第四出動 月花の心の扉を壊せ! ①

 月花の朝は早い。

 普段なら目覚ましのアラームよりも早く目を覚まし、きびきびと支度に取りかかる。

 仕事が多忙な母親に代わって自分が炊事すいじをはじめとした家事全般を担っている。

 しかし、この日はなかなかベッドから出られずにいた。

(朝――学院に行く準備をしないと)

 頭では分かっているが、身体が全く動かない。金縛りにでもあっているようだ。

(学院、行きたくないな――お母さんはまだ寝てるよね)

 母親の部屋の戸を静かに開けると、母親がベッドで眠っていた。

(私が学院休んでも何も言わないし、いっか……)

 月花はこれまでも嫌なことがあった翌日に学院を休んだ経験が何回かある。

 しかし母親はそのことに対して言及してきたことはない。今回も気にも留めないだろう。

 月花は重い溜息を吐くと再度布団を被る。

 ふて寝を試みるも、脳裏に浮かぶのは昨日の出来事。


『時雨さんの想いには、応えられない』


 玉砕ぎょくさい覚悟でのぞんだ大舞台のはずだった。

 ワーストレンジャーの面々にお膳立てをしてもらって、背中を押してもらって。

 失敗だって想定していたのに。

 胸がちくちくと痛む。苦しい。穴でも開いてしまったのだろうか。

(失恋って、とっても辛いなぁ……)

 初恋だったので、これまでに経験したことのない痛みだ。

 さすっても治まる気配はない。

(みんなにフラれたことを報告しないと)

 NINEを立ち上げて、ワーストレンジャーのグループホーム画面を開く。

 トークルームを開く前にメンバーのアイコンを眺める。

 その中のダンベルのアイコンに目が留まる。銀次のアカウントだ。

(橋本君……)

 私、ダメだったよ。けど、想いは伝えられたから後悔はしてないよ。

 吹っ切れるのにも時間はかからなそう。

(なのに……)

 とてつもない虚無感が襲ってくる。

 三年間片想いしていた初恋に終止符が打たれ、新たに歩き直さないといけないのに。

(私、新しいことに挑戦するのが、怖いの――?)

 さすがに告白をする機会は当面やってこないにしろ、もう失敗して傷つきたくない、傷つくくらいなら部屋で引きこもっていたいと逃げの考えに思い至ってしまう自分がいる。

 心に黒いもやもやが絡みつくと、もう簡単にはほどけない。

 今の時代はNINEのようなチャットツールがあって便利だなと思いつつ、月花は告白に失敗した旨と学院を休む旨のメッセージをグループに送信して、二度寝を決め込んだ。


    ●●●


(あー、だりぃなぁ)

 その頃銀次はというと。

(時雨、学院休むのか。どう考えてもフラれたのが原因だよな)

 腑抜けた表情でダイニングテーブルの椅子に腰かけていた。

(やっぱり俺みてぇな奴はいねぇ方が、クラスも、時雨たちも平穏な学院生活が送れるんじゃねぇのか……?)

「銀ちゃん、どうかしたの?」

 間の抜けた表情の銀次を見て、ご飯を口に入れようとしていた雪奈が小首を傾げる。

「なんでもねぇ」

「ならいいけど……」

 母親が作ってくれた朝食も喉を通らず、力の抜けた顔で登校の準備を進める。

 自分ではどうにもならなかったのは承知している。自身の判断は間違ってはいなかったとも自負している。あれがベターだったのだ。ベストな選択肢なんてなかった。

(クラス一の嫌われ者の俺が、他人の事情に深入りしすぎたかもな)

 しかし負の感情は銀次の思考を否応いやおうなしに蝕んでくる。月花にネガティブに考えるなと言っておきながら、自分こそがネガティブ状態に陥ってしまっている。

(また学院に行く気が失せてきたなぁ)

 北道の後押しや月花と大平の件もあって、ここ最近は朝から登校していた銀次だったが、昨日の影響で登校意欲がそがれてしまった。

 普段通り制服に着替えて家を出てはみたものの、学院への通学路で足踏みしてしまい、結局学院に背を向けてしまったのであった。

 少しずつ積み重ねてきたものも、崩れ落ちるのは一瞬だ。


    ●●●


 クリフィア学院は昼休み。

「これは忌々ゆゆしき事態だぞ、真紀!」

「だな……銀ちゃんと月花が二人揃って学院に来なくなってしまうとは」

「代わりに優はいるんだけどなー」

「ここは僕の席だから当然だ」

 真紀と鉄平は優の自席に集合していた。

「銀ちゃんの土下座が見れなくて残念だね」

「奴がいても見られないだろう」

 さすがの優も銀次の土下座は実現しないと学んだようだ。

 月花の告白から既に二日が経過したが、銀次も月花も登校してこない。

 鉄平がグループにて安否を確認したところ、月花からは「頭を冷やしたらちゃんと登校するから」と返信があったが、銀次は既読無視だ。

「時雨さんはともかく、なぜ銀ちゃんまで来なくなったんだ?」

「いつものダルいダルい病でしょ。時雨の告白が失敗に終わって、奴も登校するモチベーションを失ったんだろう」

 優はいつもの調子で銀次を小馬鹿にするが、他の二人にはそんな理由で銀次が二日続けて学院を休むとは思えなかった。

 銀次はこれまでだって遅刻や欠席こそあったものの、数日連続で休むことはなかったのだ。

「昨日の件が発端ほったんかもしれんが、根本原因はそれ自体ではないと思うぞ」

「オレも右に同じく! 銀ちゃんにも色々悩みがあって、それが悪化しちゃったのかも」

 二人互いに頷き合うと、

「時雨さんも心配だけど、まずは銀ちゃんを再起させないと!」

 鉄平はガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。

「というわけで銀ちゃんを探すミッションだ! 二人とも、付き合ってくれるよな?」

「当然だ! わたしの魔法でズバズバっと解決よ!」

「寝言は寝て言えや」

 鉄平は両手を前に出して息巻く真紀に冷たい視線を送った。

「まさか今から学院を出るのか? 午後の授業もあるし、僕は見送るよ」

「優も来てくれるとな! いやぁ、さすが秀才は人間性もできてるなぁ」

 鉄平は優の肩を強めに掴んで歪んだ笑みを漏らす。

「優ほど成績優秀なら、多少サボタージュを決め込んでも余裕のよっちゃんだもんな!」

「む――仕方ないな……」

 鉄平に捕まった優は観念して眼鏡のずれを直して嘆息たんそくした。


「しかし橋本の家を探すったって、情報が少なすぎるでしょ」

 銀次が住む町に到着した途端に優がげんなりとする。

「前に銀ちゃんから住所聞いた時に町名は覚えたんだけど、数字は暗記できなくてさぁ」

 鉄平は後頭部を掻いて乾き笑いをする。彼が知り得る銀次の住所は町名までで、番地は分からなかった。というか覚えていなかった。

「NINEで文字として送ってもらえばログから追えただろうに」

 優は腕を組んで嘆息たんそくした。口約束などもそうだが、口頭で話した内容を完璧に覚えるのは至難の業だ。ましてや、住所をはじめとした長い文字、数字が混在した内容はより覚えにくい。

「範囲は広いけど、橋本って表札の大きめの一軒家を探せばいずれは見つかるさ!」

「いずれはって……はぁ、手当たり次第に探すしかないか。他に方法もないし」

 ワーストレンジャーの同士とはいえ、各々の家に遊びに行くほど親密な間柄ではない。そんな人物の家探しともなると、足を使って探すしか手立てはない。

「銀ちゃんがNINEに返信してくれればなー」

 真紀がぽつりと呟いた。NINEで住所が聞ければ教えてくれる可能性に賭ける選択肢もあったのだが、既読無視を決め込まれている以上は難しい。

 三人は別行動で町を歩き回ることにした。


「見つからんな」

「当然でしょ。番地が分からない以上、範囲は膨大だ」

 真紀と優が落ち合って、お互いに収穫がなかったことを報告した。

 三手に分かれて町中を探すも、銀次の家は見つけられていない。

 数ヶ所橋本の表札がかかった家を見つけるも、別の橋本姓で銀次を捕えることは叶わなかった。

「それに、この辺りは住宅が密集していて三人ではとても探しきれない」

「わたしがワープの魔法を使えれば――不甲斐なくてすまんな」

「それは元より期待してはいないんだが……」

 下唇を噛んで悔しがる真紀に、謝罪を受けた優はたいそう戸惑っている。

「おーい! 二人ともーっ!」

 息を切らして慌てた様子の鉄平が戻ってきた。

「どうした鉄平? もしや見つかったのか!?」

 鉄平は二人のところまでやってきて、息を整えてからニカッと笑った。

「ダーメだわー! 見つからなかった上に、危うく偽橋本さんに通報されるところだった!」

「収穫なしかよ紛らわしい野郎だなー!」

 鉄平のフェイントにイラっときた真紀は彼の膝裏を軽くキックした。

「君は別の橋本さんに何をしでかしたんだ……」

「玄関ドアが開いたらカレーライスのいい匂いがしたから、『お姉さんのアレ、ぱくりと食べさせてください。乱暴にはしません』ってお願いしただけだぞ」

「ピンポンダッシュよりもタチが悪い嫌がらせだな」

 鉄平の伝え方が悪く、悪魔の要求と誤解したであろうお姉さんがトラウマを抱えていないことを祈る優であった。

「しかし、このままでは平行線だぞ」

 たっぷりと時間をかければいつかは見つかる可能性はある。

 だが三人には学院の授業がある。半日抜け出しただけでもそこそこ痛手なのに、それを数日もというのは現実的ではない。

「かといって闇雲に探しても、見逃す危険性も出てくるし……」

「優! 今こそお前の脳力を発揮する時だ!」

「無茶言うな。町名以外ノーヒントでどうしろと? 警察や学院だって、他人の住所をおいそれとは教えないよ」

「先生に自宅に電話してもらう手もあったか?」

「ご両親が留守で家に奴しかいなかった場合、確実に居留守を使われる」

 真紀の案を優が一蹴いっしゅうする。

「なら直接インターホンを鳴らしても居留守を使われるんじゃないかー?」

「銀ちゃんだって家まで出向いたオレらを無碍むげにはできないさ」

「その家までが遠いんだがな」

 三人で市街の中心地で途方に暮れていると――


「クリフィアの生徒がこんな時間に何やってるんだ?」


 精悍せいかんな顔立ちに屈強な筋肉を備えた男性が三人の側までやってきた。職人しょくにん気質かたぎっぽい雰囲気だ。

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