不穏な空気で最後を締めたけれど、この作品でシリアスはたまにしかやりません。

 残業といっても、ホワイト企業であることを掲げている以上あまり遅くまで仕事は出来ない。どうにかこうにか社内PCの電源が強制シャットダウンされる十時前には終わらせたが、かなり大変だった。


「お疲れ様。大変だったな。ほんとは手伝ってやりたがったが…。」

「花寺…。まぁ下手に俺の方を持つと部長に目を付けられるからな。いつものことだから気にするなよ。」


 別な仕事をしていたらしい花寺がコーヒーを持ってやってきた。二本あるうちの一本を俺に差し出すと、隣に座って缶を開けた。

 本当は少しでも早く帰りたかったが、彼女の厚意を無下にするわけにもいかないだろう。


「食事でも行かないか?さすがに腹が減ったろう。」

「あー。どうしようかな…。少し聞いてみる。」


 スマホのメッセージアプリを起動して悠に夕食があるかを聞いてみる。寝ているかとも思ったが、すぐに返信が来た。俺が帰ってくるのを待っていたらしい。


『冷めちゃってますけど、唐揚げですよ。早く帰ってきてくださいね。』


 泣いた猫のスタンプが続けざまに送られてきて、思わずもだえる。


 家で誰かが待ってくれているという喜びをかみしめていると、興味を示した花寺がスマホを覗こうとした。反射的に隠してしまうと、驚いたような顔をする。


「悪い。そんなに見られたくなかったか…?」

「ああ、いや。ちょっとびっくりしただけだ。アレだ、例の預かってる子供とちょっとな…。」

「そういえばそうだったな。……って、料理が作れるのか?子供にしては利口だな。」


 面倒なことになりそうで悠の性別と年齢については離さなかったのを思い出す。

 また適当にごまかしてしまおうかとも思ったが、一緒にゲームをやるほどの仲である花寺に隠し事をするのは、なんとなく誠実ではない気がして話してみることにした。


 一番の理由は、社内に事情を知っている人間がいれば、悠に何かあったときに、俺がすぐに帰れるだろうという打算的で合理性を重視した理由だが。


「ってことは、お前今JKと同棲してるのか!?いろいろと大丈夫なのか…?」

「おい、俺だって常識のある大人だぞ。アニメやフィクションじゃあるまいし…。」

「ハハハ、冗談だ。11個も下の子供に手を出したら、ロリコンだもんな。」


 手を出す、という生々しい表現に思わず心臓がはねる。

 特別何かをしたというわけではないが、悠に膝枕をしてもらったという事実はある。ちょっとした事故で命の危機があったとはいえ、気持ちいい時間であったことに変わりはない。


「花寺、食事はまた今度だな。」

「え、ああ、そうか…。じゃあな。」


 美味しそうな唐揚げの写真と、悠の催促メッセージを見て帰宅を決意する。今日は疲れたから、あの娘と話をしたい気分だった。


 疲れ切ったサラリーマンだらけの電車に揺られて、小走りで家に帰る。鍵を開けるとダイニングのソファでドラマを見ている悠の姿があった。

 寝る寸前だったようで、紺色のパジャマを着込んでいる。


「おかえりなさい。ご飯温めますね。」

「ああ、自分でやるからいい。それより、愚痴を聞いてほしいから、座ってくれ。」

「フフ。はい、いいですよ。」


 甘辛く味付けされた唐揚げと冷やした炭酸水をもってテーブルに着く。

「いただきます」と一言告げて、口に運ぶと思わず息が漏れた。温め直しているのに肉が硬くなっておらず、ジューシーさがそのままだ。感動して悠の方を見上げると、嬉しそうに微笑んでいる。


「そ、そういえば、今日は大変だったよ。」

「また、例のボンボン息子ですか?」

「それもあるが、あのクソ上司だよ。ボンボンの仕事を俺に投げてきて、しかも期限は明日だぞ。あり得ない。そういうのに限って時間のかかる仕事なんだよな。」


 唐揚げとキャベツを一緒に頬張りながら、炭酸水で流し込む。旨い旨いと呟きながら食事を勧めていると、不意に悠が手を伸ばしてくる。


「お仕事、お疲れ様です。」


 頭を撫でられていた。優しい手つきが髪をくすぐり、頬の方まで擦られる。むず痒さと恥ずかしさに溢れるが、能面の面影もないような微笑みを浮かべる悠の顔を見ると、その手を振りほどくことは出来なかった。


「悠…。」

「あ、すみません。食べるのに邪魔でしたか?」

「いや、別に邪魔ではないけど」


 食べ終えるまで続けられて、すっかり髪が整ってしまった。

 洗い物をしようと袖を捲ると、「私がやっておきますから、早くお風呂に入ってください。」と言われて邪険にされてしまう。だが、彼女は寝ようとしていたのだ。それを邪魔したのだから、これ以上彼女の睡眠時間を削るわけにはいかない。


「いいから、俺がやるよ。一応悠が来る前は自分でやっていたんだから。」

「でも、早くしないと膝枕する時間なくなっちゃいますよ?」


 自然という彼女に驚いて目を丸くすると、片手で髪をかき上げ、目線だけをこちらに向けて「早く、ね?」と色っぽくつぶやく。


 風呂に入る前からのぼせるような感覚にどぎまぎしながら脱衣所に向かう。

 若干いつもより早く風呂を上がったような気がするが、決して意図したものではない。誓って本当である。……その分髪を乾かす時間は長かったかもしれない。


「じゃ、寝室いきましょうか。」

「あ、ああ。」


 戸惑う俺に対して、悠は全く動じた様子がない。

 躊躇いなくベッドに座り込むと、昨日とは違ってそのまま壁によりかかって、ベッドの上に足を投げ出すような体勢になった。


「これなら、量さんの頭を押しつぶさなくて済みますよね。」

「確かにな。でも、それだと眠りにくいだろう。10分ぐらい休んだら、俺の部屋に戻るよ。」


 開き直って遠慮せず彼女の膝へと頭を乗せる。

 下から見る彼女の胸はまたすさまじく、端正な顔立ちのほとんどが隠れてしまっている。ゆっくりと目を逸らしていくと、先ほどのように頭を撫で始めた。


「……胸の見過ぎで叩かれるのかと思った。」

「アハハ。叩きませんよ。あんまりじろじろ見るのはダメですけど、たまにならいいですよ。あ、他の娘はダメですからね。」


 あっけらかんとした様子で笑う彼女を見ると、出会ったばかりの無表情とは別人のように思える。たかが二週間程度の同居でどうしてここまで彼女は砕けたのだろうか。

 疲れと心地よさで眠気がパレードを開き始めたせいで思考がまとまらない。そもそも彼女を救いたいというエゴで引き取りを承諾したが、最初に俺のところに来たいと言ったのは悠のはずだ。


 年齢的には高校生の悠なら、アルバイトなどで一人で暮らすこともできるはずだ。事実、今もバイト先を探している途中であるため労働意欲はあるだろう。


 金銭的安定を取ったにしては、男の一人暮らしに転がり込むのはリスクが大きすぎる。


「悠は…どうして俺のところに来たんだ……?」

「さぁ、なんででしょうね。まだ、内緒です……。」


 妖艶に微笑む彼女の手が目に覆いかぶさり視界が途切れる。まるで何かの魔法のように、俺の意識を摘み取った。


……to be continued

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