられたのはいい。ただ、それでも293年は長すぎるらしい。現時点の技術力では、寝ている間に細胞が壊死しかねない。早急に対処せねば。そのための時間はあまり無い。

 寝るには長すぎるのに、起きて何かするには短すぎるのか。皮肉なものだ。仁は力無く笑った。しかし、心の内で燃える炎は、態度とは裏腹に勢いを増した。

「尚更、ちゃんと会いに行かないとな」

 架純の笑顔をまた見られるように。買うだけ買って、家に飾ったままの『プレゼント』を届けられるように。

 そんなことを考えていた仁の耳を、唐突に悲鳴が通り抜けた。声の先に身体を向かせる。アマカゼ記念公園近くの林中からだ。すかさず、声の主のもとに駆けつける。架純と同い年くらいの少女が倒れ、彼女を食おうとするヘビ型のレシーバーズが牙を剥いていた。

「やめろ!」

 仁は咄嗟にヘビ型のレシーバーズに飛びついた。位置情報はアマカゼの面々で共有できるようにしてある。異変があれば、すぐに気づいてくれる。ならば今すべきことは、少女が逃げられる隙を作ることだ。

「逃げろ、早く!」

 だが、少女は逃げない。それどころか、おもむろに立ち上がりつつ歯軋りをする。まるで、獣が威嚇をするように。

「何やってんだ!早く逃げろって!」

 叫ぶ仁はふと気づく。そういえばこの少女、何故か傷が一つも無い。ヘビ型レシーバーズは全長およそ10m。これだけ大きければ、何かしらの外傷を負っているのが普通だろう。それ以前に、なぜ今の今までこんなに目立つレシーバーズに誰も気づかなかったのだろうか。

 次の瞬間、全ての疑問が払拭された。少女は姿を変貌させると、ヘビ型レシーバーズの喉に含まれていた水分を凝縮し、窒息させた。そうか、このレシーバーズはずっと抱えていたのか。大量の水分を、喉の中で。声も出せないほどに。

 その少女の姿は青く、海水を集めて作り出した水晶のように煌めいていた。故に、所業の残酷さが引き立つ。

 直後、少女は元の姿に戻り、倒れ込んだ。

「大丈夫か!?」

 仁が抱きかかえる。目を開けた少女は仁を見て、尋ねた。

「聞きたいことがあります」

「何だ?」

「私って、誰ですか?」

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