第8話 着ぐるみ
「だれか、違う人の人生を歩いてる気がするんだよ」
暗い寝室でミキちゃんを抱きしめながら、僕は言った。
「わかるよ」
「本当に?」
「うん。私もそう、とかいうんじゃないけどね。でも、タクやんはそうだよね。『ゆるしてください』ていつも思ってる気がする。生きるのに許可なんていらないのに」
「うん、そうかもしれない」
僕はミキちゃんの髪の毛に指を通す。やっぱり、ミキちゃんは僕の女神さまだ。どうか、僕のそばにいてください。ゆるしてください。どうしても、そう願ってしまう。
「僕は、なんにでも正しいやり方があると、思い込んでるんだよ。間違えないように、すごく気をつけて毎日過ごしてるうちに、『本田拓也』だけ一人でに生きていけるようになったっていうかさ。『本田拓也』は、そこそこ役に立つし、人に迷惑かけるようなことしないから、いてもいいと思うんだ。でも、僕は」
でも、僕は。いてもいい人間なんだろうか。「本田拓也」の着ぐるみを着ている僕は。
「本当の自分」は、特別な能力を持っていると信じていて、「本当の自分」を見つけたらなんでも解決すると思っている人たちはたくさんいる。そういう本もたくさん売ってある。僕だって、ずっとそう思っていた。もしかしたら、ヒーローになれるかもしれないって。でも、どんなにがんばっても、僕は僕でしかなかった。というか、「本当の自分」とやらを見つけたりするのも、ちゃんと正しいやり方があるんだと、どこかで信じているような、かわいそうな人種なのだ。
ミキちゃんが「タクやんみたいな人」を好きになれないのは、「タクやんみたいな人」は虚像だからだ。僕は、毎日みんなに嘘をついている。ミキちゃんは、そのことを知っててゆるしてくれる。でも結局、旦那さんを選んだ。僕と違って、着ぐるみを着ていない人を。
「ねえ、タクやんは、タクやんだよ」と、ミキちゃんは少し哀れみのこもった声で言った。
「自分の体とか、周りの人のことを大事にしてきたんでしょ。それに罪悪感覚えることないよ。本当の自分は、ずるくて汚くてつまんないやつだとか思ってるんだったらさ、みんなそうだから。タクやんだけ特別じゃないの。いいんだよそれで」
「僕は家族にちゃんと愛されて育ったし、トラウマがあるとかじゃないんだよ。まあ、トラウマなんて、小さいことなら、いろいろあるのかもしれないけど」
僕がそう言うと、ミキちゃんはふふっと笑った。
「トラウマかストレスって言っとけば、大抵のことは説明がつくもんね」
「そうだね」
「ねえタクやん。私はさ、タクやんみたいにコントロールできないだけだよ。タバコもやめられないし。間違ったことたくさんしちゃう。わかってるんだよ、夫のところに戻ってもロクなことないって」
「だったらなんで」
「トラウマ」
「え?」
そこで、ミキちゃんはぶっと吹き出した。
「ごめん、冗談。トラウマとかなんだとか、よくわかんない。理由なんてないよ。私、どうしても自分の好きにしかできないの。ごめんね」
僕は、ミキちゃんに、これ以上どう言っていいかわからなくて、僕の寝室にはそっと沈黙が訪れた。
(つづく)
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