第一出動 One for all, All for one ①
「あぁ……学院辞めてぇ」
銀次は渋々家を出て、鉛のように重い足を無理矢理動かして学院への道を歩いてゆく。
「あんなクソ学院に通い続けて、一体何の意味があるってんだ」
銀次が通っている私立クリフィア学院はミッション系の中高一貫校で、偏差値は結構高い。
しかし銀次にとってみればどれだけレベルが高い学院であっても、ガラス細工の手法や知識を教えてくれなければ何の意味もない。
「銀ちゃーん、待ってよー!」
後方からぱたぱたと走る音が聞こえてくる。
声だけで銀次にはその正体が分かった。
先の両親と弟の
銀次が振り向くと、雪奈は長い髪の毛を乱しながらこちらに向かって走ってきていた。
「ちょっとー! どうして待ってくれないのよぉ!」
朝から激しい口論をした直後だ。銀次は冷静さを取り戻すために一人きりの時間が欲しかった。
だから姉の登場には歓迎せず、無視を決め込んで歩みを続ける。
「無視しないでよぉ」
「頭を冷やしてぇんだ。一人にしてくれ」
「さっきの話? 銀ちゃんがそうしたいなら私は応援するよ」
しかし雪奈も簡単には引き下がってくれなかった。
銀次の横まで追いついて歩行ペースを合わせてきたので、銀次は溜息を一つ
「親があれじゃあそうもいかんだろ。退学届を渡したところでサインしてくれるとは到底思えねぇ」
本人が退学を希望しても、親の同意が得られなければ学院が受理しない。銀次の退学は実質不可能な状況にある。
「やべっ、忘れ物した」
ふと銀次は足を止めて鞄を漁る。
「そそっかしいなあ。待ってるから取っておいで」
「それは悪いから先に行っててくれ」
「そう? じゃあ先に行ってるね。サボっちゃダメだよ」
「分かってるって」
姉が学院に向かったことを確認した銀次は、姉に対して嘘を
「今日は四時間目辺りから顔を出すか」
●●●
「チッ、難しいな」
結局、銀次はあれから一時間ほど公園のベンチで朝寝をし、今はゲームセンターで遊びほうけていた。
学院までは徒歩二十分程度なので、今から向かっても四時間目の授業からであれば間に合う。
「クソッ、どうなってやがんだ、あぁイラつく!」
苛立ちからUFOキャッチャーの機械を一発蹴ってしまった。
「お、お客様! 機械を蹴るのはご遠慮ください!」
その光景を目撃した店員に
「……ち。すまなかったな」
銀次は景品が取れずじまいでゲームセンターをあとにした。
「俺にはUFOキャッチャーの才能はねぇのかもなぁ――あん?」
前方からガラの悪い高校生グループが歩いてくる。
そのうちの一人がすれ違おうとした銀次の肩にわざとぶつかり、腕を掴んできた。
「おいおいおい、痛ぇじゃねーか。てかお前」
いちゃもんをつけてきた男は銀次の制服を見て口の
「クリフィアだろ? ダメだぞ、親の
銀次は相手の手を乱暴に振り
「あぁ? それはテメェらも同じだろ? こんな時間に群れてブラブラほっつき歩いてよ。サボり以外の何物でもねぇじゃねぇか」
ここで銀次は思った。今、喧嘩騒ぎを起こしてしまえば、学院側から強制的に退学にしてもらえるのではないか。それならあの面倒な両親の説得も必要なくなる。
「俺らは学費が安い公立だぜ~? 私立のおぼっちゃんと一緒にすんなよな。俺らに失礼だろぉ?」
「群れてねぇとイキがることすらできねぇテメェらのがよっぽど失礼で臆病者のクソガキじゃねぇかよ。仮にも高校生だろ? いい年こいてつまんねー真似すんなや、ザコ」
「なに? 喧嘩売ってんの?」
「そう思うならテメェの中ではそうなんだろうよ」
「てんめェ――――!」
銀次の挑発的な態度にリーダー格の男の顔が血の色に染まっていく。
おでこまで赤色に塗られたと同時のタイミングで、右手の拳で銀次の頬にストレートを打ち込んだ。
「ふ――ははは。ありがてぇな!」
銀次の口元からは血が漏れ出た。
「先に殴ったのはお前だ。だから自己防衛のために全力で殴っても文句言えねぇなぁ!」
銀次はここ最近、学院で笑うことがなかった。
無意味な時間。能天気な周囲の生徒たちとの折り合いの悪さ。学院には楽しい要素がない。
しかし今まさにこの瞬間、満面の笑みで相手を次々にノックアウトさせ、リーダー格の男が倒れ込んでもなお、拳や足の動きを止めない。
その
「わははは、テメェには感謝するよ! おかげで学院を辞められるぜ!」
「こ、こいつやべえ! イカれてやがる! サイコパスだ!」
不良グループの男たちは笑顔で暴力を振るい続ける凶戦士に激烈な恐怖心を抱き、リーダー格の男を置いて逃げ去っていった。
「おいおい。仲間を見捨てて逃げるたぁ、不良の風上にも置けねぇ輩どもだな」
ぼやきを入れつつ連中の後ろ姿を見送り終えると、銀次は顔面がぶくぶくに膨れたリーダー格の男を立ち上がらせて「ちょっと顔貸せ」と告げ、連れ立って銀次が先ほど居眠りをしていた公園へと向かった。
「テメェには悪いことした。だから存分に殴ってくれ。抵抗はしねぇ」
「…………? 何か企んでるんじゃねーだろうな?」
公園のベンチに座るなり、自分を散々殴っておきながら、今度は自分を殴れと
「いんや。テメェのおかげで退屈な高校生活ともおさらばできる。ありがとよ」
銀次の表情は先ほどまでの
学院を辞める、そのことに一ミリたりとも未練がないと相手にも伝わったらしく。
「じゃあお前を本気でボコって、喧嘩のことをクリフィアにチクればいいんだな」
「おっ、分かってるじゃねぇか。物分かりがいいヤツぁ好きだぜ」
「ならお望み通り退学させてやるよ」
その後、銀次の顔はリーダー格の男と同じくらいにまで腫れあがり、青タンだらけとなった。
●●●
学院に到着。
四時間目がはじまる三分前。絶妙なタイミングだ。
上履きに履き替えて一年の廊下を歩いていく。
銀次のクラスは一年B組。教室の位置は奥から二番目にあるので下駄箱からは距離がある。
廊下で銀次の有様を見た生徒たちはひそひそ話をしたり、恐怖とも取れる表情を向けたりと、面白いくらいに反応している。
ひとたび銀次が視線を送れば、視線が交錯した生徒は電光石火の
(細工は
一年B組の扉を開ける。
刹那、休み時間で盛り上がっていた教室が静寂に包まれた。
教室にいたほとんどのクラスメイトが銀次を見るなり会話をやめ、銀次と目が合った生徒は視線を逸らす。
しかし元々クラスに親しい友人がいない銀次にとって、このような状況は屁でもない。これまでに同様の出来事は腐るほどあったのだ。
今更クラスメイトがどんなに怯えた、もしくは冷たい目で見てこようがお構いなしだ。
「なんだ橋本、その汚いみてくれは。元々汚いのに更に汚くなったね、ははは」
しかし、この男は違った。
銀次と関わろうとしない他のクラスメイトとは違い、平然と話しかけてきたのは
容姿端麗、スポーツ万能、成績優秀の高スペック男子ではあるのだが、なにぶん辛辣、冷酷で皮肉屋な性格がそれらの魅力を見事に帳消しにしており、銀次と同様にクラスでは浮いた存在だ。
「いきなり歯に
「わざわざ喧嘩の武勇伝を自慢しに四時間目前に出現したのか。暴行自慢のためだけに登校とは、ずいぶんとおめでたい奴だな、君」
「あぁ? そんなんじゃねぇよ。俺は自分自身で未来への一歩を踏み出しただけだ」
銀次の言い分に、優は頭上にクエスチョンマークを作り出す勢いで眉間にしわを寄せた。
「何を言い出すのかと思えば……寝ぼけてるな。顔洗ってきなよ」
「っせぇ、チャイム鳴っただろうが」
銀次と優が言い争いをしている間に教師が現れ、授業が開始された。
普段の銀次なら居眠りを決め込んでいるところだが、高校生活最後の日くらい、真面目に受けるかという気持ちで今日だけは真剣に授業を聞いた。
今までなんのタメにもならなかった授業。人生の時間を無駄に捨て去った休み時間。勉強と遊ぶことしか能のない、青春に酔い潰れた同級生。
それもこれも、今日で最後なのだ。
授業終了後、思惑通り銀次は職員室に呼ばれた。
ようやく学院を辞めて自分の夢に向かって走り出せる。
スタートラインに立てるのだ。
――――しかし、銀次に告げられた現実は全く予想だにしない結果だった。
「な――退学じゃないってどういうことだよ!」
なんと銀次に下された処分は二日間の停学だった。
「教師にタメ口を聞くな。確かにお前は他校の生徒と暴行沙汰を起こした。だが最初に殴ったのは相手からだそうじゃないか。それなら正当防衛で罪も軽くなる。退学処分までには当たらん」
(自己防衛なら退学事由に当たらない、か。俺から殴ればよかったのか? けど、そんなの俺のポリシーじゃねぇ。殴られたら倍にして殴り返すが、自分から手をあげるのはなぁ)
「普通の学校ならな。それを考慮しても、だ。この学院の規律の厳しさから判断すると退学処分はやむなしだった。――だが生徒会長の計らいで停学処分で済んだんだ」
「なっ……姉貴が」
クリフィアの現生徒会長は姉の雪奈だ。
ちなみに一月に役員選挙があるので、そこで雪奈はお役御免となる。
「姉の優しさに感謝しろよ」
「………………っ」
銀次は絶句した。雪奈は銀次の夢を応援すると言ってくれたじゃないか。それなのに夢への道を塞いだのか?
「今日はもう帰れ。
痛烈な憤怒を覚えたまま、銀次は早退した。
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