眠れる七獄の魔王
陽巻
第1話 災悪の始まり
変わり映えのない見慣れた景色、いつも通りの帰り道を今日も黙って歩いていく。
『親しい人』と呼べるのはゼミ内の限られた五人だけしかおらず、特別仲が良いわけでもないため、こうして一人で歩いていることがほとんどだ。
『友達』と心の底から呼べる存在を作ろうと努力はしてみたものの、話の内容がクソつまんないせいか俺の交友関係はいつもその一度きりで幕を閉じてしまう。
ゼミ内の『親しい人』たちとの交友関係が無事に成立しているのは、あくまで目標として向かう場所が一緒だからである。
SNSでやり取りする会話は、いつも卒業論文のことばかりで私生活に踏み込んだ話のやり取りは一切しない。
要するに、大学四年生になった俺——権之進誠には友達がいないというわけだ。
まあ、友達がいないからと言って人生を大損しているとは決して思わない。
何だって俺は、すでに社会の勝ち組ポジションに立ってしまったのだからな。
そう、俺はなんと彼の有名な大手企業への就職が決定してしまったのだ。
自己PRの強みに生真面目としか書けなかった俺が、まさか大企業への就職が決まったと誰が予想できたことか。
当の本人ですら予測困難の事態だったのに、他の人に予測などできるはずもない。
ともあれ、俺はこのまま何も問題を起こさず、静かに生活していれば人生勝ち組のレールに乗れてしまうというわけなのだ。
だからこそ、言いふらせるような友達がいなくてよかったと、初めて心の底から喜んでしまった。
この封筒を手に取るまでは——————
「ん? なんだこれ」
何事もなく家に着き、郵便ポストの中を覗き込んでみると、夕刊の新聞の上に添える形で見たことのない一通の封筒が投函されていた。
郵便ポストの中身を一気に回収し、その奇妙な封筒物をまじまじと見てみる。
純白の封筒に葉っぱ柄の刺繍が施された可愛らしいデザイン。
宛先の所には丸っこい字体で『権之進誠様へ』と書かれてある。
これって、もしかして————
「ラ、ララララララ、ラララブレターというやつなのでは!?」
大学四年生にもなって慌てふためく自分が恥ずかしく思えてくる。
でも、仕方がないだろう?
恋愛経験皆無だった俺に急遽まさかのラブレターという一大イベントが発生したのだから、すぐに状況を飲み込めと言う方が無茶な話だ。
にしても、家の郵便ポストに直接投函してこようとは、なかなか度胸のある女だな。
親に見られた時のリスクを考えなかったのだろうか?
「そうだ、そうだよ、落ち着け。そもそも今どきラブレターなんて古典的な方法使わないだろう。今の時代はSNSを使って——————」
そう言いかけた途端、俺の脳内に痺れるような鈍い痛みが走り、その痛みは心が存在するであろう心臓までストンと一直線に落ちていく。
決して風邪を引いたとかそう言う問題ではなく、ただ俺は、悲しい現実を思い出したのだ。
「——————そういえば俺、友達いないんだった・・・」
右ポケットに入れていたスマートフォンを起動し、SNSを開いてみると『友だち』と書かれている横に『5』と表記されている。
最終トーク履歴は一週間ほど前で、しかも連絡内容は例の卒業論文に関することだった。
更に言えば、SNSに登録している『友だち』は同性の『男』で揃えられている。
「ってことは、これ、ラブレターじゃないな・・・」
近所に可愛い幼馴染がいるわけでもなければ、綺麗なお姉さんがいるわけでもない。
つまるところ、俺相手にラブレターを渡してくれる間柄の女の子は一人も存在しないというわけだ。
「なんか、悲しくなってきた。中身は家の中に入ってから見ることにしよ・・・」
ラブレター(偽)を左ポケットの中にねじ込み、鍵を取り出して家の中へと入ろうとしたその時だった。
『貴様こそ、我らの悲願を叶えるにふさわしいと言えよう・・・』
重低音気味でそう口にする男が、俺の背後から声を掛けてきた気がしたので慌てて後ろを振り返ってみたのだが、そこには誰もいなかった。
——————気のせいか?
俺はそれ以上奇妙な声に気を留めることなく自室へと向かって行く。
ちなみに血の分けた兄弟は一人もおらず、共働きの父母と暮らす三人家族だ。
ベッドはもちろんシングルベッドで、自分の部屋もきちんと割り振られている。
「ぶっは~、疲れた~」
日々の疲れを癒すべく、脱力感のある声を上げながらベッド内に飛び込む。
『日々の疲れ』とはいっても、大学までの片道三十分を往復するだけの軽度な運動なのだが、大学四年生になったということもあり、大学に足を運ぶ頻度が少なくなってしまった。
それに付加して、この約二十年間で運動部に所属していたことは一度もない。
つまり、ただの運動不足だった。
「にしても、ラブレターじゃないんだったら、この手紙は一体何なんだ? 」
右ポケットに無理やりねじ込んだせいでクシャクシャとなってしまった不可解な一通のラブレター(偽)。
天井を仰ぐようにかざしてみると、当然のように重要物がしっかりと封入されている。
——————と、そこまで来てようやく俺は大事なことに気が付いた。
「そうだ、どこかに差出人の名前が書いてあるはず!」
俺は手首を返しながらラブレター(偽)の表と裏を二度ずつ確かめてみた。
だが、俺以外の名前はどこにも見当たらず、写し出されていたのは純白の生地だけ。
ここまで来たら、もうただの悪戯としか考えられなかった。
悪戯、にしてはかなり手が込んでいる気もするが、それこそがこの状況を綺麗に片付けられる最適解と言えるだろう。
「まあ、とりあえず中身は確認しておくか・・・」
もし、この手紙が厄介ごとに巻き込まれる前兆だったとしたら、今後の俺の人生に大きく響いてしまうかもしれない。
何かしらのトラブルに巻き込まれて内定を取り消されたって話を耳にしたことがあるから、その危険を回避するためにも中身は絶対に確認しないといけない。
「できるだけ問題は避けないといけないしな・・・」
などと、独り言を呟きながらラブレター(偽)をゆっくりと開封していく。
そして、純白の封筒の中から姿を現したのは、異様なオーラを漂わせたような雰囲気を醸し出す手紙だった。
そこに書かれていたのは、当然のようにラブコールでもなければ場所指定の指示でもなく、文量にして原稿用紙一行分にも及ばない。
「——————『あなたの身体を我らに』って、いくら何でも意味不明だし不気味過ぎるだろ・・・てか、差出人は一人じゃないのかい!」
軽快なツッコミを入れつつも、俺はその手紙を上下均等になるように再び折りたたんだ。
現物しっかり残しておかないと大学側に提示する証拠品が無くなってしまうからである。
——————悪戯か、脅迫か、どちらにせよ一度大学の相談室に相談した方がいいよな・・・
そんなことを考えながらも、俺はその手紙の折り目をなぜか何度もなぞっていた。
これも几帳面という悲しい性のせいなのだろう。
「痛って!」
チクッと右手の人差し指の腹に鈍い痛みが走り、痛みの根源を探るべく確認してみると、どうやら僅かに切ってしまったらしい。
「まあ、大した切り傷じゃないし、血もすぐに止まるだろ・・・」
何て事のない、いつもの日常。
両親が帰ってくる十九時まで仮眠を取り、夕飯時になれば両親と共に夕飯を頂く。
そして適度な温度に設定された風呂に入って、就寝につく。
こうして俺の一日はいつも通り無事に幕を閉じる——————はずだった。
深い眠りについてから一体どのくらいの時間が経過しただろうか。
屋外から何も音が聞こえず、世界は停電したかのように真っ暗だ。
この静止仕切った世界に終止符を打つ者がいるとするなら、それは始発の電車か早朝から自家用自動車で仕事場に向かうサラリーマンぐらいだろう。
もし、そのどちらでもない者がいたとするなら——————
「カハッ! ツッ、イッカハァッ!」
突然の出来事ゆえに、何が起こったかまるで理解できなかった。
感電したかのような痺れが全身を駆け巡り、全身麻痺だけではなく呼吸困難にまで陥れる。
異常を知らすために声を出そうにもうまく音を奏でられそうにない。
つまり、今の俺は——————何もできない。
——————何だよこれ・・・! 何なんだよ! 父さん、母さん!
思考は正常に働いているものの、やはり声に出すことができない。
脳梗塞でも発症したのだろうか?
もしそうだとしたら、今すぐにでも救急車を呼ばないといけないのだが——————
——————動けよ、動けよ、体! こんなところでくたばるわけにはいかないんだよ! ようやく、ようやく認められたのに!
大手企業から内定を貰えたということは、その人材が御社には必要だと言って貰えたことと同義だ。
今まで誰かに必要とされてこなかった俺にとって、ようやく誰かに認められたことが何よりの喜びだった。
それなのに、それなのに——————
——————頼む、頼むから! こんなところで死にたくない、死にたくないんだ!
呼吸困難となっているせいで綺麗な酸素が体を循環していかない。
意識が朦朧としていく中、俺の頭の中にまたしてもあの声が響き渡る。
『ふむ、やはりこの者より適合率の高い者はいないな・・・』
——————誰かそこにいるのか・・・! お願いだから助けてくれ!
俺は得体の知れない声の主に目掛けてひたすら懇願した。
だが、悲痛な心の叫びは父親にも、母親にも、声の主にも、誰にも届かない。
『七つの
意味深なパワーワードの中で真っ先に引っ掛かったのは——————傷口だ。
異変が起こる前に付けてしまった傷口と言えば、あの偽装ラブレターで付いた切り傷以外考えられない。
体が思うように動かせないせいで傷口を見ることは叶わないが、あの小さな傷口から悪性の病菌でも入り込んでしまったのだろう。
だからと言ってどうすることもできないまま、俺は誰かに助けを乞うことなく意識をそこでプツリと途絶させてしまったのだった。
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