第110話 精霊術士とビーストベアー

 集中していく瘴気。


 それが形作ったのは、家ほどもある巨大なクマの化け物だった。


 その名は、フォールン・ビーストベアー。


 分厚い毛皮に覆われた太い腕には、普通のクマの数倍もありそうな、黒光りする鋭い爪が生えている。


 獰猛そうな目がギラリと光ったかと思うと、次の瞬間、奴は大気を震わすような咆哮を上げた。




「どうやら、奴さん。やる気満々みたいだな」


「早々に片付ける!」


「うん、僕も、全力でサポートを……」




 その時、僕は気づいた。




「あれ……?」




 ボスとの間。いや、前に立つ、暁の翼ウィングオブドーンと蒼鷹の爪ファルコンズクロウとの間に、何か、透明な壁のようなものが存在することに。




「ノエル、これって……!?」




 極光の歌姫ディヴァインディーヴァの仲間達が異変に気付いたその時、ビーストベアーはすでにこちらへの攻撃態勢に入っていた。


 2パーティーの前衛組が、一斉に迎撃へと移る。


 バフをかけようと、精霊語を呟くが、アリエルは、透明の壁に阻まれるかのように、一向にリオン達の方に移動することができない。




「や、やっぱり……!!」


「ノエルさん!!」




 呪術で、サポートをしながら、カングゥさんが、僕らの方へと後ずさる。




「カングゥさん、僕らだけ、何か透明な壁のようなもので閉じ込められているみたいで……!!」


「透明な壁……なるほど、そういうことですか」




 カングゥさんは、1人、納得したように、目を細めた。




「極光の歌姫の皆さん、それで、構いません。今、皆さんがいるのは、おそらく安全領域です。皆さんも攻撃はできませんが、ボスの攻撃を受けることもありません」


「どういう……ことですか?」


「これも"女神からの試し"の一環なのでしょう。女神にとって、あなた達のパーティーはいわば、メインパーティー。前座は、我々だけで始末しろ、ということです」


「そ、そんな……」




 つまり、このボス……いや、あるいは、この2パーティーが力尽きるまで、僕達は、この領域から出ることができない、ということか。




「むしろ好都合ですよ。あなた達の体力を温存したまま、さらに上層のボスに挑むことができる」


「で、でも、みんなだけじゃ……!!」


「おや、我々を信用していないのですか?」




 カングゥさんが、こんな時でも、唇の端を釣り上げた。




「きっとあの2人も、アピールタイムだと思っていますよ。ちょっとは、彼らの心意気ってやつも汲んでやって下さい」


「で、でも……」




 戦況を見守る。


 リオンもグランも相当の腕前の勇者だが、対するビーストベアーも、圧倒的なパワーで前衛陣を薙ぎ払っている。


 さすがに、聖塔の上層を守るボスの力は並じゃない。


 剣は阻まれ、拳も弾かれ、魔法も大きな効果は上げられていない。


 せめて、僕のバフがかけられれば……。


 歯噛みする思いで、ギュッと握りしめた拳を誰かがそっと解いた。




「チェル……」


「戦えなくても、できることはあるでしょう?」




 アイドルスマイルを浮かべるチェルに、僕はハッとなって、頷いた。


戦闘に加わることはできない。


 サポートすらも届かない。


 それでも、届けられるものは、ある。


 チェルが、口を開いた。


 紡がれたのは、歌。


 僕らの、極光の歌姫の歌。


 心にバフをかけようと、僕らは、鼓舞する気持ちを歌へと乗せた。




「へへっ!! なんだ!! ご機嫌なサウンドじゃねぇか!!」


「ああ!! 力が湧いてくるようだ!!」


「絶好調なりぃ~!!」




 僕らの歌を聴いたみんなの動きが、わずかばかりだが、良くなった。


 実際のバフ効果があるだけじゃない。


 でも、僕らの歌を聴いて、彼らは力を感じてくれた。


 全力で戦う彼らのために、極光の歌姫は、そのアイドルとしての力を存分に振るった。




「呪力全開で行きますよ!!」




 カングゥさんが、デバフにありったけの呪力を込める。


 瞬間、大幅に防御力の下がったビーストベアー。


 ここしかないというタイミングで、リオンの、グランの、クーリエさんの攻撃が次々と急所へと突き刺さった。




「ガ、ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」




 このまま恐慌状態になるかと思った刹那、メグとスプリによる爆発魔法がビーストベアーの身体を大きく打ち上げた。


 デバフにより魔法耐性も下げられていた奴は、巨体を地面に横たえると、そのまま立ち上がることはなく、光の粒子になって散っていった。




「やった……! 凄いよ、みんな!!」




 見事な連携で、ビーストベアーを倒した暁の翼と蒼鷹の爪に、僕は称賛の拍手を送る。


 すると、彼らは、こちらに向かって、グッと親指を立てて笑った。


 だけど、その瞬間だった。




「な、何だ……!?」




 僕らがいるフロア全体が、そのまま塔の上部へとせり上がっていく。


 螺旋状に回転しながら、ゆっくりと、だ。


 しばらく動き続けた床は、やがて、ゴーンという音と共に止まった。




「これは、フロア自体が上層に移動したようですね」


「つまり、ここはもう52層……?」




 確認すらする間もなく、強い瘴気がフロアの中心に集まるのを感じた。


 さっきと同じだ。また、新たなボスが誕生しようとしている。




「ほ、本気で、連戦……なの……?」




 メグが、若干気圧されたように、後ずさる。


 休む間もなくボスが現れる。しかも、もしかしたら、今後もずっと……。




「警戒しろ! どんなボスが現れても、対応できるように構えろ!!」




 リオンが叫ぶ。


 だが、瘴気が集まれど、一向にボスの姿は顕現しない。


 誰もが、どういうことだ……と、一瞬の油断を見せたその時だった。


 ………グサリ!!




「…………えっ……?」




 蒼鷹の爪の回復術師──ハピレスさんの腹から、大量の血が噴き出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る